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沙耶たちに気付かれないよう、顔には出さずに心の中だけで舌打ちした。
目の前に広がる遺跡タイプのゴブリンのダンジョンは、見れば見るほど「面倒」の一言に尽きる。
ただ石が積まれているだけの廃墟――なんて生易しいものではなかった。
石造りの壁の間を忙しなくゴブリンたちが行き交い、そのほとんどがボロ布ではなく、革鎧のような装備を身に着けている。
剥ぎ取ったのか、自作したのかは知らないが、少なくとも「野生の群れ」というより「組織だった集団」に近い。
見張り、巡回、運搬、農耕。
無秩序に暴れているわけではなく、それぞれの役割がきっちり分かれているのが遠目からでも分かった。
統率が取れている群れは、総じて厄介だ。そしてこういうタイプは、例外なく罠を多用してくる。
(これはちょっと、困ったなぁ……)
思わず小さく息を吐く。
洞窟タイプの簡素な落とし穴や、紐罠とは訳が違う。
遺跡を丸ごと巣にしている以上、あちこちにえげつない罠が仕込まれていると見て間違いない。
「コレはちょっと困ったなぁ」
つい口からも漏れてしまったらしく、横にいた七海が首を傾げた。
「いつも通り突っ込んで殲滅じゃダメなんすか?」
「ダメだね」
即答する。
「遺跡タイプはね、逃げ道を潰してからじゃないと殲滅した“つもり”になっても、だいたいボスが逃げてる。
最悪だと、メスと一緒に逃げて、どこかの地下で子供増やして、数ヵ月後に再襲撃――なんてことが普通にあるよ」
ゴブリン全般に言えることだが、「生き残り」を優先する個体は多い。
けれど、遺跡タイプの群れだけは少し違う。
ボスさえ生きていればどうにかなる、という本能なのか、あるラインを越えると、配下のゴブリンたちは「ボスを逃がすため」に動くようになる。
そして、ボスが生きている限り、そのダンジョンは消えない。
つまり、私たちはボスを討ち取るまで、この中に閉じ込められ続けるということだ。
回帰前、ダンジョンに入って一週間以上音沙汰がなければ「死亡扱い」にされて、次のハンターに攻略権が回されていた。
死んだと思って入ってみたら、中でボロボロの状態で生き延びていた――なんて話も、別に珍しくはなかった。
(まあ、うちは食料と水には困らないけど……)
私のアイテム袋には、携帯食料と飲料水が山ほど入っている。
ざっと計算して、四人でも二十日は余裕で戦えるだろう。
だからといって、わざわざ長期戦をしたいわけではない。
「ボスを倒さないとダンジョンは終わらないんですよね……?」
小森ちゃんが、不安そうに袖をぎゅっと握りしめながら聞いてきた。
「そうだね。だから時間をかけて戦力を削って、ボスが逃げられないようにしてから攻略するしかない。
失敗したら最悪の場合……」
そこまで言うと、三人の喉が一斉に鳴る音が聞こえた。
勉強会と称して、ゴブリンの生態や特徴、捕まった女ハンターがどうなるのか――そのあたりも、理解できる程度には説明してある。
覚醒がまだ一般化していない現代で、一度捕まったら。
よほどの幸運でもない限り、助けなんて来ない。
その場が、その人の「一生」になる。
「そうならないためにも作戦を練ろうか。初の長期戦だけど、頑張ろう」
「入った以上、やるしかないっすね! まずは何からするべきっすか?」
「まずは――」
私は膝をつき、足元の草を手で潰しながら説明を始めた。
ゴブリンは、視力こそ人間とさほど変わらないものの、嗅覚は段違いに優れている。
だから、まずはこの辺りに生えている草を潰して、体にすりつける。匂いを誤魔化すためだ。
ダンジョンにも昼と夜があること。
空はあるが月はなく、夜になると本当に、笑えないくらいの暗闇が訪れること。
見えないのは、ゴブリンも同じ。
だから夜は七海に高所から見張り兼狙撃をしてもらうこと。
昼は沙耶に、定期的に遺跡に向かって【土槍】を撃ってもらい、出入り口を削ぎ落としていくこと。
そして――基本は、必ず二人以上で行動すること。
「この作戦は七海が肝だから頑張ってね」
「うっす! とりあえずウチは夜にゴブリンで的当てすればいいんすよね?」
「そう。寄ってきたゴブリンも、全部やっちゃっていい」
「でも、沢山殺したらゴブリンも気付くんじゃないの?」
沙耶が眉を寄せ、私の袖を軽く引く。
作戦に疑問を持ってちゃんと質問してくれるのはありがたい。
言われた通りに動くだけでは、いざというときに応用がきかない。
「いい質問だね。ゴブリンが弓を使うのは知ってるよね?」
「うん。この前お姉ちゃんから聞いたよ」
「ゴブリンの知能は低いって言っても、損得勘定くらいはできる。
七海が使う矢はね、私が全力で斬りつけても曲がりもしない超一級品なんだよ」
「えっ、ウチそんなの使ってたんすか!?」
七海が慌てて背中の矢筒を抱きしめる。
古代竜の弓と古代竜の矢は、セットで真価を発揮する装備だ――と、作ってくれた職人のおっちゃんは言っていた。
古代竜の弓で古代竜の矢を射ることで、矢にしなりが生まれる。
逆に、セット以外で使えば「ただひたすら硬いだけの棒」で、全くしならないのだと。
(あの説明、ちゃんと聞いとけばよかったなぁ……)
当時の私は剣のこと以外には耳を貸さなかった。
今になって、細部を思い出せない自分を殴りたい気分だ。
「じゃあ、貴重だから【回収】は都度使わないと駄目っすね……」
「逆だよ。【回収】は私がいいって言うまで絶対に使っちゃダメ」
「え?」
同時に首を傾げる三人に、私は夜空を見上げるイメージを頭の中に浮かべながら続ける。
「暗闇の中で【回収】を発動するとね、矢筒がほんのり光るの。
一寸先も見えない夜に、光源なんて作ったらどうなるか、分かるよね?」
視線が合った三人が、同時にごくりと唾を飲み込む。
「それに、ゴブリンは死んだハンターたちの装備を奪って使う。
”いいモノ”かどうかは、本能的に分かるらしい」
そこで一度区切って、問いかけるように三人を見た。
「さて、ここで質問。本能的に矢が『尋常じゃなくいいモノ』って分かっていて、夜に見張りを出すとソレが手に入る。
でも、矢1本につき、見張りのゴブリンは1匹死ぬ。
さあ、あいつらはどっちを優先するだろう?」
「まさか……矢1本のために味方を……?」
「そのまさかなんだよね」
小森ちゃんが青ざめて言い、私は肩を竦める。
「生まれてから二日で戦えるようになるゴブリンの命の価値は、ほんっとうに低いの。
代替がいくらでも効くって分かってるから、平気で切り捨てる」
これは、回帰前に私が隊列を組んでいた仲間たちと、実際にやった作戦だ。
夜に矢を撃ち込んで【回収】は使わない。
ゴブリンに矢を拾わせて、「ここに行けば高価な矢が落ちている」と学習させる。
そして、私たちが総攻撃を仕掛ける時に、ゴブリンが拾った矢を一斉に【回収】することで、飛んでくる矢そのものを奪ってしまう。
価値の高い物に目がないゴブリンに対しては、驚くほど効果的な作戦だった。
あとは、夜に矢を撃ったときのゴブリンたちの反応を見て微調整するだけだ。
「そんな簡単に行くんすかね?」
「完璧に作戦通りとはいかないだろうけど、大事なのは、私たちが乗り込むときに“混乱してる状態”を作ること。
だから『絶対に成功させないといけない』ってわけじゃないよ」
回帰前、私ひとりで遺跡タイプを攻略したこともある。
けれどあれは、戦略と呼ぶにはあまりにも雑だった。
ただ【神速】で突っ込んで、動くものを片っ端から斬り捨てていくだけ。
(今思うと、本当に無茶してたなぁ、あの頃の私)
今の私は、そこまで無茶ができるほどの力は持っていない。
その代わりに――信頼して背中を預けられる仲間がいる。
「昼の間は、この森の中で息を潜めて行動して、不自然な場所があったら夕方に皆で共有。
軽く栄養補給してから少し寝て、完全な夜になったら行動開始。そんな感じかな」
「つまり、野宿ってことですか……?」
「そうだね。今後もすること増えてくるだろうし、今のうちから慣れておこう?」
こんなことなら、アイテム袋にテント一式を入れておくべきだった。
残念ながら今回は、木の上で寝るしかないだろう。
(私は回帰前に何度もやってるから平気だけど……三人はどうだろ)
少しだけ心配になって横目で様子をうかがうと、意外にも、二人とも目を輝かせていた。
「私、野宿は初めてかも」
「ウチもっす。なんだか楽しそうっすね!」
やめておきなさい、と言いたくなる気持ちをぐっと飲み込む。
明かりひとつない真っ暗闇の野宿は、正直「楽しい」より「つらい」のほうが先に来る。
見張り役は基本的に私がやるつもりだけど、音だけを頼りに周囲の気配を拾うのには慣れが必要だ。
「じゃあ、今日は皆で動いて、何をするか説明しながら過ごそうか」
「はーい」
私たちは身を低くして森の中を移動し、遺跡を囲むようにぐるりと回り始めた。
近づいて見てみると、遺跡というより「石造りの砦」と言ったほうが近いかもしれない。
四方向に出入口があり、四隅と各出入口には必ず見張りが立っている。
「森の中から出入口に【土槍】が届くか、試したいんだけど。沙耶、いけそう?」
「森の中から飛ばすの? 一応、この辺から出入口までの距離なら届くと思うけど……気づかれちゃわない?」
「出入口の“真上”に魔法陣を展開して、そこから落とせればベストなんだけど、できそう?」
「二百メートルぐらいあるよね……うん。やってみるよ!」
頼もしく頷く沙耶の頭を、そっと撫でる。
私の小さな自慢――なんて言ったら、多分、照れて拗ねるだろう。
沙耶は小さく息を吸い込み、目を閉じて集中を深めていく。
少し前から、私の見ていないところで魔法の練習をしているらしく、その上達具合は目を見張るものがあった。
空気が微かに震え、杖の先に魔力が集束していく気配が伝わってくる。
「【土槍】」
短く紡がれた技能名とともに、視界の端――遺跡の出入口の上空、かなり高い位置に、土でできた巨大な槍が出現した。
槍、と言っても見た目は「尖った巨大な角柱」に近い。
直径一メートルほどのひし形の塊が、七本まとめて、重力に従って落下していく。
事前に、「出入口を破壊せず塞ぐこと」と念押ししてある。
石壁ごと吹き飛ばしてしまっては、かえって敵の動線が増えてしまうからだ。
――ドゴォン!
鈍い衝撃音とともに土煙が巻き上がり、一瞬視界が白茶ける。
やがて風がそれを払いのけると、そこには見事に塞がれた出入口が姿を現した。
石の枠の内側一杯に、土の塊がはまり込んでいる。
ちょっとやそっとでは崩れそうにない。
「はぁ、はぁ……」
沙耶は肩で息をしていた。
かなり魔力を消費したらしい。私の胸に額を預けるように近づいてきたので、そのまま抱きしめて頭をぽんぽんと叩く。
「流石だよ。完璧。ありがとうね」
「へっ、へへへ……」
少し照れながらも、沙耶の口元が緩む。
これを明日と明後日も繰り返して、三方向を塞ぐ。
残った一方向が、私たちの突入ルートだ。
塞がれた出入口をじっと見つめていた小森ちゃんが、首を傾げながら口を開く。
「橘さん、これって穴掘ったりして破壊されたりしないんですか?」
もっともな疑問だ。
実際、回帰前にも同じことを誰かに聞かれたことがある。
「土系の魔法技能はね、使用者の“攻撃力”が、そのまま土の防御力になるんだ。
沙耶の攻撃力は杖のおかげで格段に上がってるから、ゴブリンの攻撃じゃ傷もつかないよ」
「そうなんですね……ありがとうございます!」
信じがたい理屈だが、紛れもない事実だ。
もちろん、上位のモンスターや魔法攻撃なら崩れるが、ゴブリン相手ならまず問題ない。
ゴブリンたちが襲撃されたことに気づくのは、もう少し後だろう。
今はこれ以上ここに居続けるのは危ない。私たちは足音を殺し、森の奥へと退いた。
魔力を大きく消費したせいか、沙耶は足元がおぼつかなくなっている。
放っておけば転びかねないので、私はさっさと両腕を回して背負い上げた。
「わっ」
「休憩も仕事のうちだからね」
少しだけ軽口を叩きながら、私は妹の体温を背中に感じつつ、森の奥へと歩みを進めた。