_あんな想いなんて、することないと思ってた。
あの時は、ただ、恋に憧れていただけだったんだ……。
ハヤシライス。カレーライス。ラーメン。きつねうどんは、プラス五十円でかきあげもつけられる。日替わり定食のほかに、A定食とB定食も。
ずらりと並んだメニューの短冊を見上げた空は、目と口をまん丸にして、感激のあまり、はあ〜〜〜と息を吐いていた。
カルチャーショックってやつに、襲われたのだ。
四月。高校生活の、はじまり。
「空、なに食べる?」
券売機の前にスタンバイしている咲和ちゃんが、声をかけてきた。
「咲和ちゃん、メニューがたくさんあるよ! 給食とちがう!!」
「そりゃあ学食だし。ほら早く決めて」
大興奮の空とは対照的に、咲和ちゃんはきわめて事務的だ。これだけ豊富なメニューを見て、なんで平然としていられるのだろう。
人は自分にないものにひかれるらしい。
黒髪をサイドテールにしている咲和ちゃんに、入学式の時から、空は目をつけていた。
美人なうえに、落ち着いた雰囲気をただよわせていたからだ。高校に入って浮かれているほかの生徒たちとは、なんというか__格がちがう? 印象を受けた。
おなじクラスだとわかったときには、運命を感じた。
粟井咲和、という名前のようだ。素敵ではないか……ちょっと変わってる気もするけど。
ほかの子たちとは、気後れしてか、彼女に話しかけようとはしなかった。彼女のほうも、自分から距離を縮めようとはしない。その姿が、空の目にはとても毅然として見えた。
どきどきしながら、声をかける。
「『くりいさくわ』ちゃん?」
机に座ったまま、彼女は空を見上げた。
「『あわいさわ』だけど」クール__というか、無表情にこたえた。
「えー これって『あわい』って読むんだ!? すごーい!」空は本気で感動した。「さわ」はまだわかるが、「粟井」は何度見ても「くりい」としか読めない。
「べつに、おどろくようなことじゃないと思うけど」
それは自分の名前だからだよ。おどろく人のほうが、絶対多いと思う。
「じゃあ、咲和ちゃん、って呼んでいい? 咲和ちゃん美人だね。よく言われるでしょ? あ、あたし、蒼井空、空、って呼んで。よかったら、友達になろ?」
一方的に話す空の言葉を、咲和ちゃんは、表情を変えずに聞いていたが、聞き終えると、うなずいた。ごくごく控えめだけれど、感じの良い笑みを浮かべて。
「よろしく」
こうしてふたりは友達になったのだ。
とりあえず、空の今月の目標は決まった。
学食メニュー、全制覇。
男子は制服のズボンにシャツを着て、ノータイでひとつ目のボタンを開けている人が多く、女の子は、タータンチェックのミニスカートの上は、襟を開けたブラウスにネクタイをして、指定のセーターかカーディガンを着ている人が多い。
広い学食を行き交う男女を見ていると、高校生になった実感が、ひしひしと湧いてくる。
テーブルについたふたりは、食事をすませると、「部活動ガイド」を開いた。
「あたしはバレーかな。中学からやってるし。空、『出会いが多そうな部活がいい』とか、ヨコシマなこと言ってたよね。」
「え?!」
咲和ちゃんの指摘に、空はギクッとする。そんなこと、おぼえてなくていいのに。
「わ! ”現代文化調査研究部”とかまであるよ。これとかなにすんのってかんじ! ね?」
適当なページを開いて、いい加減なコメントをしたが、
「ハイ、ごまかさない」
咲和ちゃんには、しっかり見抜かれてしまっている。
そう。新しい生活を迎えるにあたって、学食メニューの制覇なんかより、はるかに大事なことがある。
入りたい部活とか見つけて__願わくは、甘い恋。
そのときだった。
ガタッ。ドカッ。長いテーブルに並んでいた空と咲和ちゃんの正面に、派手に音をたてて、だれかが席に着いた。
ふたりの男子生徒だ。
明るい色の髪の毛をショートにした男子と、カラーリングをしていない髪の毛を、ナチュラルなミディアムにしている男子と。
「うわ〜〜〜〜、わっかんない、ヨコのカギの15!『セーラームーンに出てくるヒーロー。○○○○○仮面』五文字」
茶髪の彼が、わざとらしいまでの大声をあげて、ペンを持った手で額を押さえた。もう片方の手には、クロスワードパズルの雑誌。
「ええっ!? あの、女の子に大人気だったセーラームーン!? 俺、ガキのころ、テレビ観てたよ。なんだっけ……?」
明るいショートの彼が、これまた輪をかけて大げさなリアクションをすると、ふたりでうんうん唸りはじめた。
なんだかやけに芝居がかかっている。けど、なんで?
「……空。そろそろ教室、戻ろっか」
咲和ちゃんは、「あからさまな人たちが……」と、ふたりを見て眉をひそめている。
あからさま……って?
それよりも空は、クロスワードの質問が気になっていた。『美少女戦士セーラームーン』なら、ちっちゃいころアニメを観ていたので、おぼえている。
五文字……指を折りながら数えた。ひょっとして。
「タキシード仮面……?」
思いきって声に出した。
空の、正面に座っていた茶髪の彼が、額から手をはずして、人差し指をこちらに向けた。
「……天才?」
目が合って、空はどきっとする。
大きくて、たれ目で、なんていうか、雰囲気のあるまなざしだった。
「ぁあっれ〜。もしかして、クロスワード好き!? 1年生だよね?」
ざかざかとテーブルの上に身を乗り出してきたのは、ショートの彼のほうだった。
「え。は、はあ」
「ぐ〜〜ぜ〜〜ん。俺ら三年で! 現代文化調査研究部っての、やってんだけど!!」
ふたりとも先輩だったのだ。
なにが偶然なのかはよくわからないままに、勢いに呑まれて、空は部活動ガイドに目を落とした。さっき開いたばかりのページだ。
『我が現代文化調査研究部は、多様化する現代の文化を調査・研究する目的のため、一九七四年に結成_』
『移ろゆく表層たるさまざまな事象の根底に存在する文化の本質を深く理解すべく調査研究を行い__』
『独自研究によって得られた成果を広く万人に開示し共有するため、また、そこで得られた新たな知見をさらなる真理の研究に生かすべく随時研究発表を行うことを旨とし__』
誌面が黒く見えるほど、びっしりと文字が並んでいる。はっきりいって、まるっきりわけがわからない。
「さ、咲和ちゃん、ごめんね」
うかうかとクロスワードに答えてしまったことを、空は後悔しはじめていた。ややこしい人たちにつかまってしまった、と思ったのだ。
「あ、それ」白髪の先輩が、目ざとく気づいた。
「その案内、こむずかしいこと書いてあっけど、全部嘘だから。なんちゅーの、先生向け?じっさいは__あれ、今週って何部?」
「クロスワード部じゃん。いまやってんじゃん!」ショートの先輩が、助け船を出す。
「あ___そうそう。まあ、ここで話すのもなんだからさ。部室、来ないすか?」
白髪の先輩がにっこり笑った。
黙っているとらちょっと冷たそうにも見えるのに、笑顔は、子供みたいに罪がない。自分の胸がとくん、と動くのが空にはわかった。
「……行きます」そうこたえていた。
バカッ__咲和ちゃんが、小声で叱った。
あ、そうか。これってつまり……ややこしそうな部に勧誘されてる?しまった、と思ったが、「ハーイ決定ー!」
ショートの先輩に押しきられてしまった。