マップを展開して、教会から廃屋と料理店どちらが近いかを確認する。
微妙な距離ではあったが料理店の方が近かったので、そちらへ足を向けた。
「料理店は私がやるからね! 前にも同じ店でやったことがあるから、任せてほしいんだ!」
「本当? 凄い偶然だねぇ!」
「くっく。主人の驚いた顔も悪くはなかったが、その後の一言が秀逸だったな」
排水溝掃除のどこに驚く要素があるのかと首を傾げているうちに、料理店へと到着した。
裏口から声をかけると、如何にも名前だけの二代目店主です! といった傲慢な雰囲気を醸し出した若い男性が顔を覗かせる。
「この、くっそ忙しいときに、なんだよ! ん、ぁ? 上玉だな! おいおい! あんたらなんで冒険者なんかやってんだよ!」
「……主人を呼んでもらおうかの」
「あぁ! 俺がこの店の責任者だよ!」
「……代替わりしたのかぇ?」
「ちっ! あんたらには関係ねぇことじゃねぇかっ!」
依頼書は前回見た名前と同じだったと移動中に聞いている。
ならば、直接依頼主に話をするのが道理だ。
雪華と彩絲の口調が終始楽しげだったのを考えると、どうやら息子? らしきこの男性だけが駄目男なのだろう。
もう一度本来の依頼主を呼ぼうと声を上げかけるのを、雪華が止める。
愛らしさを極めた女性の悪巧み笑いは、不思議と可憐に見えた。
男性も頬を染めて口をぱかーんと開けている。
『考えがあるから、任せてもらっても平気?』
雪華の念話に了解の意思を伝えた。
「では、依頼を遂行したいと思います。排水溝の掃除で間違えありませんね?」
「お! おう! そうだ。料理店なのに悪臭がするとか難癖をつけられちゃ、たまったもんじゃねぇからな!」
現場に移動すると、男性がついてきた。
仕事が忙しいんじゃなかったのかと突っ込みたかったが、雪華の願ったり叶ったりよ!との念話に沈黙を貫く。
「よぅ、あんた。男いねぇんだろ? 俺と付き合えよ!」
男性が私の腕を掴もうとするも、彩絲が男性の頬を音も高く叩いたので叶わない。
心の中で、最高の旦那様がいますが何か? と、答えておく。
というか、勝手に決めつけないでほしいものだ。
「この方は既婚者じゃ! 触れるでない!」
「いってぇなぁ! 女房に冒険者なんぞさせてる亭主なんてろくなもんじゃねぇだろ! そんな屑と別れて、俺と一緒になれよ! な?」
愛人になれとか言われなかっただけマシと思う自分は、随分と電波に慣れているのだろう。
一般的に見ればイケメンで、王都でも名の知れた料理店の次期店主? ともなれば、断る女性は少なかったのかもしれない。
男性は断られるとは思ってもいない様子で鼻息も荒く、私に向けて手を差し伸べている。 料理人の手とは思えない、綺麗な手に眉根を寄せた。
「あ!」
男性の背後で雪華が突然大蛇姿になったので、小さく驚きの声を上げる。
「は? ひぃいいいいいいいいいいい!」
私の声に背後を振り返った男性は、雪華の本来の姿を見て悲鳴を上げた挙げ句、へたり込んで失禁までしてしまった。
「……失禁はないのぉ」
「ちなみに、依頼主は?」
「飛び上がって驚いたあとで、何人前の蛇料理フルコースができるだろうな! と目を輝かせていたぞ」
「ぶっ!」
根っからの料理人らしい言葉に私も吹き出した。
その後は、きちんと自分の失言も詫びたとのことで、こちらにも当然遺恨はない。
最も雪華の性格上、自分を食材扱いされたとしても、食べてみたいかもしれない! と尻尾部分ぐらいは差し出す気もする。
「な! な! な!」
腰を抜かした男性は雪華を指差して、満足に言葉も紡げないようだ。
無様の一言に尽きる。
「このど阿呆がっ! わざわざ面倒な掃除を引き受けてくれた御婦人を指差すとは、失礼極まりないぞ! そもそもこの排水溝がここまで汚れたのは、貴様が掃除をさぼったせいじゃろう!」
コック帽を被ったままの老年の男性が裏口の扉を大きく開け放して現れる。
もさもさの白髭をちょっと触らせてほしいと思ってしまった。
「だ! じいちゃん! あれっ! 化け物っ! 駆除! 退治!」
「化け物じゃないわ! このたわけがっ! 守護獣がどれほどの者か知らんのか、うぬは! 駆除、退治されるべきなのは貴様の方じゃ!」
「ぎっ!」
男性は依頼主だろう祖父に、拳骨を落とされた挙げ句、尻を蹴り飛ばされている。
「さっさと着替えて、皿洗いをしろっ!」
「皿洗いなんて、見習いのすることじゃねぇか! 俺は接客!」
「見習い以下の仕事しかできねぇ屑が、吹かしてるんじゃねぇ! 接客だって最悪だ! 四の五の抜かすなら、他の店に修行に出すぞっ!」
「そりゃねぇ……」
「ちっ! もう、いいっ! 肉肉パラダイスで解体から学んでこいや!」
依頼主がもう一度尻を蹴り飛ばすと、従業員と思わしき人物が現れて深々と私たちに頭を下げたあとで、男性の首を絞め落とし足首を持って引きずっていってしまった。
「な、なかなかに過激……」
「や、もう。本当に申し訳ない!」
依頼主がコック帽を外して、きっちり九十度の腰折りで謝罪をしてくれる。
「随分と甘やかしたみたいじゃのぅ」
「……アレの母親がな。不憫な孫と思って今まで面倒を見てきたのじゃが……外へ出て、精進するならば良し、しないならば母親と一緒に切り捨てることにするしかなさそうじゃ」
毒親の被害者なら猶予を見ても良さそうなものだが、今の態度から良識どころか常識もないと判断できる。
猛毒親を持つ自分としては幾ばくかの同情を持つべきなのかもしれないが、そこから抜け出せる手段を数多与えられて尚、楽な道に走ったとしたのならば、むしろ唾棄すべき存在としか思えなかった。
「雪華殿の掃除っぷりを見て、英気を養ってから、戻るとしますわい」
腕組みをした依頼主が、目を細めて排水溝のそばに立った雪華を見詰める。
鎌首を擡げた状態で、首が大きく引かれた。
ぴゅうっと吐き出されたのは、凄まじい勢いの水線。
向こうが見えない状態だった排水溝に小さな穴が貫通する。
「これからが、爽快でのぅ!」
依頼主が手招きするのでそばに寄る。
排水溝の中にすぽりと収まった雪華は、そのまま全身を排水溝の奥へと踊らせた。
「全身に浄化の結界を張っておるから、病気などの心配はないぞ?」
思わず走り出そうとした私は彩絲の言葉に足を止める。
雪華に害が及ばないのなら焦る必要はない。
すっぽーん! と爽快な音を立てて、汚れを周囲に飛び散らせることもなく、反対側へと綺麗に汚泥を押し出した雪華は、更に水を吹きかけて排水溝内を掃除する。
排水路は今しがた工事が完成しましたとばかりにぴかぴかになった。
ほんのりとミント系の爽やかな香りまで漂い、流れる水も清らかなものだ。
「……相変わらず見事じゃった! 評価は無論水晶とさせていただく。孫の態度の詫びとしてうちの料理のフルコース無料券ももらってくれると嬉しいんじゃが……」
「いいの? このお店の料理は何を食べても美味しいのよ! 早速今夜の夕食にでも使いましょう!」
何時の間にか可憐な少女姿に戻った雪華が、私の背中に覆い被さりながら笑う。
『フルコース無料券三人分だと最低でも30ギルには相当するよー。この店主が気合いを入れたオリジナルコースとかなったら、300ギル相当にもなるよー』
慰謝料にしては過分な気もするが、ここは拒否するべき場面でもないだろう。
「妾もブラックサモンのムニエールを、久しぶりにいただきたいのぅ。まだメニューにあるかえ?」
彩絲も食べたことがあるようだ。
「お前さんが店の在庫を食い尽くす勢いで食べてくれてから、不動の当料理店看板メニューじゃよ」
「それは上々。主にも是非食べてほしいのぅ。うーん。黒い鮭のムニエル、と考えれば間違いなかろう」
「ふふ。鮭は大好きだから楽しみだな」
黒いというのが気にはなるが、蛍光ピンクやブルーよりは受け入れやすい。
依頼主から改めて感謝の言葉をもらい、夕食は気合いを入れて作りますからのー! の声に送り出されて次の依頼場所へと向かった。