テラーノベル
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昨晩は、少し変わっていた。
ライブの後やけに体がホカホカ温まってて、その衝動を放つようにホテルの自販機へ向かって早足で闊歩した。
その道中で勇斗の部屋へ訪問してやった。
不用心なことに扉も開けっぱなしだったから、ちょっとした注意のつもりだった。
部屋に入って宵闇から吹き抜ける冷たい風に身を震わせたところでその背中を見た。
後ろから近づいて呼びかけたところで目が合った。
多分その目を見ていたらどこか同情しちゃったんだと思う。
ホテルの窓越しに煌めく繁華街と海のコントラストが、重く振り向いた勇斗の背負ったものと酷く似ていた。
寂しくて、眠れない男の、一夜のお伽話だったのかもしれない。
それも、赤ずきんとかに出てくる狼とかの…。
2日目の大阪ライブ会場のステージはたくさんのスタッフが忙しなく行き来していた。
発声練習のアップをしながらストレッチを行っていた。
筋を伸ばして感じた鈍い痛みに顔を顰める。
…こうなることは予想していた。
服に熱が籠ってベタつく感覚に腕を捲ると、あるものが目に入った。
肘下の掌側の中央に、紅い跡が咲いている。
警告のような、はたまたリードのような。
…昨夜のことがふと頭によぎった。
ホテルの暗い天井を背に、右腕に熱い唇が烙印を押しつけたその瞬間を。
毒にも似た痺れに体はたちまち捉えられ、先のことを考えることも許さない。
100度の温度に焼き付けられたそれは今もまだ焼鏝のように染み付いている。
まだ、その人とは今日、話していない。
…見せられたもんじゃない。
そっと隠すように仕舞って、周りのメンバーにリハの時間であることを周知した。
爆音で流れる音楽を背に身体を軽く動かしていく。
リハの雰囲気は真剣そのもので、弛みそうな雰囲気を察知すれば演出家の話に耳を傾けるよう嗜める。
とはいえ、昨日の内容とあまり変更点はないので軽い作業程度に振付の軽いステップを踏む。
唯一変わった点といえば、体が昨日より少しばかり重く、腰に岩を据えたような感覚だろうか。
45度のターンをした時、バチッと佐野の姿が目に入った。
キャップを目深に被り前を見据える瞳は鋭かった。
…昨日とはえらい違いだ。
もう忘れててもおかしくないほどに普通で。
そして、ある曲の確認のアナウンスが入った。
勇斗と向かい合わせになり、演出家の指示のもと肩に手を置くと、佐野も少し遅れて手を肩に置いた。
「…!」
掌から伝わる熱い温度に思わず体がびくついた。
勇斗の顔をチラリとみるが、その目線は俯いていて合わなかった。
それがなぜか、胸が締め付けられる心地になった。
『…移動大丈夫そうですね。次行きましょう』
センチメンタルな心地を引き戻すようにマイク越しに声がわんわん響いた。
アップビートのベースが身体を貫き続ける。
背後から赤と黒の映像が入り混じりパッションに満ちた世界観を伝えていたが、突然それはフッと消え、上から照らす白いライトだけになった。
2度目の5人でのバク転。
もうやりたくないなとすら思っていたのに、誰がこれを提案したのか。
…あの時からずっと上の空になっているのが自分でもわかる。
昨日嫌でも目を合わせていたのに、突然の態度の変わりようが、じわじわと心を赤黒く蝕む。
「2日目やけどぶっつけ本番は怖いからー…一回やっとかなあかんよな?…仁人?」
太智に呼びかけられ、ハッと意識を戻した。
「あ、俺?…うん、任せるよ」
「そ?じゃあやっとこ。危ないことするからしゃきっとしやんと怪我するよ」
「してねえよ。…聞いてなかったのは、ごめん」
図星を刺されたが、脳内に残っていた常識と反していることを認めたくなくて苦笑を交えて少しだけ嘘をついた。
「じゃあ仁人合図お願い」
「はい。いくよ」
各々イメトレに励んでいた右一列に並んだメンバーに声をかけると、各々頷いて一等間隔に列を整え、足を開いた。
勇斗は変わらずこっちを見ようとしない。
「せーの」
4人に聞こえる声で掛け声をかけると腕を後ろに引き、強く足を踏み込む。
足が浮いて振り上げた腕を頭上にあげたその時だった。
身体の一部から金切り声のような悲鳴が上がった。
身体を駆け巡るSOSで反射的にひゅ、と一瞬息を飲んだその時、頭の中が真っ白になる。
…手、どの位置につくんだっけ。
目線、今どこを向いてる?
もう修正は効かなかった。
「あっ」とスタッフさんの慌てた声が聞こえたその時、次に起こることを悟った。
ゴッ、と鈍い音が頭上から聞こえた。
…あーあ、やっちゃった。
『…ねえ仁人……』
『俺ね…今結構…幸せだ、って思ってるよ』
…なら、なんでそんな夜の海のような瞳で、迷子になった子供のような面持ちをしているのか。
繁華街の灯りが一つ、一つと減っていくたびに苦みは放たれて混じり、甘い時間はホテルの部屋に溶けた。
重なった胸からドッ、ドッ、と生々しく心臓が動くのを感じた。
それがどっちのものかもわからない。
顔をあげた勇斗の顔にかける言葉も見つからなかった。
代わりに顔に手を伸ばして指で拭ってやり、口付けに変わった。
その口付けさえもどこか隔てる感覚があった。
気持ちは繋がっているはずなのに、唯一の防御線のようにも感じて。
…今考えれば飛んだ経験させられたな。
こんなことなければ、お前のことこんなに考えることなかったのに。
仁人に淡い気持ちを寄せるようになったのは、もう覚えてもいないぐらいからだった。
年々増幅する気持ちは抗える域を当に超えて、ライブにいながら俺の目を捉えて離さない奴となった。
汗に濡れそぼった首筋に艶やかな歌声が、その日はどうしても収まりがつかなかった。
早くめちゃくちゃにしたい。
俺だけの仁人にしたい。
もうどうせなら今ある立場を投げ捨てたっていい。
世間はきっと赦しはしない。
なおさらこの職業に骨を埋めていく運命だったとしても。
自分の今ある全てをかなぐり捨てて仁人を奪いたい。
ライブで昂った感情が、数多のペンライトと特攻の炎で、曲の奴隷と化した今は全てが己の欲望を扇状ものとなって、沸騰していた。
…でも、トロッコに乗る仁人を見てしまったら。
トロッコで、愛おしげに目を細めて輝くペンライトを眺める仁人を見たら、無理だと悟った。
仁人が1番愛しているこの時間を奪えるわけない。
悲しみよりも遥かに深い淵に滑り落ちたように思えた。
張り裂けそうな胸の内を持て余しているうちに気づいたらホテルにいた。
目の前に迫りそうな、繁華街をも飲み込みそうな真っ黒な海に、星ひとつない夜にこのまま飲まれてしまおうかと。
そんな時に待ち望んだ声が聞こえた。
待ち焦がれていた彼の目は、さっきまでの覇気はなかった。
ゆっくりと距離を詰めて合わせたその目は、感情が読み取れなかった。
ただ、どこか許しを受け入れるような優しい眼差しに、胸が詰まる思いだった。
その思いをぶつけるように、仁人を腕の中に抱いた。
帰りの新幹線はメンバーたちは寝静まり、何故か俺は寝付くこともできず、ぼんやりと窓を眺めていた。
…よく受け入れてくれたなと思う。
スタッフ曰く仁人は目が覚めたらしいが、ライブへの出演は叶わなかった。
驚き悲しそうな黄色のペンラの人の顔を見るたびに、上手く笑うことができなくなっていた。
『…なんで泣いてんの』
汗に塗れた仁人の吐息にまじるぶっきらぼうな
声と裏腹に、指の腹で優しく瞳を拭われた。
あの暖かさを忘れることはないと思う。
窓に寄りかかって瞼を、閉じた。
最初で最後の夜を噛み締めるように。
…どうか、これからは1人でも眠れるように。
その時に落ちた未練の轍が顎をつたい、手の甲に落ちた頃、スマホのバイブ音が鳴った。
『逃げんな』
仁人からのメッセージだと夢にも思わずに。
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私、さかなさまの書かれる💛さん大好きなんです すごく、男前ですよね 拝読していて、ストンと入ってくると言うか…語彙力がなくてちゃんと伝えられなくてすみません 今回のお話、悩める🩷さんを逃がさない💛さん…続きが気になります そしてキスマークとても良い場所に付いてると感じました 人目には付きにくいけど、自分には目に入る位置だなと 勝手な解釈だったらすみません