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 月が霞んで見えるのは、街の空気が濁っているからだ。
ニナは、薄暗いアパートの屋上で、ひとり風を感じていた。足元ではボロボロになったトレーナーが擦り切れ、膝に包帯が巻かれている。
 学校は、辞めた。
というより、行けなくなった。ある日突然、友達に距離を置かれ、教師たちの視線が冷たくなったのだ。理由はわからない。ただ一つだけ――事故の日からすべてが変わった。
 
 「……あのとき、走ったんだよね。誰も見てなかったけど」
 
 事故。バイクとトラックの衝突。
気づけばニナは歩道から車道に出ていて、目の前の男の子を抱えていた。
トラックはまだ遠かったはずなのに、なぜか「次の瞬間」には助けていた。
 誰も信じてくれなかった。
周囲の証言では、「いつの間にか、そこにいた」と。
 
 「私だけ、見た。自分が、空気を裂いて走ったって」
 
 それ以来、何かが自分の中で眠っている気がしていた。
呼吸を整え、目を閉じる。胸の奥が、熱を帯びる。
 
 カチッ。
 
 耳の中で、小さな音が鳴った。金属のはじけるような感覚。
思わず足が前に出たその瞬間、景色が白く伸びた。
 ビルの端から端まで、一瞬で移動していた。
 
 「……やっぱり、私、おかしい」
 
 怖くなかった。ただ、驚いた。そして同時に、どこか懐かしかった。
何かを、取り戻していく感覚。もしかするとこれは“異能”なのかもしれない。だが
 
 『異能者なんていない。あれは都市伝説。メディアが創作した嘘さ』
 
 世間では、そう言われている。SNSにもそんな話は一切ない。
能力者は、存在しないものとして処理されていた。
 けれど、自分の足は間違いなく、世界を切り裂いた。
ニナは、はじめてこの国に疑問を抱いた。
 
 
 
 その夜。
ニナの部屋のインターホンが静かに鳴った。時計は午前1時。誰かが訪ねてくるような時間ではない。
 モニターを見ると、画面には黒いコートを羽織った女性が立っていた。だがその姿は、街灯の中にほとんど溶け込んでいる。表情も読み取れない。
 
 「……誰?」
 
 ドアノブに手をかけた瞬間、言葉が届いた。
「中井ニナさんですね。少し、話がしたい」
 
 声は澄んでいて、低くも高くもなかった。だが、不思議と拒絶感がない。
扉を開けると、その女性は小さくうなずいた。
 
 「あなたは、走った。そうですね?」
 
 ニナの心臓が跳ねた。誰にも言っていないはずだった。
その女は、静かに言った。
 
 「私たちはレクイエムと言う組織に所属しています。政府に隠された真実と、異能者たちの記憶を取り戻すために活動している組織です。……あなたの力は、今後のレクイエムに必要不可欠なんです」
 
 レクイエム
その名前には、どこか優しさと怒りが混ざっていた。
ニナは一歩だけ下がった。
 
 「ごめんなさい。私、そんなつもりじゃ……私はただ、自分が壊れてるんじゃないかって……」
 
 女性は首を横に振った。
 
 「壊れてなんかいません。あなたは、目覚めただけです。隠されていた本当の世界に。……私もそうでした」
 
 その目は、何かを失った人の色をしていた。
同時に、何かを守る決意の色でもあった。
 
 ニナは気づいた。自分は今、扉の前にいる。
過去に戻ることも、見ないふりをすることもできる。だが。
 
 「……行きます、、ちゃんと知りたい」
 
 その選択は、ただの少女のものだった。
戦う理由も覚悟もまだない。ただ、自分が自分であることを確かめたいだけ。
 でも、それがきっと、最初の一歩になると、魂が知っていた。
 
 
 
 その頃、都心の中心の巨大なタワーでは、一人の男がモニターを見ていた。
白柳陣。無機質な表情。視線は冷たく、鋭い。
 
 「また能力者が目覚めたか…」
 
 隣の部下が尋ねる。「始末しますか?」
白柳は首を振る。
 
 「いいや、まだだ。……試金石になるかもしれない」
 
 画面の中で、ニナが葵と共に闇の中へ歩み出す。
 
 「その行動がどちらに動くか…」