テラーノベル
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その日常は、長くは続かなかった。
浦安ダンジョン救出レイドから、一週間が経った。
あの夜は、三人でささやかな打ち上げをした。
ノエルには大吟醸『女神』。
フィーネには麦茶と、食後のバニラアイス。
俺はビール。
宅配で頼んだピザにパスタ、唐揚げ、シーザーサラダをテーブルに並べて、「全員生還」と何度も乾杯した。
ノエルは上機嫌で杯を傾け、フィーネは最初こそ遠慮していたが、バニラアイスをひと口食べたあたりで、ほんの少しだけ表情がやわらいだ。
その二人を見ながら、俺はようやく思った。
ああ、帰ってこられたんだな、と。
その後は、配信もしばらく休みにした。
あれだけの激戦だったんだ。
体の疲れはもちろん、頭の奥に残る張り詰めた感じが、なかなか抜けなかった。
だから今週は、意識して何もしないと決めた。
ダンジョンも、配信も、最低限の外出以外はなし。
そうして一週間。
ようやく、普通にリビングへ出てきて「コーヒーでも淹れるか」と思えるくらいには戻ってきた。
キッチンでマグカップを三つ並べながら、俺はリビングの方へ目をやる。
「ちょっと! こんなところにバナナ置くのはなしでしょう!」
「……ありです……ちゃんと道具ですから……」
テレビの前で、ノエルとフィーネがゲームをしていた。
レースゲームだ。
昨日、ノエルが「休んでるだけじゃもったいないわ。娯楽も必要よ、娯楽!」と言い出して始まった。
最初、フィーネはかなり警戒していた。
コントローラーを両手で持ったまま、
「……これ、押すと……どうなるんですか……?」
と、一つずつ確認していたし、カーブに合わせて体ごと右へ左へ傾いていた。
段差で少し跳ねただけでも、
「……ひゃっ」
と小さく声を上げるし、アイテムの箱を割った瞬間には、
「……なにか出ました……!」
と本気で驚いていた。
それを見たノエルは、
#ダンジョン配信
百鬼清風
1,748
「んふふふっ! 大丈夫よフィーネ、いきなり爆発したりはしないわ!」
なんて笑っていたのだが――。
「……また、私が一位です……」
フィーネが小さく言った。
画面の中では、フィーネのカートが一位でゴールしている。
俺は思わず笑った。
「上手いな。フィーネ」
これで三連勝だ。
たぶん、走り方がいいんだろう。
無理に前へ出ようとしない。
でも危ないところでほとんどミスしない。
アイテムも、取った瞬間に投げるんじゃなくて、ちゃんと相手を見て使っている。
こういうタイプ、地味に強いんだよな。
「次は本気を出すわ!」
ノエルがコントローラーを握り直す。
「……三回とも、そう言ってました……」
フィーネが静かに返した。
俺は吹き出しそうになる。
ノエルは一瞬ぽかんとしてから、わっと声を上げた。
「それはいわないでほしいんですけど! 事実ですけど!」
フィーネは、自分がちょっと鋭いことを言った自覚がないらしく、少しだけ困った顔でこっちを見た。
「……すみません……?」
「謝るところじゃないわ! もう、次! 次こそ勝つ!」
やたら騒がしい天使である。
俺は三人分の飲み物を持って、リビングへ向かった。
俺とノエルはコーヒー。
フィーネにはココアを出す。
フィーネは両手でマグカップを受け取った。
「……ありがとうございます……」
「ああ」
受け取る仕草も、ソファに座る位置も、もうだいぶ自然だった。
少し前までのフィーネは、何をするにも遠慮していた。
座るのも、頼るのも、笑うのも、どこか一歩引いていた。
でも今は、リビングでノエルとゲームをしている。
勝っても大騒ぎはしないが、耳がほんの少しだけ緩んでいる。
ちゃんとこの家の空気の中にいる顔だ。
それがなんだか、少し嬉しかった。
◆
四戦目が始まって少しした頃だった。
ノエルが急に「あっ」と声を上げた。
さっきまでコントローラーを握って騒いでいたのに、急に背筋を伸ばす。
そのまま、耳元に手を当てた。
電話をしているように見える。
だが、スマホは持っていない。
「はい! ノエルです! はい! お疲れさまです! ……はい、はい! すいません!」
俺は目を瞬いた。
なんだなんだ。
急にどうした。
フィーネも、きょとんとしている。
ノエルはそのまま、妙にかしこまった口調で喋り続けた。
「はい、浦安の件ですね! はい! ……あー、それはですねー……はい!」
「はい、討伐支援の件も……はい」
「え、報告書……ですか。はい……はい……」
「地上で、ですか? ……はい、承知しました」
「はい……はい……失礼します!」
しばらくして、ノエルは盛大にため息をついた。
「はああああ……面倒くさいわあ……」
「今の、誰だ?」
「……誰と話してたんですか……?」
俺とフィーネが聞くと、ノエルはソファにぐでっと沈み込んだ。
「上司よ。天界の」
「上司って、あっちのか」
「そう。あっちの」
ノエルは天井を見たまま、だるそうに続ける。
「この間の四本腕の悪魔、魔皇爵ヴェルグ=ゼディアっていうらしいわ」
「名前あったのか……」
「あるのよ。あるから面倒なのよ。あの討伐支援と、ワイトを大量に殲滅した件について、ちゃんと報告を上げろですって」
ノエルは頬を膨らませた。
「しかもあの上司、淡々としてるのよ!」
「ネームドの悪魔を討伐した記録が上がってますが、報告書は提出しましたか? 討伐から三日以内に必要なのはご存じですよね?って感じなのよ!」
両手を使ってものまねまでしている。
だいぶ不満らしい。
「ちょっとは褒めてもよくない? よくない? 思わない?」
「まあ、そこは少しくらい労ってほしいな」
「でしょう!?」
ノエルが勢いよく身を乗り出す。
「しかもね、それで“徳が貯まった”から研修を受けろ、ですって」
「徳?」
「徳よ。善行ポイントみたいなもの。功績とか、誰を助けたとか、そういうのが貯まるの」
ノエルは心底嫌そうな顔をした。
「面倒くさいわー。褒美ならお酒にしてほしいわ」
徳を積むって、本当にあったんだ……。
なんだか昔話か宗教の話みたいだと思っていたものが、まさかリアルに制度として存在しているらしい。
フィーネも少し感心したように言った。
「……天界って、そういう仕組みなんですね……」
「そうなのよ。ほんっと面倒」
ノエルはそう言って、ソファの背にもたれた。
「で、研修ってことは、天界に行くのか?」
俺が聞くと、ノエルは嫌そうな顔のまま首を振った。
「本当はそう言われたのよ」
「でも私が全力で嫌がったら、“じゃあ地上勤務を継続したまま実地研修扱いにする”って話になったの」
「それ、嫌がって通るんだな……」
「そこは交渉力よ」
胸を張るノエル。
でも次の瞬間には、またぐったりした。
「面倒が減ったようで、増えた気しかしないわ」
どういうことかと聞く前に、ノエルは指を折りながら説明を始めた。
「まず、地上での支援活動は継続」
「功績、行動、判断を定期報告」
「善行として認定される行為を優先」
「必要なら同行者の記録も提出」
「同行者って……」
「つまりあんたたちのことよ」
そう言われて、俺は少しだけ嫌な予感がした。
つまり今後は、ノエルだけじゃない。
俺たちの行動そのものが、天界側の記録対象になる可能性があるってことだ。
「場合によっては追加課題も出るらしいわ。あーもう、絶対書類仕事多いやつじゃない」
ノエルが頭を抱える。
フィーネが小さく言った。
「……報告って、大変そうです……」
「大変よ。たぶん絶対大変。書式とか細かいのよ、ああいう人たち」
「……でも、ノエルさんが地上にいられるなら、その方がいいです……」
フィーネのその一言で、ノエルの肩の力が少し抜けた。
「まあ、それはそうね」
俺も同意だった。
正直、天界とやらへ行ってしばらく戻ってきません、みたいな展開はかなり困る。
ノエルが地上に残るなら、その分だけ話はまだマシだ。
だが同時に思う。
浦安の件は、もう終わったつもりでいた。
けれど、その結果がこうして天界側にまで波及している。
ノエルはコーヒーを一口飲んでから、今度は少しだけ真顔になった。
さっきまでのだるそうな顔とは違う。
こういう顔をするときのノエルは、たいてい本当に大事なことを言う。
「それでね。研修内容の一つに、地上異変の観測補助が入ってるの」
「異変の観測補助?」
「今回みたいな、悪魔性汚染とか、死霊系の異常発生とか、そういうの。私は浄化と結界担当だから、相性がいいらしいわ」
浦安の最深部が頭をよぎる。
黒い霧。
赤い筋。
ワイトの群れ。
あの四本腕。
ようやく遠ざかったはずの記憶が、少しだけ輪郭を取り戻す。
「上司の話だと、浦安みたいな件は一回で終わってほしい規模なんですって。でも――」
そこでノエルは、ほんの少し言いにくそうに言葉を切った。
「地上に、似た気配がまだ薄く残っている可能性があるらしいのよ」
リビングが静かになった。
ついさっきまで流れていたゲームの明るい音楽が、妙に場違いに聞こえる。
俺はゆっくり息を吐いた。
「それは、もう何か起きてるってことか?」
「そこまでは分からない、って。余波かもしれないし、観測違いかもしれないし、まだ断定はできないらしいわ」
「でも、何もないとも言い切れない」
「そういうこと」
フィーネがマグカップを両手で持ったまま、そっとうつむく。
耳が少しだけ下がる。
不安なときの反応だ。
でも、フィーネは小さく言った。
「……あの時の感じが、まだどこかに残っているなら……見つけたいです……」
「……そうだな。まだ何かあるなら、放ってはおけない」
俺は短く頷いた。
ノエルがむっとした顔でこっちを見る。
「ちょっと。二人とも、今すぐ深刻な空気に入るのやめて。まだ“かもしれない”段階なんだから」
「お前が言い出したんだろ」
「注意喚起よ、注意喚起。私はちゃんと伝えた。だから今日はここまで」
「切り替え早いな」
「切り替えないとやってられないの! しかも今ので集中切れたし、次こそ勝つ!」
「……さっきから、ずっとそう言ってます……」
フィーネが小さく言う。
ノエルが崩れ落ちた。
「だからそれ言わないでってば!」
思わず笑ってしまう。
こういうところが、ノエルのいいところなんだろう。
本当にまずいときは、こいつはふざけない。
でも、まだ笑っていていい段階なら、ちゃんとそうしてくれる。
平和だ。
少なくとも、見た目は。
――でも。
もし本当に、あの時の嫌な気配がまだどこかに薄く残っているのだとしたら。
終わったと思っていたものは、まだ終わっていないのかもしれない。
「だめ! だめ! だめ!」
ノエルの声で、意識が戻る。
振り向くと、画面の中でノエルがまた派手にコースアウトしていた。
「ちょっと! 今の見てた!? 後ろから当てられたの! 事故よ事故!」
「お前、さっきから毎回事故ってるな」
「違うの! 不運なの!」
ノエルの悲鳴がリビングに響く。
俺は吹き出した。
窓の外の夜景は変わらない。
部屋の中も、今はちゃんと温かい。
さっきまでの静かな引っかかりを胸の奥に残したまま、それでもリビングには笑い声があった。
浦安は終わった。
そう思っていた。
次の瞬間。
あの時と同じ“気配”が、確かに動いた。
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第52話、読み終えました…! レースゲームで遊ぶ三人の日常、すごく温かくて、思わず笑顔になりました。特にフィーネが三連勝して「…また、私が一位です」って静かに告げるシーン、めちゃくちゃツボです。ノエルの豪快なツッコミも好き。 でも後半、天界からの連絡で「まだ終わっていない」と示唆される展開。あの温かいリビングの空気と、胸の奥に引っかかる静かな不安のバランスが本当に巧みでした…。続き、すごく気になります。