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湯上りの熱した体で布団に転がり、クーラーから吐き出される涼しい風にぼうっとする頭を冷蔵庫から取り出してきたチョコアイスに齧りつき内側からも体を冷やす。これが桃子の夏夜のルーティンだった。1日も終わりあとは眠りに落ちるだけ。気負うことも悩みも全て一旦捨て置けるこの時間が好きだった。何せあとは眠りに落ちるだけというのが最高の響きである。人工の冷風が少し肩に応えるが少しすれば慣れるだろう。桃子は右手に持ったチョコアイスにバキリと音を立てながら左手でベットサイドからスマホを取り出し動画サイトを慣れた手つきで開く。特に面白そうな動画は無くおすすめに流れ着いた動画を意味もなく開いて垂れ流していた。眠りが近づいているのか段々と動画の声が頭に入らずに通り抜けていく。段々口の中に入れていたチョコアイスも味が分からなくなってきた。布団汚す前に食べきらないとなぁ…なんて考えていると真後ろの窓から音が聞こえる。 刹那、背筋が凍った。コツコツ、コツコツと小刻みに窓が鳴いている。この不気味な音はつい数日前から毎夜桃子の部屋を訪れては窓を鳴らし続けている。正体は未だ知らぬまま。否怖くてカーテンを開けてその奥に居るであろうナニカを見る勇気が出ないためいつも聞こえないふりをしてナニカが窓を叩くのを止めるのを身震いしながら待っていた。これまで通りならば数分から30分の間叩き続け、その後バサリと大きな鳥が飛び立ったかのような音が鳴ったかと思うと何事も無かったかのように半夜の静けさが舞い戻る。かれこれ数分の我慢だと思い桃子はパジャマのズボンの右ポケットに入れていたイヤホンを取り出し音楽を流す。耳障りな恐怖は楽しい音楽で蓋をして紛らわそうと少し震えた人差し指で再生ボタンを押した。
おかしい。何かおかしい。もう一時間経ったはずである。未だに後ろの窓からは勢いよく音が鳴り続けている。しかも最初の頃の指先でつつくような音と打って変わって激しく拳をガラスに当てるような音がしている。イヤホン越しからでもその鈍いドンドンという音が聞こえる。時間が過ぎる度に強く、そして早くなるその音に怯えるしかなくなった桃子は何も考えがつかなくなり、とりあえず藁にもすがる思いで布団に潜り込んだ。それから数分経っても音は止まない。
「どうして…なんなの。止めて。怖いよ」
暖かい布団に包まりながらも震えが止まらない身体。付けていたクーラーは設定したタイマーが停止時間を過ぎたためいつの間にか消えている。アイスで冷やした身体の温度とは違う寒さが全身に走っている。音は無慈悲にも響く。どんどんと大きく、速く。
開ケて…開けテ…開ケテ…開ケて…ネェ、開ケテ!開けテヨ!
「ひぃっっ!!」
窓を拳で打ち付ける音の合間に聞こえてきた小さな呟くような懇願する声に桃子は驚き肩を跳ね上げた。いやいや!なんで開けなくちゃならないの!知らない人のお願いに答えるほど優しくはない。しかもここは2階の部屋の窓だ。普通の人なら窓を叩くなんてことは出来ないはずだ。だとすればもう窓を開けたら時すでに遅し。魂でも取られてしまうんじゃないかと桃子は思った。桃子は相手が諦めることを願って布団を深く頭から被り音を聞こえないようにしてイヤホンをそっと外して眠るフリをする事にした。否それしか今の桃子の取り乱した頭は思いつかなかった。
バコン!と過去一番大きな音で窓を殴られた。鈍く重い音が部屋に響いた。そこからは何も起こらなかった。先程までしつこく叩かれていた窓はうんともすんとも言わなくなった。やっと諦めたか、やれやれと無意識のうちに出ていた冷や汗が体温に温められている気がする。やっと収まったか…と少し気を抜いた。
「あ、あぁ!」
「!?」
肩を跳ね上がらせた。もう何もいなくなったと思っていた窓の外側から金属をキィッと引っ掻いた音がした。そしてそれに合わせて人らしき声が急速に下に落ちていくのが聞こえた。
え、落ちた?落ちてったよね?恐らくは家の庭だろう。本当にいないのだろうか?これまでの全て私の幻聴だったりしない?窓の奥を確認したことなどなかったのだからもしかしたら鳥のイタズラかもしれないし…兎に角確認しよう。一刻も早く毎日怯えていた音の恐怖から解放されたい。震える心を自分で鼓舞し思い切って閉じきったカーテンを開けた。その奥には暗黒色の夜と硝子に映る桃子が見える。硝子に映る部屋や自分が邪魔でよく見えない。窓を開けてみる。網戸越しの世界から冷めた部屋に湿度でぬうっとした少し重い暑さが入り込む。何も見えない。真っ暗闇である。何もいないのを確認して窓を閉める。部屋の冷たさも無くなっている。クーラーをかけ直し、一応庭に出て”何も”落ちていないか確認しようと思う。戻ってくる頃には部屋はまた涼しくなっているだろう。適当にタンスから取り出した靴下を履いて階段を降りる。下駄箱で見慣れた靴を履いて立ち上がる。それだけで心臓の動きが速くなっている。口から吐き出た息には不安や恐怖など様々な感情がこもった。ドアを開けて後ろにある庭へ足を進める。人が寝静まった夜に自分の足音だけが響く。一歩一歩進む度に鼓動が早くなる。目も段々暗闇に慣れてきて足元の様子も見えるようになってきた。
我が家の庭はそんなに広くは無い。小さな倉庫1つと母が育てている植木鉢が三つと小さな椅子が一つ置いてあるぐらいだ。あとは土だけであり少人数で小さいバーベキューができる程度の広さである。今は庭の真ん中に大の字に黒い何かがが見える。桃子は家の角から庭を覗き込んでいる。見慣れた庭が今は憂いの原因である。いや庭が悪い訳では無いが。黒い何かはピクリとも動かない。ただそこに佇んでいる。もっと近くで見ようかと思ったが暗闇で一人何物かもわからないものを見に来た桃子の心は限界が近かった。黒い何かを見つけたその時から息が上がりきっており心拍は急上昇して心臓から鈍痛がする。上手く息を吸おうとするのにいっぱいである。来るんじゃなかった。自分の恐怖を押し殺してまで来たことを今更ながらに後悔した。いや、誰か家族ひとりでも起こして来てもらうべきだった。倉庫に自転車を直すのを手伝って欲しいとでも機転を利かせて言えばよかった。もう無理、限界。これ以上ここにいると桃子の心身が縮んで今にでも泣きそうだった。もうこの場から離れて家の戸締りをしっかりして明日の朝にでも父に一緒に見てもらおう。そう踏ん切りを付けた。今すぐにでもこの場を去ろう、そうしよう。桃子は家の中に戻ろうと怯みかけた足を動かした。鈍い足をゆっくりと動かし庭に背を向けた。
「モウ行っちゃうノ?」
桃子は全力で走り出した。背を向けた瞬間に自分にかけられた声が頭の中で何度もこだまする。やられた。おそらく声の主はあの大の字の黒い何かであろうことはわかった。見られていたのだ。自分が家の角から覗いていたことを。最悪だ。少し目尻に水が溜まっている事にも気が付かない程もう桃子の心は声をかけてきた何かに恐怖で包まれてしまった。怖い、もしかして私殺されちゃうんじゃ…。
「…はぁ、っあっ。あぁ…はぁはぁ。」
あまり運動をしない体で久しぶりに動いているから心臓が直ぐに締め付けられて痛い。喉も乾いている。段々と足の速さも落ちてきている。足も痛くなってきた、もう駄目だ。ふらふらと減速し遂に疲労によりしゃがみこんでしまった。早く立ち上がらなきゃ…と思っていても体は心にはついていけるほど鍛えられていない。吐き出した熱の分次々と乾いた喉から肺に蒸し暑い空気が次々と補填される。ぎゅうっと締め付けられた心臓の痛みを抑えたくて手で胸を押さえる。
「ねェ、大丈夫?ソンナニ怖がらなくてもサ、俺何ニもしなナイヨ?」
後ろを振り返る。瞬間息を飲む。そこには一人の男が立っていた。白いシャツに黒いマント、そして特徴的な黒いシルクハットを被っている彼は陶器のように白い肌をしており鼻筋綺麗な整った顔立ちであった。俗に言う塩顔というのに該当するのだろう。目はガーネットのように赤く輝いている。昔のヨーロッパ貴族のような服装の彼は桃子を見下ろして眉を下げて気遣わしげな表情だった。
「Well、ソの…コンバンハ?初めまシテ?」
桃子に投げかけられた声はどこか落ち着く朗らかな音色を奏でている。
「ええっと、俺ライアン。君はモモコ?」
「え?」
「Oh、君の名前ハ君のこと見てタ時に君の隣で喋ってた女の子がソウ呼んでたカラ言ってみたんだケド…違ってタ?」
「いや、合ってますけど。あの見てたって言うのはどういう…」
自分とどこかですれ違ったことでもあるのか?と疑問に思って彼の顔を見ても当の本人は薄い唇を動かし
「Oh! ソレはよかった!」
と、少しカタコトの日本語を操り、先程より少し機嫌が良さそうなだけであった。そしてニンマリとした笑顔で腰を曲げ桃子に颯爽と右手を差し出してきた。
「お手をドウゾ、my lady」
「え、いやお構いなく…」
「Oh my!ソンナに俺にエンリョしないで!Come here!」
そう言うと彼は私に手を伸ばし引っ張り上げた。
「うわっ!」
「Sorry!強くシすぎタネ、ダイジョウブ?」
思いの外力が強く思い切り引き上げられたせいで立ち上がった瞬間力に耐えきれずよろめいて転けると思った。が、彼が桃子が倒れる前に腰を抱いて支えてくれた。しかし彼の胸板におでこをぶつけてしまった。
「すみません。平衡感覚が弱くて」
「Don’t worry!何二モ気にすることじゃない」
彼はニコニコと笑顔で桃子に向かって笑いかけている。覗いた口から少し尖った八重歯が見える。
そちら側は気にしないかもしれないが私は気にするんだよ、と心の中でボヤいた。
「どうも…あのそろそろ手を離してください。もう自分の足で立てますから」
桃子はそう言った後に彼の手を自分の腰から剥がそうとした。
彼が支えてくれたおかげで体制は整っている。彼から逃げようとした時に起こった喉の乾きも跳ね上がっていた鼓動も今は少し落ち着いている。しかし先程から腰に当てられた手が男性らしいゴツゴツとしたもので、男性からこんな風にしっかりと触られたことなどほぼほぼ経験がないため緊張と恥ずかしさを覚える。そもそも蜜月の男女でもなければ友達でもなく知り合ったばかりである。そして二人の出会いは桃子にとっては恐怖感情しか湧かずサイアクなものであった。
「さっきも言ったケド俺にエンリョはナシでいいよ。寧ろ君ならwelcomeサ!ほら、こんなフウにしても…」
腰に当てられていた手で強く引き寄せられた。ぐっと彼の顔が近くなる。
「ちょっと、え?」
「Haha!そんな顔はハジメマシテだね、とてもミリョク溢レる表情だよ!」
「はぁ?」
ぐいっと引き寄せられた腰には前よりしっかりと密着する彼の手がある。男らしい手の骨格と自分とは違う温度の熱を触れた部分から感じる。じぃんと耳が熱くなってきた気がする。頬にあたる夏の夜風が冷たく感じる。桃子は自分が恥ずかしがっていることに気がついて余計に恥ずかしくなった。
例の彼は桃子の様子を見てくすくすと声を上げている。この人はパーソナルスペースという言葉を知らなさそうだ。全体的に近い。色々と物凄く近い、近すぎる。
「あの、暑いんですけど…」
「Huh?モモコのホッペタが?」
「違う!!貴方とくっついてるのが暑いってことです!今の季節は夏ですよ?」
「oh!サマーですか、サマーといえば日本はピーチが美味しい季節だと誰かから聞きましたが、ホントウですね!ここにとっても美味しそうなピーチが…」
「って!触らないで!!」
桃子は相手に向かって思いっきり頭突きをした。私の顎をいきなりスっと掴んで顔が少し近づいて来たから危険予知が働いて気づいたら相手のおでこに向かって飛びかかっていた。
「Whoa、モモコ!頭突きヲ俺にシナイで!イタイデスよ!」
彼はおでこを片手で抑えてアウチ!と頻りにわざとらしく言っている。もう片方の手は相変わらず桃子の腰にある。頭突きをかました一瞬だけ手が離れた気がしたが、それに気づいた時にはまた腰に手を回されていた。
「貴方バカなの?初対面で顎持ち上げて何しようとしてたの?」
「Haha!ソンナニ怒らないデ!モモコのピーチのようなかわいい頬に少しキスしヨウトしただけダヨ?」
「はぁ????」
返答を聞きあまりにも理解できない回答に大きな声で叫んでしまった。
ほぼ初対面の自分にキスをしようとするなんて何を考えているんだ…。その癖ヘラヘラとした口調で言い訳をしてくるし全体的に飄々としたその態度も少しイラッとする。初対面で頬キスをするぐらいなら多分誰でも彼でもキスするような人だろうな。嗚呼、最悪自分の初キスを奪われでもしたら絶望と悲しみのあまりその場で死んでしまうだろうなと桃子は頭の中でもしかしたらされてしまっていたかもしれない口付けをされた自分の末路を想像して顔が熱くなった後に相手の貞操観念の低さに頭が冴えた。
「セクハラで警察に通報しますよ?てかもう真夜中なんですよ、こんなに騒いでたらみんなに迷惑になりますし、知らない貴方がこの敷地にいるの普通に不法侵入なんで今すぐ出て行ってもらえます!?」
桃子は恥ずかしいのを隠すように彼に攻め立てるように早口で告げた。しかしその言葉を聞いて彼は額に皺を寄せた。
「uuum…それはチョット難しいカナ」
「いや難しいもくそもないですから。私もう寝たいので早く出て行ってください」
「Hmmm…アノね!俺ね!」
「話を変えようとしないで!」
「違ウよ!俺目的がアってココに来たノ。ソレ叶うマデ帰れナイの。じゃナイと俺最悪死ぬカモなの」
「え?いやいやなんか話の方向性変わってきてません?死ぬ死ぬ詐欺ですか?騙されませんよ?」
「No!ホント!モモコ、これダケはホントウ!俺このままダと死ヌ!」
「は、はぁ???」
ちゃらんぽらんな態度とは打って変わって必死の形相でどこか懇願している声で桃子は驚いた。ずっと余裕な顔な相手がこんなに必死にお願いしてくるとは思っていなかった。また自分をからかってにやけ顔を向けてくるものだと思っていた。
「ネぇモモコ、お願いダヨ」
彼は桃子の腰から手を離し、彼女の手を握ってきた。自分より熱い表面温度が直に脳に伝わってきて少しドキッとしてしまった。
「モモコ、俺ホントに死ンじゃうカモなんだ…」
「う、うん?」
「死なナイよう二スるにはモモコ、君がドウシテも必要…。ダカラ俺に協力シテ欲しクテ…。」
「はぁ…あのなんで死ぬかもしれないんですか?まずそこを教えていただけると助かります。あと、一応聞きますけど何をしたら助かるんですか?全く理解が追いつかない…」
「Oh!ソウデスよね、チャンと説明します!ダカラどうか俺を助ケて欲しイデス…」
「とりあえず話だけ聞かせてください。助けれるかは内容によって変わってくるし、私にもできることとできないことあるし」
桃子の声を聞いてから少し間を置いて彼は重そうに口を開けて話し始めた。
「モモコ、俺ハねvampire…キューケツキって奴なの」
「…何言ってんのアンタ?」
「モモコ?」
「あ、コホン。続けてください」
あんまりにも変なことを言い出すものだからつい本音がポロリと口から出てしまった。
彼曰く自分は吸血鬼の一族の末裔であり今は旅行中の身らしい。昼間は美味しいパフェを食べたりだとか、日本の歴史的建造物の見学をしたりだとかそういうことをして夜はバーに行ったり夜市を見学していたらしい。私の住んでいる街にも大きくて有名なお寺があると聞いて来たらしい。吸血鬼が昼間に出歩いて太陽光は大丈夫なのか?と聞いたら「そんなモノは嘘八百。騙されててカワイソウ」とまで言われた。ちなみに彼自身は大蒜は好きだが口臭のことを考えると快く進んで食べることは難しいらしいという至ってどうでもいい情報まで教えてくれた。
「ニンニク、十字架(クロス)、タイヨーコー。苦手なのは全部嘘。ニンニク嫌いダッタのは大昔ノご先祖サマの一人だしタイヨーコーも家族ミンナ外出ナイだけデ浴びてモ何も無いヨ。十字架に至ってハpowerがあるト思うカラ逃げるダケであって何も怖くナイって思えバ何もpowerナイよ。ソモソモ俺十字架使う宗教信仰してナイからpower信じてナイし」
「そんなもんなの?」
「ソウイウものだよ。思い込みの力は意識してナイところにマデ影響与エル。十字架を見て逃げ出すノハ元々御先祖サマが十字架を使う宗教を信仰シテたから。ケド今は俺ノ家族だれも宗教信ジてナイから無意味。十字架使う宗教は嫌いダケど十字架を怖がッたことはナイかなぁ」
彼は一息吐き出して月を見上げた。
「元々俺ノ御先祖は十字架を使ウ宗教を信仰シテた。ソノ理由は原因不明の遺伝ノ病気を治スため。何代モ続けテ信仰し続ケタ。デモ、病は治らず代が進ム毎二耳はトンガって牙も生エテ明らか人と離れた見た目二なってしまって、同じ宗教仲間カラ病のせいで除け者にサレて神官達モ俺の一族ヲ化け物だと言い放ッタ。御先祖は外二出るだけデ石を投げラレたり暴言言わレタりした。ダカラ人里カラ離れた場所に居住ヲ移して人間が活動する時間ハ外に出られナクなった。まあ、未だに病ハ治らないケドね」
「吸血が遺伝の病気?」
「YES。というより人の血を適度に身体に入れないとイケナくて一番簡単な方法ガ飲むコトナノね。何代も経った今でもしっかりうつっテルし。俺も俺ノ妹モ、親父もネ…。そのセイで俺達一族ハ血を飲まいとイケナイ。現代ハ輸血パック等モあるから人間ヲ襲うナンてこともシナクテよくなったし楽ダヨ」
「吸血鬼って遺伝の病気が原因なんだ…。ねぇ、今の医療ならその病気治らないの?せめて原因とかわかったりしないの?」
「モモコ」
彼は月から目を離して桃子を見下ろした。月光下に見える表情は憤りと哀情で薄らと飾られている。
「ソンナコトをしたら俺達ハ人間の玩具にサレちゃうよ。吸血鬼ナンて珍しい生き物、最悪一族全員研究室行き二サレて世間サマからはまた化け物とシテ晒されいい様にされる。俺はソンナことになりたくテ日本に来たワケじゃないヨ」
「そうですよね。ごめんなさい、無責任な事を言ってしまって」
「謝らナイでイイよ。モモコは俺のコト心配してソウ言ってくれたンダから悪くナイよ」
彼は少し微笑んで桃子の頬を撫でた。それはまるで雲を触るような優しさだった。
「モモコ俺は今人間の血液不足ナノね。少し足りない分ヲ君から欲しくて…チョットだけでいいからくれないカナ?」
「輸血パックは無いんですか?」
「モウ使い切った。ダカラ頼みの綱ガ今モモコしかいないノ!ダカラHelp me! 頼むヨ…」
彼は手を合わせて桃子にお願いしてきた。桃子は「ん〜」声を上げ躊躇っていた。何せ桃子は血を抜かれたりするのが苦手なのだ。血を出すということは痛い思いをしないといけない訳である。昔病院で検査のために看護師に採血をされてかなり痛い思いをしてから血を抜いたりするのが嫌いなのだ。
「私は血を抜かれたりするのが苦手なので遠慮したいで…」
「大丈夫!牙を立てたりとかはシナクテも今回は大丈夫だし」
「血液の味って人それぞれで好き嫌いが分かれるって妖怪かなにかの関係の本に書いてあったんですけど私の血は多分部屋にこもりっきりだから美味しくないと思いますし…」
「ソンナことはないと思うよ!味イイと思う!絶対!」
どう言っても諦めてくれない彼に桃子は頭を抱えた。
「なんでそんなに自信満々に美味しいって回答するんですか?」
「Haha!ソンナの今俺が今も君の血を堪能してるからサ!」
「え?ちょっとやめ…」
したり顔でこちらを見る彼は私の手を彼の頬に擦り付けてきた。彼の目は少し色気付いて頬を赤く染めている。意味が理解できない桃子は少し怖くなり後ずさりした。
「ネェ、モモコ。君から今もイイ匂いがスるんだよ。君は人間だからわかりにくいダロウケド今も君の膝から凄く桃の果実みたいにいい匂いが俺にはスるンだよ!」
「それは…」
恐らく数日前に歩いている時に不意に転けて出来てしまった怪我のことを指しているのだろう。道の真ん中で勢いよく転げてしまい久しぶりに怪我をしたのだ。毎日絆創膏を張り替えてはいるのだがその度に柔らかいかさぶたが剥がれてしまい血が滲みはじめるのだった。
吸血鬼の彼は桃子の膝を指さし高い声を出した。
「君の絆創膏の下カラする匂いが堪らない。今すぐにデモ味わいたいぐらいサ!」
興奮している彼の目には少し怯えた顔の桃子が小さく見えた。彼は高揚状態になって息を上がらせ始め血走った目になった。
「ちょっと…あの、別の人とかにして貰えません?」
「今更ソンナコト言われても無理な話サ。だってこんなにいい匂いの君がイルのに別を当たるナンてのは時間が無駄ジャないか?別ヲ探している間二俺は血が飲めズニ死ンでしまうダロウね。モモコは俺ヲ殺したい?」
「いや殺したいとかは思ってないですよ」
「じゃあ、死ンで欲しいノ?」
「…誰もそんなこと言ってないじゃないですか。痛い思いをするのが嫌だってだけですよ」
少し震えそうになったのを誤魔化しながらそう伝えた。
「じゃあ大丈夫!今回ハ舐めるダケだから!ネ?イイでしょ?それなら痛くナイだろうシ」
「あの、私の血を舐めて満足したらもう帰って貰えます?それがここにいる目的でしたよね?」
兎に角最初の飄々とした態度とは変わってかなり昂っている彼と離れたかった桃子は血を飲んで満足して貰えるだけでいいならもうそうしようと思った。とにかくこの場から今すぐに離れたい。
「そうだネ。血を舐めさせテ貰えるなら何でもイイよ。まぁ…実を言うと君が怪我をシテ匂いを撒き散らシテルから俺ハその匂い二釣られて着いてきてしまッタんだヨ。ダカラ君も責任を持って僕に血を分けるベキだし…」
「え?着いてきたってどういうことですか?」
「well…マァあの…君のせいダヨ!君があんまりにもいい匂いを街中でもサセるから気になって、俺ハ君に会いたくて君のこと追ってたシ君の名前もその時に君の友達が言ってたカラわかったし家も見つケタ!全部全部君が!俺のコトを匂いで狂わせたセイだよ!!」
声を張り上げて彼は私に向かって告げた。見開いた目を向け肩を掴んで揺さぶりながら君のせいだとか、狂わせた責任を取れだのと意味のわからない言葉を何度も言われた。
「私怪我しただけなんですけど…何でそこまで…」
「言ったダロウ?君ノ血は俺二は美味しいと感じるノ。ダカラ諦めるなんて出来ないヨ。サ、早く君の血をクレよ。喉ガ乾いて仕方ナイんだよ」
「わかりましたから。もう落ち着いてください」
「じゃあモモコ!」
彼は何を勘違いしたのか目を輝かせて桃子を抱きしめ、彼女の耳元に呟いた。桃子は言葉選びを間違ってしまったことを今更に思い後悔した。
「俺にモモコを頂戴ヨ」
「Oh! モモコの足はとても白くて美しいですね」
庭にある小さな椅子に座らせられて彼に足を差し出す格好になった。私の両足の間に入ってふくらはぎを跪いて持って受け止め、撫で始めた。どこか艶かしい手つきに寒気がした。
「貴方の方が白いと思いますけど…」
「ノンノン!君が今一番美しイと思いマスよ。触り心地もスベスベしてイテとても気持ちがいいデス」
「と、とりあえず早くして貰えます?」
「ソンナに焦らないで!料理は見た目ヲ楽しむのも大事なコトですから!」
角張った手がアキレス腱、ふくらはぎ、太腿の上をするすると動いている。肌に触れる温度がじわじわと動く度に気持ちが落ち着かなくなる。そしてこそばゆく恥ずかしい。静かに手を動かすその人の表情はお気に入りの玩具を見てうっとりするような子供のように嬉々としていた。
「う…ちょっと舐めるだけですよね?早くしてください」
「フフ…デハ、お言葉に甘エテ」
膝に手を伸ばされて貼られた絆創膏が剥がされる。ジリジリと粘着が離れていく。絆創膏が真ん中まで進んだ時にメリメリとカサブタが剥がれていく痛みが襲い思わず声を上げた。
「ん゙…痛!」
「oh!sorryデス。ゆっくり剥がしてハいますガ痛カったですね。もう少しで終わりますカラ少し我慢シテください」
そしてまたゆっくりとめくられる絆創膏の感覚とじわりと暖かい汁が膝の一点から出てくる感覚を感じる。その瞬間思いっきり残りの絆創膏を剥がされた。幸いカサブタ部分では無い場所まで剥がしきっていたため痛くはなかった。彼は私の傷から出た血をじっと見つめて呼吸を早めて恍惚とした目をしている。
「はぁ…スゴイです、モモコ。貴方スゴイです…!芳潤な香りガ胸の中に迄届いテきます!ah…ナンて美しい紅!影がかった紅に惚れ惚れシソうです!」
「とりあえず早くして貰えませんか?あんまり傷口晒すと変な菌付きそうなので…」
「Got it!じゃ、イタダキマス」
彼は桃子のふくらはぎを持って、ちゅっ、と桃子の膝下に口付けてから彼は傷口に舌を乗せた。
そして何度も縦横無尽に動かしたり時たまにぢゅっと傷口から血を吸い上げたりした。まるで獲物の肉に有りつけた獣の様に容赦なく舐め続ける。ザラザラとした舌の特徴的な感触と生暖かい温度にぞわぞわしたものが背筋に走る。
「ちょっと、もう…やだって」
何だかいけないことをしているような気がして今すぐにでもこの場から逃げ出したい。足を引っ込めようとしても彼はしっかりとふくらはぎを掴んでおり逃げられなかった。
「NO!逃げナイで!」
一度口を離して一言告げてからまた傷口に口を付けられた。それからまたしゃぶりつくように舐め続けられた。口から垂れた唾と血液とが混ざり薄紅に染まり膝がベチャベチャになっている。
「もういいでしょう?そろそろ舐めるのやめた方がいいですって、汚いですから!」
「ドコも汚くナイです!それにモモコは知ってマスか?唾液は傷口ヲ治りやすくスル効果がアルんですヨ。」
含み笑いをした彼は端麗であったが息を飲むほど今は恐ろしかった。彼の荒い息使いがしきりに耳に入る。
「チャンと治るよう二いっぱい舐めテおきますカラ安心してくだサイね」
その後数十分にわたり舐め続けられた。成程サバンナの草食動物とはこういう気持ちなのか、と考えた。彼の吸血はほぼ桃子からすると捕食されてるように感じた。別に肉をえぐられたり等ではないのだが貪る彼は獣と同じ雰囲気をしていたように思えた。そんな彼を止めるのは中々に大変であった。何度もまだ消毒が足りていませんとか飲み足りない等と言われ続けたがさすがに血液が混ざった生ぬるい唾液がトロトロと足から流れるように垂れてやりすぎだと感じ、彼の顔を押しのけてやめさせた。少し不満そうだったが恐らく十分程は舐めさせたのだ。私の気持ちも考えて欲しい。桃子は椅子から立ち上がり庭にある手洗い場で足を洗い始めた。
「これでもう死ぬことは当分ないんですよね?」
「ソウダネ。俺が家二帰るマデなら余裕デ足りるネ」
彼は先程まで桃子が座っていた椅子にどっかりと座って闇夜を見上げている。
「それはよかったです、ではさようなら。私ももう眠たいので帰ってもらっていいですか?」
「OK。それが約束でしたカラね、俺ハ一度家に帰ってマタ準備ヲ立て直すヨ。またこの国二来たいカラね」
「そうですか。お元気で」
蛇口を閉じて水を手で足から落としている桃子を横目に見た彼は
「じゃあ、俺ハ帰らせて貰うネ。ヨイショっと」
気怠げに立ち上がると桃子に近づいて後ろから抱きしめた。
「あの!もう帰ってもらう約束でしたよね?」
「YES!帰ります!が、家に帰るにシテもお土産ヲ持っていませんカラ…」
首を後ろに回すと彼の紅い目と目が合う。
目を細めた彼は愛しそうにその少女を抱き上げる。
「今回は最高のお土産ヲ持ち帰れマスよ!とても嬉しく思いマス」
彼はそう呟き腕の中で暴れ始めた宝物を大事そうに持ち上げて月夜に飛び去った。
仕方ナイじゃないか。コレはきっと運命だよ。俺ハそう思ってる。だってこんなにも君が美味しいのダカラ。
コメント
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ヴァンパイアとのこういった物語あまり無くて投稿嬉しかったです!しかも内容が神すぎて…!!めっちゃお気に入りです!ホントに展開が最高すぎる… 表現の一つ一つが丁寧でとても細かくて場面が鮮明に浮かんできてとても好きです!! 流石ウロさん!長文失礼致しました!