彼は次の日の夜から毎日あたしに訓練を施した。
どうして昼じゃなく夜だけなんだろうと思ったけど、父が寝静まる夜があたしも気が休まるので特に気にしなかった。予想通りあたしの腕は酷いもので、刀はロクに持てない、薙刀は振るえないで中々上達せずにいた。その中であたしが唯一扱えた物が和弓で、引き絞る時に力は必要だけれど、遠くに矢を射る曲射に必要な角度や距離の計算が得意だったから、というのもあるけど刀や薙刀のように相手の命を奪う感覚を感じることも無さそうだからというのも理由の一つだった。彼はあたしの国で言うところの刀と呪に当たる剣と魔法を扱って戦うらしい。ひとつの物を扱うだけでも精一杯のあたしから見れば彼は遠い存在だった。彼曰くあたしにも魔法の才能はあるって言われたけど、まずは和弓を極めないといけないから断っておいた。呪も相手を直接殺める感覚はないと聞いていたので、興味はあるけれど。
訓練の合間の休憩時間、少し気になっていたことがあったので聞いてみた。
「あの、あなたの言葉って…あ、そういえばお名前、まだ聞いてませんでしたね。」
「…俺も名乗るのを忘れていた。こと…コトワール。」
「コトワールさん、でいいですか?」
「ゆかりがそう呼びたいなら、そうしてくれていい。」
「あたしの名前、知ってるんですね。もう言ってましたっけ?」
「…あぁ、前に聞いたよ。」
「あっ、それで聞きたかった事があるんですけど、コトワールさんってこの国の人じゃないですよね?あぁ、えっと、失礼な意味じゃなくて!お名前もこの国ではあまり聞く感じではない名前ですし、服も本でしか見たことがないような、別の国の人って感じがしたので…。」
「…そうする必要があったんだよ。」
そう小さく呟いていた彼の顔はいつもの強さや自信に溢れた顔とは違う、年齢相応のあどけない顔をしていたように見えた。
「そろそろ日が昇る頃だ。キリがいいし、ここまでにしよう。」
「あっ、はい!いつも付き合ってくれて、ありがとうございます。」
「礼を言われる資格なんてない。前にも言ったけど、これは俺の都合でやってるだけだから。」
戦場で邪魔にならない為、それでも出来損ないのあたしにここまで付き合ってくれた彼にお礼を言わないのはあまりにも失礼過ぎる。
「そんな、あたしの方こそ、何にもお返しが出来ずに申し訳ないです。」
「…お返しなんて、いらない。生きてさえいれば、それでいいから。」
「えっ…?」
聞き返そうとした時に彼は立ち上がって窓から去る時にこう言い残した。
「忘れないで、ゆかり。例えゆかりの周りに敵しか居なくてもゎ、俺は、ゆかりの味方だ。」
彼が去った後、部屋に流れ込む夜風がなぜだか急に背筋を凍らせた。
あの日の夜を最後に彼が尋ねてくることはなかった。
戦争が激しさを増して来た今の世の中で、わざわざ国を超えてまであたしに会いに来る必要はないと思っていたし、そう自分の中で納得させていた。
ましてや戦況が常に七転八倒する中、日和見の隣国がどちらの味方に着くか分からない状況で国境を超えることなんて出来るわけない、仕方の無いことだと思った。
あたしだって近い内戦場に立つことになるんだ、気を引き締めないといけない。それに自室に引きこもって誰にも会えないあたしに会いに来てくれたあの人にも、もしかしたら同じ戦場で会えるかもしれない。外交官である父の家に尋ねてくるということは、友好的な関係にある国の人だと思うし、可能性としては充分有り得る話だった。
あたしは怖くて動けなかった足をなんとか奮い立たせ、顔を合わせるのも恐ろしかった父に聞いた。
「…あの、今お話しても宜しいでしょうか。」
『…何の用だ。』
「前にここへ訪ねてきたお父様の知り合いの子と、同じ戦場に立つことも有り得るのですか?」
『 …お前が何の話をしているのか理解出来ない。』
「えっ…?週に一度は私の部屋に訪ねてきたので、忘れた訳ではないと思うのですが…」
『お前の被害妄想癖に構っている暇はない。それに、お前に纒わり付く他国の害虫等、焼き尽くすまでだ。』
あたしは耳を疑った。
父が外交官であるのに、他国の人間を嫌う理由は知っていた。血筋が価値を持つこの国の風習では国を超えての婚約は他国の血が混じるということ。純血な自国の人間同士で婚約することが崇拝されているこの国では、他国の者との婚約は禁忌の様なものだった。
父はあたしが彼と仲良く過ごす様子を見て、もしかしたら婚約してしまうと思ったのだろう。そうなる前に父は彼を殺してしまった。あたしは戦場に立つ前に、敵でもない、たった1人の大切な友達を、殺してしまったんだ。
色付いていた世界が、暗く、光の当たらない小さな部屋のように、灰色に染まっていく。
この日からあたしは、誰かと関わるのをやめた。戦場に立っている今でも、戦いに影響が出ない程度に口を交わす事はあるけれど、あたしと関わった人はみんな幸せにならない。そう知ってしまってから、目を合わせることさえ出来なくなっていた。
世の中にはどうにもならない事がある
その言葉が頭の中で反響し続けていた。
第3話 終わり
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