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冬の麗らかな蒼穹。どこまでも青く、雲の一片も見当たらない空。冬になって四日目と言ったところだろうか…息は白くならないが、ずいぶん冷え込んでいる。そんな季節の変わり目に、テンプレートのような風邪にフク郎は苛まれていた。今日で三日目、初日からウイエに看病で付きっきりにさせている。彼女を敬愛し、心の底より忠誠を誓っていると言っても過言ではないフク郎にとって、この行為は七つの大罪に数えてもまだ足りないほどの罪悪感を味わわせるとともに、他の沼との扱いの差に少し嬉しくなっていたりもした。
「君も無茶を好むものだね、これからは程々にしておくれよ。」
少しぬるくなった布巾を取り、冷えた水道水に浸す。この行動を今日で七回、この数日のを合わせて二十回ほどしただろうか。悴んだウイエの手は、関節を基軸として冷めた赤らみを帯びている。その指先を、手首を、甲の筋を見る度に、フク郎は昨日からずっと罪悪感がやまない。
「申しわけ…ございません…、ウイエさま」
ぜー、ひゅー、と喉から出る喘鳴の混じった言葉で、口癖のように謝り続ける。薄ら涙と汗が滲んだ目元に触れる指先の冷たさを知る度、それは酷くなっていった。氷のような布切れを掛けて下さるより、私はあなたの手で温められたい…そんな欲望が渦巻くのも無意識に押し込められ、ただ冷えた布巾で拭われる汗と共に謝罪が溢れる。それを聞く度にウイエは、彼女の脆さを、柔さを知る。
「謝る事ないさ。こんな風になるまで努力したんだろう?」
言わなくてもわかるよ、とそっと水の伝った頬を撫でる。暖かい、病的な熱を帯びた赤らんだ頬はいつもより熱くて、冷たかった。慰めの言葉に天才は風邪をひかない、なんて冗句を混ぜる気にもならないほど、静々とその悲しみは膨れていたようで。
抱き込まれたその涙の色をした感情を、溶かしてあげられたら。普段の余裕は冷や汗に容貌を変え、ウイエの首筋を伝っていた。
「ありがとう…ございます。」
その悲しみを、どうにもフク郎には完全に理解できなかった。故にかどちらにせよか、枯れ荒んだ風邪の声で感謝を伝えると、ウイエの冷え切った手に全てを委ねるように、少し頭をもたせかけた。といっても、飼い主の手に頭を擦り付ける犬や猫のようなものだったが。
「…ウイエさま、すこしだけ…こちらに、屈んでくれますか。」
ウイエがそっと撫でさすっていた喉、頬、額を一巡した頃、フク郎は一般にだみ声とか言われるような少し濁った声で、そう囁くように訊いた。咳混じりだったが、それでも初日のほぼ何も話せなかった時よりマシになっている。預けられた重量に悲しみの晴れる気を感じていたウイエは、その言葉に一段とにこやかになる。服したいとかいうマゾヒズム的性癖がある訳ではないが(あるかもしれないけれど)、知己とも言えよう愛する対象にお願いをされたり頼られるのは悪い気がしない。
「ああ、どうしたんだい? 何か伝えたいことでもあるのかな。」
その許諾の言葉に微笑んだフク郎へ、そこはかとない安心を感じたのは愛故だろうか。少し重量を増した右手に温かなそれを感じながら、自身の純真さにウイエは笑ってしまいそうだった。こんな塵芥の入っていない純粋の愛を、私は抱けたのか。そんな感銘を受けながら、少し前に屈む。
ぎゅっ
布団に空いている方の手を添えたときだろうか、少しバランスを崩すくらいの、弱々しい抱擁が飛びついてきた。肩の後ろが暖かい…ああ、腕が回されているのか。すぐ眼前にまで迫った愛くるしい微笑に、改めて自身に行われた行為をウイエは理解する。
病臥の生き物は大抵人肌恋しくなるとは分かっていたつもりだが、いざこうも穴埋めに使われると得も言えぬ欲が満たされる気分になる。こんな罪な沼だったろうか…自身に似たことも知らずにウイエは妙な心配と恍惚が湧いた。
「……こんなベタなこと、いつでもできただろう?」
照れ隠しのつもりか、そっと背に手を添え、普段の様子からは予想できないほど穏やかに、優しく、言い換えれば控えめに、なめらかな曲線を描くほてったその身を抱き寄せる。体質的に風邪などの病気にはならないが、それでもなお抱き寄せられた方は心配そうに、申し訳なさそうに、蚊の鳴くような声で呟く。
「ごめん、なさい…いま、でないと、できない気がして。」
少し初めより熱くなった頬にウイエは心配になりながらも、その幼気な言い訳に頬を綻ばせる。フク郎の抱きしめる力が強まると、つい二時間ほど前取り替えたばかりのふかふかな布団へ寝転がる。ぼすん、とウイエの倒れる音が快活に響いた。顔を向かい合わせた二人は、声にもならない様な、二人きりにしか聞こえない様な笑い声をあげると、その調子のまま二人話し込む。
「そうかい…いや、本当罪な子だねえ、フク郎は。」
「…つみな子では、わるかったですか。」
「そんな事は無い、むしろ良いけどね。…あんまり頻繁にしてはいけないよ。」
「…はい。」
湿り気のない爽やかな昼、今の顔の熱はきっと病気由来では無いんだろうな、と二人は思うだけであった。
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