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午前7時30分──
タクシーが静かに停車し、車内のランプがぼんやりと灯る。
「マンション着いたぞ、トルテさん」
支払いを終えて、車窓に凭れるキルの肩を軽く揺するが、返ってくるのは気の抜けた寝息だけだった。
ドアを開けてもらい、弐十はひとまずキルを抱き寄せるようにしながらタクシーを降りる。
そして、背中へとゆっくり抱え直すと、そのままマンションのエントランスへと足を向けた。
「まったく……朝から酔っぱらいの荷物かつがされるとはな……」
小さく文句をこぼしながらも、その口元はどこか緩んでいる。
静かなマンションの廊下を、足音を忍ばせるように進み、ようやくキルの部屋の前へ。
ポケットから取り出した合鍵を鍵穴に差し込み、ゆっくりと回す。
ガチャリ。
鈍い音とともに玄関のドアが開いた。
鍵をそっと引き抜き、腕の中のキルが落ちないように注意しながら、片足ずつ中へ踏み込む。
「ほら、帰ってきたよ」
声をかけながら、壁際へと歩み寄る。
腕の力を抜かないよう、慎重にキルの体を降ろすと、ふにゃりと腰をついたキルは、そのまま支えを失ったようにパタンと倒れ込んだ。
「……おいおい」
かろうじて意識はあるらしく、「んー……」という呻き声が返ってきたが、目を開ける気配はない。
そのまま玄関の冷たい床に横たわっているのもさすがにまずい。
弐十はしゃがみ込み、足元のサンダルを片方ずつ脱がせる。
くしゅんと小さくくしゃみが聞こえたのは、その直後だった。
「……さむ……」
力なくつぶやくその声に、弐十は息をつく。
「風邪引くぞ」とひとりごちると、靴を脱ぎ、膝と脇に腕を差し込んでキルの体を再び抱き上げた。
廊下を進む足元には、潰れたペットボトルや丸めたレシートの入ったコンビニ袋が散乱している。
それらを器用に足先で避けながら、弐十はキルの部屋の奥──ベッドの前まで慎重に進んでいく。
「はあ……重い……」
苦笑混じりの小声が漏れる。
腕にかかる重みはもう限界に近く、ゆっくりとベッドに降ろそうと体を屈めた瞬間。
バランスが崩れた。
「……っと」
支えきれなかった体はそのまま、ふたりまとめてベッドに倒れ込んだ。
ドサッという音とともに、柔らかい布団が沈む。
顔をしかめながら上体を起こそうとする弐十の胸元に、キルの手がゆっくりとしがみつく。
「……ん、……にとくん……」
甘ったるく、熱を帯びた声。
耳元で揺れるそれに、思わず肩が跳ねた。
胸に顔を埋めたまま、キルはもぞもぞと何かを呟いている。
くすぐったさと妙なぬくもりに、弐十は苦笑しつつ、そっと肩に手を置いた。
「ほら。ちょっと離れて?」
しかし、キルの手がするりと動いて、弐十の手を掴んだかと思えば──
頬をスリ、とすり寄せ、今度は胸元にぴたりと顔を寄せてくる。
「……にと、あったけぇ……」
赤く染まった頬、熱っぽく潤んだ瞳。
とろんと焦点が合わないその目には、無邪気な甘えと、微かに滲む欲の気配が混ざっていた。
艶やかに開いた唇から、うっすらと漏れる吐息。
目の前でとろけるように甘えるキルの顔が、まるで誘っているようで──
「……っ……」
ぞくり、と背筋に電流が走る。
背中がぞわつき、思わず息を呑んだ。
腹の奥に火が灯るような感覚。
それが、じわじわと下半身に集まっていくのを、弐十はどうにも止められなかった。
「……じゃあ、俺、そろそろ帰るな」
喉を鳴らして、言い聞かせるように口を開いた。
「お前、ちゃんと水飲んで寝ろよ」
そう言ってベッドから体を起こそうとした瞬間。
キルの指先が、ふにゃりと弐十の袖を掴んだ。
「……にとく、ん……ここいて……」
その声は、まるで小さな子どもが母親に縋りつくときのよう。
熱に浮かされた頬。そして潤んだ瞳が、真っ直ぐに弐十を見つめている。
赤く染まったその目には、甘えと切なさ、そしてほんの微かな欲の色が滲んでいた。
「……ねぇ、えっちしたい……」
かすれるような声で、キルは囁く。
その言葉に、喉の奥が熱くなるのを感じた。
「お前、何言ってんの…」
抱き寄せて、欲望のまま、貪りたい。
そんな衝動が、喉元までせり上がってくる。
だけど──
(……こいつ、酔ってんだよな)
潤んだ瞳も、頬の熱も、全てが本心とは限らない。
キルの“したい”が、酔いに任せた衝動なのだとしたら──
その甘さに浸ってしまえば、きっと後で後悔する。
けれど、そんな逡巡を見透かしたかのように、
キルの手がそっと降りてきて──
弐十の腰元に触れ、服の上から昂りをなぞるように動いた。
「……んっ……」
色気なんてものは、これっぽっちもない。
ふにゃふにゃの指先で、形を確かめるようにやわやわと触られる。
「……もうどうなっても知らないよ?」
意地悪にそう囁けば、
キルはうっとりとした顔で、こくん、と頷いた。
「…抱いて……」
かすれるような、か細い声だった。
けれどその響きは、心の奥まで真っ直ぐに届いて──
最後の理性を繋ぎ止めていた糸が、ぷつん、と音を立てて切れた。
弐十はそっと顔を寄せ、キルの唇に自分の唇を重ねる。
確かめるように、そっと。
けれどすぐに、キルの舌が弐十のそれに絡まり、
熱が溢れ、呼吸が混ざり合っていった。
「……ん、ふ……」
焦点の定まらない、蕩けたような目。
キルの吐息は、どこか甘ったるくて、アルコールの香りが強く混じっていた。
(……やば……)
その呼気を吸い込むたびに、
こっちまで酔わされていくような感覚に陥る。
「……っ、トルテさん……」
唇が離れるたび、キルの口端から薄く水液が伝い落ちる。
苦しそうに息を吸い込みながら、それでも快楽を求めるように舌先が絡んでくるその様に、
喉の奥がきゅう、と鳴った。
「んぁ……っ、ふ…、っは…」
乱れた呼吸。潤んだ瞳。
濡れた唇の端に残る艶。
「っ…どう? 気持ちい、?」
思わず問いかけると、
キルは弛緩した瞳で弐十を見つめ──
「……きもち、い……っはぁ……」
快楽に溺れる寸前のその顔が、あまりにも扇情的で
理性なんて、とうに残っていなかった。
(……ヤバい。こんなん、もう……)
弐十はキルの細い腰に手を回し、
そっと下半身に手を滑らせていく。
下着の縁に指をかけた、その瞬間──
キルのまつ毛がふるりと揺れた。
そして、すぅ……と。
「…………トルテさん?」
ゆっくりと、弐十の胸に顔を預けるようにして力が抜ける。
かすかに動いていた唇は、何も言わずに止まり──
耳元で、小さな寝息が始まった。
「………。おい、マジかよ…」
まるで、冗談みたいなタイミングに唖然とする。
欲情のピークで突然寝落ちされるという予想外すぎる展開に、
弐十は呆れたように息を吐きつつ、つい吹き出してしまった。
「……ったく、タイミングってもんを……」
文句を口にしながらも、その声音に尖りはない。
酔って寝落ちた恋人の頬に手を当てると、まだ熱が残っていて。
その熱さすら、いとおしいと思えた。
「トルテ。お前はほんと、手のかかるやつだな……」
そう呟いて、弐十はそっと毛布を引き上げる。
キルの肩を優しく包み込むように掛けてやり、
そのまま隣に身体を横たえた。
細い肩越しに見える、穏やかな寝顔。
すぅ、すぅと安らかな寝息を立てるその姿を見ていると──
さっきまで自分の中で渦巻いていた焦燥も、欲も、
ゆっくりと、優しさに変わっていくのを感じた。
(……何もできなかったけど、まあ、いいか)
お預けを食らって、未練がないといえば嘘になる。けれどそれでも──こうして、何の隔てもなく隣にいられるだけで、胸の奥はじんわりと、満たされた。
ふと、視線を落とすと、毛布の中から覗くキルの手が、無防備に枕元に伸びている。
弐十はそっと自分の手を重ね、指を絡めた。
軽く握ったその手から、ぬくもりがじんわりと伝わってくる。
(……あったかい)
心の中でそう呟いた瞬間、ふっと全身から力が抜けた。
肩の力が抜け、まぶたも重くなっていく。
すぐ隣には、変わらず安らかな寝息。
安心感に包まれた弐十は、繋いだ手にそっと力を込めた。
今朝から積もった疲れと、
込み上げる想いに揺さぶられた時間が、
静かに終わろうとしている。
恋人の寝息に導かれるように
弐十もまた、ゆっくりと意識を手放した──