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秋元杏美が姿を消す――そんな未来を、あの頃の森崎誠は想像すらしていなかった。
“ひま部”ができてからというもの、誠の放課後は変わった。
それまではただ空白でしかなかった時間が、彼女といることで“意味のある無意味”になった。
話すこともあれば、何も話さない日もあった。
でも、その沈黙すらも優しかった。
「森崎くんって、将来なにになりたいの?」
ある日の放課後。
夕焼けが窓の縁を赤く染める頃、杏美がふと聞いた。
「考えたことないな。……生きてるだけで精一杯だったから。」
杏美は少し笑った。
「そういうの、わかる気がする。」
「杏美は?」
彼女は少しだけ視線を伏せ、窓の外に目をやった。
「……なりたいものはあったよ。昔は。」
「昔?」
「うん。まだ、家がこんなじゃなかった頃。お父さんも、お母さんも、ちゃんと笑ってた頃。」
「今は……違うのか?」
杏美は小さく頷いた。
「家ってさ、ただの箱みたいだよ。誰もちゃんと話さないし、話しても傷つけ合うだけ。……森崎くんは、家でちゃんと話せてる?」
「……母さんが死んでから、父さんはほとんど家にいない。仕事って言ってるけど、たぶん逃げてるんだと思う。俺のことも、母さんのことも。」
彼女の目が少し潤んだように見えた。
でも、涙はこぼれなかった。誠もまた、泣かなかった。
「じゃあ、ここが……私たちの、ほんとの“居場所”だね。」
その言葉に、誠は胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
ふたりだけの“ひま部”。
名前も、活動記録もない、けれど確かな意味があった。
ある日の帰り道、杏美が唐突に言った。
「森崎くん、もし10年後にまだお互い生きてたら、またこの窓辺で会おうよ。」
「10年後……?」
「うん。“ひま部”の再開。大人になっても、ひまな時間を楽しめるか試してみたいの。」
「……いいよ。じゃあ、約束な。」
誠はそう言って、小指を差し出した。
杏美は驚いたように見つめたあと、微笑んで、その小指をそっと絡めた。
「じゃあ、これは“ひま部の掟”ね。」
「部則じゃなくて、“掟”? なんか物騒だな。」
「ふふ。掟のほうが、絶対破れない気がするじゃん。」
そうして結ばれた、ひとつの約束。
名前のない、ふたりだけの秘密。
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そして季節は秋へと移っていった。
文化祭の準備が始まり、クラスの中にも少しずつ活気が戻る中、誠と杏美だけは相変わらず放課後の“ひま部”を守り続けていた。
だが、ある金曜日。
杏美は突然、学校に姿を見せなかった。
最初は「体調不良かな」と思った。
でも次の週も、次の週も彼女は来なかった。
誠は不安を抱えたまま、放課後の窓辺に立ち続けた。
何日も、何週間も、誰も来ないその場所で、彼女の気配を探した。
そして、ある日――担任が何気なく放ったひとことが、彼の胸に杭のように突き刺さった。
「秋元は……家庭の事情で転校になった。しばらくは学校にも来れないそうだ。」
転校――それは、彼女が消えた理由のようで、答えになっていなかった。
手紙も、連絡先も、何も残されていなかった。
彼女は本当に、この世界から“失踪”したかのように、消えた。
窓辺に置かれたままの、落書き帳一冊。
そこには、こう書かれていた。
「ひま部の活動記録:
今日も空がきれい。だけど、ちょっと泣きそう。
もし、いなくなっても、森崎くんは“ここ”にいてくれるかな?」
彼女は、何かを知っていたのか。
いや、予感していたのか。
それでも誠は待ち続けた。
何も答えのないまま、ただ時間だけが過ぎていった。
そして――30年後。
誠は、約束の“窓辺”へと戻ってくる。
そこに待っていたのは、記憶の中の杏美とは全く違う、ある“真実”だった。