石井さん、樂永さんはわざわざ夫の遺書を届けに来て下さり感謝でしか無かった。
数日後。
私はいつものように掃除をしていた。そこに
何やら1人の男性がこちらを向いている
私「どうなさいました?夫の、、、?」
石橋「ええ。失礼します。遺言書をお届けに参りました。」
石橋さんは少し息を吸って
拝啓、妻、幸恵。
恐らくこれを見ているときにはしっているかもしれないですね。私は、喉頭癌になってしまい。書いている頃はあと数週間もありませんでした。あの時、ソ連軍のセントウキから逃げきれたことに私はとても安心しました。子供二人を任せっきりになってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだ。私は、生きて帰ることを誓った。しかし、実現できないようです。約束を守れなかったこのワタクシを許して欲しいとは言いません。私は、いい上官、同僚に出会いました。石橋上官。樂永さん、石井さん。その他にも数多くの方に信頼されていると知って私はとても喜ばしいと思いました。おそらくこの遺言書を届けるのも彼ら3人だと思います。私が後悔していることは一つだけあります。1度だけ希望を捨ててしまいました。そして、幸恵、子供、母を守ることが出来なかったことが何よりの後悔です。生きて帰ることはできません。しかし、私はアナタの心の中にいつまでもいつづけ、見守ります。「貴方に、会いたい。」と私は思いながら常に希望を抱きシベリアでの生活を終えることにしました。日本に戻りたかったです。
最後に、今まで私と子供を支えてくれてありがとう。そして何も役に立てなくてごめんな。大好きです。幸恵。これからも。心にいます。
私はその遺言書に涙した。その場に泣き崩れた。
石橋「以上で、す。。ではこれで私は、、」
私「あの。ありがとうございました。夫のことを思ってくださって、」
石橋 「智昭さんはとてもいい人でしたよ。我々に生きる希望を与えてくれましたから。きっと彼なら天国でも元気してるでしょう。」
石橋さんが去った後私は涙で目が埋まっていた。
居るはずない。智昭の姿がそこには見えた。
私「智昭、、、?」
智昭「ありがとう。会いたかったです。」
私「私も、会いたかったです(涙)日本のために戦ってくれて、自慢の夫でした。」
智昭「いつでも、寂しくなったら呼んでください。すぐに向かいます。」
私「おかえりな…さい…待ってました 」
智昭「ただいまかえりました。そしてありがとう。」
気づくと彼は帰っていった。私は彼に最後に会えて幸せだった。さっきまで涙してた私は気づけば笑顔になっていた。最後に彼が希望を忘れるなっと言ってくれたのでしょう。
そんな私は、今でも幸せです。
〜数年後〜
アナ「それでは新婦の両親からの挨拶です!」
智弘「皆さん。こんにちは。楽しんでいらっしゃいますか。私はこの場でお話をできることを光栄に思います。少し。自分話にはなるのですが。失礼しますね。
私には父が居ました。そんな父は戦時中シベリアというロシアの寒いところに行ってしまいました。どうやら父はたくさんの栄光を抱えていたようです。そんな父には”希望は捨てるな。”何度も言い聞かされました。最初はなんでと思いましたが、大人になるにつれてわかりました。そこで皆さんには今後どんな困難が立ち向かうかもしれません。しかし、それでも希望は捨てず、前に進んで欲しいと思います。このように、戦時下の状態を話せる機会をいただけたことはとても嬉しく思います。どうか、このようなことを後世にどんどん伝えていただければなと思っております。 」
こうして私(智昭)は今でも。中村家を密かに見守っています。もう一度
家族に”会いたい“
コメント
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半分泣くとこやった((