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あれから三日。
カンタローの風邪はすっかり良くなった。
「いやー、マジであん時は死ぬかと思った」
昼過ぎ、仕込みを終えて一息つきながら、カンタローは腕をぐっと伸ばす。身体は軽い。熱ももうない。
カウンター越しに常連と軽口を叩きながらも、頭の片隅には別のことがあった。
――貧ちゃん。
あの日、深夜まで付き添ってくれて、そのまま朝までいてくれた。
結局「帰る」と言いながらも、完全に寝落ちしたカンタローの隣で暫く様子を見て、朝方に帰ったらしい。
テーブルの上には、綺麗に洗われたお粥の器と、整えられた薬。
それを見た時、やけに胸がじんとしたのを覚えている。
「今日、来るかな」
ぽつりと呟いた言葉に、常連がニヤニヤする。
「おーあのこの間来てたべっぴんな恋人か?」
「うるせぇな」
否定はしない。
寧ろ、早く顔が見たかった。
あの時ちゃんと出来なかったことを、今度はちゃんとしたいと思っている。
*
夜。
暖簾をくぐる影が一つ。
「いらっしゃ――」
顔を上げた瞬間、言葉が止まった。
「……貧ちゃん」
「……」
いつものように無言でカウンターに座る。
けれど、何かが違う。
「お前、顔色悪くね?」
「別に」
「いや絶対悪いだろ」
「うるせぇ」
短く返す声が、少しだけ掠れている。その時点で確信した。
「……もしかして」
「違う」
「いやまだ何も言ってねぇけど」
「どうせろくなことじゃないだろ」
眉間に皺を寄せる貧ちゃん。
その様子が、妙に既視感を呼ぶ。
「……熱あるだろ」
「……ない」
「嘘つけ」
「……ちょっとだけだ」
「あるじゃねぇか!」
思わず声が大きくなる。
貧ちゃんは露骨に嫌そうな顔をした。
「騒ぐな」
「いや騒ぐだろ普通!」
「平気だって言ってんだろ」
「平気な顔じゃねぇって」
カンタローはカウンターから出て、すぐ隣に回る。額に手を当てた瞬間、はっきりと分かる熱。
「……ほら、やっぱ熱い」
「……っ」
一瞬だけ、貧ちゃんの肩がびくっと揺れる。
「触んな」
「触るわ」
「移るぞ」
「もう遅いだろ」
ぴたりと視線が合う。
数秒の沈黙のあと、貧ちゃんが小さく舌打ちした。
「……誰のせいだと思ってんだよ」
「俺だな」
「自覚あんなら反省しろ」
「してる。めちゃくちゃしてる」
素直に頷くと、逆に調子が狂ったのか、貧ちゃんは言葉を詰まらせた。
「……まあ、いい」
「よくねぇよ。帰るぞ」
「は?」
「こんな状態で飲みに来てんじゃねぇ」
「飲みに来たわけじゃない」
「じゃあ何しに来たんだよ」
問いかけると、貧ちゃんは一瞬だけ視線を逸らした。
「……顔、見に来ただけ」
「……」
その一言で、全部持っていかれる。
カンタローは察して思わず笑った。
「何笑ってんだよ」
「いや、可愛いなって」
「ぶん殴るぞ」
「熱あるやつに殴られても痛くなさそう」
「試すか?」
「やめとく」
軽口を叩きながらも、もう決めていた。
「ほら、立て」
「どこ行く気だよ」
「うち」
「は?」
「看病すんの、今度は俺の番」
「いらない」
「いる」
「いらないって言ってんだろ」
「じゃあ一人で帰れるか?」
「……帰れる」
「ふらついてんのに?」
「……」
ぐっと言葉に詰まる。
その隙を逃さず、カンタローは手首を掴んだ。
「ほら、行くぞ」
「……強引すぎるだろ」
「お前にだけな」
小さく息を吐いて、結局抵抗はしなかった。
*
部屋に着く頃には、貧ちゃんの顔色は更に悪くなっていた。
「ほら、座れ」
「……勝手知ったるってやつだな」
「この前お前がやってくれたこと、そのまま返すだけ」
「別に見返り求めてない」
「俺が勝手にやりたいだけ」
そう言うと、少しだけ黙る。
ベッドに座らせて、水と薬を用意する。
「飲め」
「……はいはい」
素直に従うあたり、やっぱりしんどいのだろう。
飲み終えたところで、カンタローはふっと距離を詰めた。
「なあ」
「何だよ」
「キスしていい?」
「は?」
「この間の看病のお礼」
「意味分かんねぇし今かよ」
「じゃあ今のは口実」
「なお悪いだろ」
そう言いながらも、完全には拒まない。少しだけ目を細めて、ため息をつく。
「だめ?」
一瞬の沈黙。そして――
「……勝手にしろ」
観念したような声。
次の瞬間、カンタローはそっと唇を重ねた。熱を帯びた、いつもより少し乾いた感触。触れるだけのはずが、名残惜しくて、ほんの少しだけ長くなる。
「……っ、長ぇ」
離れた瞬間、貧ちゃんが顔をしかめる。
けれど、耳は真っ赤だった。
「顔赤いぞ」
「熱のせいだ」
「ほんとに?」
「……うるせぇ」
視線を逸らす仕草が、やけに可愛い。
カンタローはくすっと笑って、額に軽くキスを落とした。
「ちゃんと寝ろ」
「……お前な」
「何だよ」
「距離感バグってるだろ」
「今更?」
「今更だ」
呆れたように言いながらも、どこか力が抜けている。
そのままベッドに横になると、貧ちゃんは目を閉じた。カンタローはその隣に腰掛けて、静かに髪を撫でる。
「……カンタロー」
「ん?」
「……責任取れよ」
「もちろん」
「……最後まで面倒見ろ」
「言われなくても」
その言葉に、貧ちゃんはほんの少しだけ口元を緩めた。
「……なら、いい」
そのまま、ゆっくりと眠りに落ちていく。
規則的な寝息を聞きながら、カンタローは小さく呟いた。
「……ほんと、可愛いな」
返事はない。
けれど、その手は無意識にカンタローの服の裾を掴んでいた。離さないように。
――結局。
風邪は、ちゃんと移っていた。けれどそれは、どこか嬉しい誤算だった。
同じ熱を分け合うみたいに、距離はまた少し近づいていく。
看病の名目で触れられる時間が増えることを、カンタローは少しだけ楽しみにしていた。
END