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◆◆◆◆◆
目を覚ますと、そこは先ほどの熱気と湿気があふれる店舗ではなく、6畳ほどの和室だった。
真ん中に置かれた小さな炬燵に、越智と和氣が並んで座って、昼間だというのに柿ピーをつまみながらビールを飲んでいる。
「あ、起きました?」
越智が笑いながら振り返る。
「すみませんでした。林さん、蜘蛛嫌いなんですね」
「いや、普段は平気なんですけど、インパクトが抜群すぎて……」
やっとのことで起き上がると、またテーブルの上には水槽が乗っていた。
思わず眉間に皺を寄せると、越智は笑った。
「安心してください。これは蜘蛛でも蛇でもありませんよ」
言いながら中から何かを両手で取り出した。
思わず身構える。
越智はこちらの反応を楽しむようにその手をゆっくりと開いた。
「………カメ?」
「そうです。リクガメです」
越智は微笑んだ。
「ヒョウモンリクガメの赤ちゃんです。大きくなると、甲羅が70㎝を超えるものもあるんですよ」
両手にすっぽりと収まっているリクガメを思わず見つめる。
「70㎝?」
「ええ。体重も40キロを超えたりもするんですよ」
「――へえ」
絵本の浦島太郎に出てくる亀の大きさは、もしかしたらリアルだったのかもしれない。いや、あれは海亀か。
林はますますリクガメを覗き込んだ。
「はい、どうぞ」
越智がこちらに向けてリクガメを落とそうとするので、慌てて手で掬う様に受け止めた。
目が合う。
と、リクガメの頭が甲羅の中に引っ込んでいき、ごつごつと硬そうな太い前足が、まるで目隠しをするようにその上に覆いかぶさった。
「あれ。照れてるね」
越智が笑う。
「可愛い……」
思わずつぶやいた林の言葉に越智と和氣が笑った。
◆◆◆◆◆
帰りの車でも、酒を飲んだ和氣は助手席に乗り、林がハンドルを握った。
「可愛かったなー、リクガメ」
和氣が独り言のように、助手席から外を見ながら言う。
「ああいうペット的なものが、スタジオにいてもいいよな」
「おすすめはしないですけど」
林は前方から目を逸らさないまま言った。
「あんな、リクエストのたびにCD探したり、メッセージを出力したりで走り回っているところに亀なんか歩いてたら、誰かが踏んで甲羅割れるのも時間の問題って感じがします」
「そっかー。残念」
和氣は笑う。
「どんだけ大きくなるか、実際に見てみたかったのになー」
(それは、ある)
林は小さく頷いた。
「林君って一人暮らし?」
「え」
急に振られた話題に思わず返答に詰まる。
「……ええ。今はわけあって実家から通ってますけど、普段は一人暮らしですよ」
「じゃあ、林君の家で飼ってよ」
「はあ?」
思わず助手席を振り返る。
「いいじゃん。一人暮らしなんでしょ?1年でどんだけ大きくなるかみたいなー、俺」
「……それだけのために?」
「うん」
和氣は悪びれずにヘラヘラ笑っている。
「―――無理ですよ。うちは」
「なんで?リクガメかわいかったじゃん」
「そうじゃくて。もう、飼ってるんで……」
「へえ。何を?」
林は小さく息を吸い込んでから言った。
「……猫」
「猫?」
「ええ。ものすごいワガママな」
言いながら、勝手に口元が綻んでしまう。
「へえ。猫か…」
なぜか和氣が意味深に笑う。
「じゃあ、世話大変だろ。餌は3食だし、トイレの処理もしなきゃいけないし」
―――3食。
そうだ。うちの“猫”はちゃんと飯を食べているだろうか。
グルメなくせに食が細い。
不味い物を食べるくらいなら、空腹を選ぶようなあの猫は……。
近いうちに保存の効く総菜を何種類かタッパーに詰めて持っていこう。
「遊んでやらないと、拗ねるし、な?」
「――そうですね」
『お前は俺のことだけ考えてればいーの』
数日前、自分を抑え込んで腰を打ち付けてきた猫のことを想う。
「拗ねる前に、構ってやらないと……」
言った自分のセリフがくさくて、林は思わず口を覆った。
「………はは、そっち?」
和氣が笑う。
「―――?そっちって?」
「あー、いや。勝手なイメージで、君が飼われてんのかと思ってたから」
「―――は?」
意味が分からず助手席を振り返る。
「いや、こっちの話」
和氣はシートに軽く座り直すと、大きく息をついた。
「まあ、リクガメは無理だけどさ。うちのスタジオにはすでにペットがいるんだ」
「ペット?」
「そ。チャトリンっていうの。こっちも猫だよ。三毛猫」
「へえ」
昨日も今日も姿は見えなかった。
外出中だったのだろうか。
「制作にもう一人、志穂って女がいるんだけど」
和氣が軽く伸びをする。
「そいつのペット。あいつが来るときは一緒に出社してくる」
(例の“生理痛で休んでいる”女性か……)
信号が赤に変わる。
林はブレーキを踏みこんだ。
「あ、あの。社……いや、和氣さん」
そうだ。はっきり言わなければ。
「俺、その方が復帰したら、こうして手伝いに来ることも遠慮したいです」
「どして」
和氣は林の提案にピクリとも反応しないまま言った。
「俺には勤まらないと思いますし」
「それは君が決めることじゃないでしょー」
和氣が鼻から息を吐くように笑う。
「そもそもラジオっていうのは、人に、町に、ラジオに、音楽に、興味がある人が作るべきだと思いますし」
「誰が決めたのそんなこと」
和氣はまた笑った。
「ラジオ好きな人なんか、すでにラジオ聴いてんだよ。俺たちが開拓すべきは、今現在“ラジオを聴かない人“、“ラジオに興味がない人”だ」
「――――」
確かに一理ある。
「ラジオを聞かない、興味がない林君でも聴きたくなるラジオ。それを今、俺たちは求めてるんだけどな」
「…………」
言い返す言葉が見つからず、林は和氣の黒目が小さな瞳を見つめた。
「心配しなくても、君がセゾンエスペースを退職する4月20日には、解放してやる」
和氣は足を組みながら言った。
「そのときやってみたかったら言って。君の口から。そうしたら正式に採用するから」
「――――」
「ほら、青だぞ。林君」
和氣がパチンと指を鳴らした。
その音に応えるように、聞こえているラジオではジングルが鳴り響いた。
HAVE A GOOD STAGE!!
BE JUMP FM!!