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K-Takasaka
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#スクラッチャーズ
#K-T
K-Takasaka
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K-Takasaka
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午前四時。
家の中は、まだ夜の底にあった。
リビングの時計だけが、青白い数字を浮かべている。
マサカゲはキッチンのテーブルに座り、ノートパソコンの画面を見つめていた。
防音室の使用予定。
録音データの整理。
次の映像作品の撮影日。
生活当番。
ライブの候補日。
画面には、細かく分けられた予定が並んでいる。
「午前四時から五時半まで、Kさんの個人練習。六時から朝食。午前中は機材整備。午後は……」
マサカゲは一度、画面を閉じた。
だが、すぐにまた開く。
予定は、決めておかなければ崩れる。
崩れれば、誰かに負担が偏る。
その誰かが自分になることには、もう慣れていた。
防音室のほうから、低い音が響いた。
ドラムの練習が始まったらしい。
マサカゲは時計を見る。
午前四時ちょうど。
「本当に正確だな……」
彼は椅子から立ち上がり、防音室へ向かった。
扉の前に立つと、ドラムの音がはっきり聞こえた。
一定のリズム。
短いフィル。
再び一定のリズム。
その上に、Kさんの声が重なっている。
マサカゲは扉を少しだけ開けた。
Kさんはドラムを叩きながら歌っていた。
声は高い。
会話のときの低く抑えた声とは、まるで別の音だった。
細く、鋭く、それでいて芯がある。
高音が伸びるたび、ドラムのリズムも少しずつ変化していく。
マサカゲはしばらく黙って聴いていた。
Kさんは、扉が開いたことに気づいているはずだった。
それでも演奏を止めない。
「Kさん」
呼びかけると、ドラムの音が一瞬だけ乱れた。
しかし、すぐに元へ戻る。
「何だ」
「午前四時から、ずっとその音域で歌ってるのか?」
「必要だから」
「それは答えになってない」
「そうか」
Kさんはドラムを叩き続けた。
マサカゲは部屋の壁に寄りかかる。
「低い声も出せるだろ」
「あまり使わない」
「なぜだ?」
Kさんはすぐには答えなかった。
右手でハイハットを刻み、左手でスネアを叩く。
その合間に、短い高音を入れる。
「高い声のほうが歌いやすい」
マサカゲは少し驚いた。
「歌いやすい?」
「そうだ」
「理由は?」
Kさんはドラムを止めた。
部屋の中に、余韻だけが残る。
「必要だから」
マサカゲは眉を寄せた。
「またそれか」
「他にない」
「あるだろ。声の響きとか、曲の構成とか、音域の相性とか」
Kさんはマサカゲを見る。
「それでいい」
「……それでいいって?」
「理由は、それでいい」
マサカゲは反論しようとした。
だが、言葉が出てこなかった。
自分なら、理由をいくつにも分解する。
音域。
発声。
呼吸。
喉への負担。
楽曲上の役割。
けれどKさんは、それらを一つの短い言葉にまとめてしまう。
必要だから。
それ以上でも、それ以下でもない。
「練習の予定を確認したい」
マサカゲは話題を変えた。
「午前四時から五時半まで。そこから三十分休憩。六時に朝食。午前中は休みにして、午後一時半から全員で合わせる」
「問題ない」
「問題ないじゃなくて、休めるか聞いてる」
Kさんは黙った。
マサカゲは続ける。
「昨日も長時間叩いてた。声も使ってる。午後の演奏に支障が出たら、予定を組み直す必要がある」
「支障は出ない」
「Kさん」
少し強い声になった。
Kさんのスティックが止まる。
「予定を守るために、休む時間も予定に入れてる。そこを削るな」
「……分かった」
マサカゲはわずかに目を見開いた。
Kさんが素直に返事をしたことが意外だった。
「じゃあ、あと十五分で切り上げろ」
「まだ十分ある」
「十五分だ」
「曲が途中」
「途中で終わらせる練習も必要だ」
Kさんは少し考えた。
「そうか」
「それ、納得したのか?」
「記録する」
「記録じゃなくて、実行してくれ」
Kさんは答えず、再びドラムを叩き始めた。
今度は、さっきよりも音数が少ない。
一定のリズムの上に、高音の旋律が乗る。
その歌は、完成された曲というより、呼吸を確認するための音に近かった。
吸う。
叩く。
吐く。
歌う。
一つひとつの動作が、正確な間隔で繰り返される。
マサカゲは壁際で腕を組み、時計を見ながら聴いていた。
予定を守るために来たはずだった。
しかし、いつの間にかKさんの演奏に耳を奪われている。
高音は、暗い防音室の中で細い光のように響いていた。
そのとき、廊下の奥から足音が聞こえた。
メバルだった。
眠そうな顔で、防音室の入口まで歩いてくる。
「マサカゲ、もう起きてたの?」
「Kさんの練習時間だからな」
メバルは室内を覗いた。
Kさんはまだ演奏している。
だが、さっきよりもわずかに声がかすれていた。
メバルの表情が変わる。
「Kさん、声……」
Kさんは演奏を止めない。
「問題ない」
「問題あるよ」
「問題ない」
「かすれてるじゃない」
「問題ない」
Kさんは同じ言葉を繰り返した。
メバルは扉を開け、防音室の中へ入る。
「Kさん、今日はもう終わりにしよう」
「まだ時間がある」
「時間じゃなくて、喉の話」
「問題ない」
メバルの声が、少し低くなった。
「Kさん」
Kさんのドラムが止まる。
メバルは一歩近づいた。
「無理をしてる声は、問題ない声じゃないよ」
Kさんは視線をそらした。
「歌える」
「歌えるかどうかだけで決めないで」
「必要だから」
「何が必要なの?」
Kさんは答えなかった。
マサカゲが口を挟む。
「あと十五分で終わる予定だ。俺が決めた」
「予定?」
メバルがマサカゲを見る。
「Kさんの体調より予定を優先するの?」
「そういう意味じゃない」
「じゃあ、休む予定に変えよう」
「メバル、俺は――」
「マサカゲも休んでないでしょ」
マサカゲの言葉が止まった。
図星だった。
メバルは二人を見比べる。
「Kさんは練習を続ける。マサカゲは予定を作り続ける。どっちも、自分が止まったら何かが崩れると思ってる」
「俺は別に……」
「思ってるよ」
メバルは穏やかに言った。
「でも、休んでも崩れないものはあるから」
Kさんが小さく息を吐いた。
その音を聞いたメバルの表情が、わずかに緩む。
「ね?」
Kさんはスティックを見下ろしている。
「……歌える」
「うん。でも、今日は歌わなくていい」
「必要だ」
「必要じゃない日もある」
Kさんの指が、スティックを強く握った。
しばらく沈黙が続く。
やがて、メバルがマイクの前に立った。
「じゃあ、一曲だけ。短く終わらせよう」
マサカゲが時計を見る。
「予定変更か?」
「そう。休むための曲にする」
「曲をやったら休めないだろ」
「音を少なくすればいいよ」
メバルはアコースティックギターを手に取った。
Kさんはドラムの前に座ったままだった。
「Kさんは叩かなくてもいい。呼吸だけ合わせて」
「必要ない」
「そう言わずに」
メバルが弦を鳴らす。
低く柔らかなコードが、防音室を満たした。
Kさんはしばらく動かなかった。
やがて、指先でスティックを軽く叩く。
ドラムではなく、膝の上に。
一定のリズム。
吸って。
吐いて。
メバルが歌い始める。
低い声が、朝の来る前の部屋に広がった。
Kさんは目を閉じた。
メバルの声を聴きながら、少しだけ高い音を重ねる。
いつもの鋭い高音ではない。
伸ばしすぎず、力を込めすぎない。
メバルの声の上に、細い息が浮かぶ。
二人の声が重なる。
音は小さい。
けれど、深く響いた。
Kさんの肩から、わずかに力が抜けていく。
それに気づいたメバルが、さらに声を柔らかくした。
マサカゲは、時計を見るのをやめていた。
曲は一分にも満たなかった。
メバルが最後のコードを鳴らし、Kさんが短い高音を添える。
その音が消えたあとも、三人はしばらく動かなかった。
「……今の、記録する」
Kさんが言った。
アオノなら喜びそうな言葉だった。
メバルが微笑む。
「うん。タイトルはどうする?」
Kさんは答えなかった。
マサカゲが窓の外を見る。
東の空が、ほんの少しだけ明るくなっている。
「夜明け前の規則」
二人がマサカゲを見る。
「予定表に書くなら、その名前がいい。午前四時の練習。呼吸。休む時間。全部、続けるための規則だ」
メバルは静かに頷いた。
「いいね」
Kさんも短く言った。
「そうか」
マサカゲはノートパソコンを開き、予定を修正した。
《午前四時から五時半:Kさんの個人練習》
その下に、新しい項目を追加する。
《五時十五分:終了。休憩》
さらに、少し迷ってから書き加えた。
《休憩も練習の一部》
「マサカゲ」
メバルが声を掛けた。
「何だ」
「自分の予定にも、休憩を入れて」
マサカゲは画面を見た。
「俺は大丈夫だ」
メバルがじっと見つめる。
マサカゲは視線をそらした。
「……分かった。十分だけ入れる」
「三十分」
「長い」
「二十分」
「……二十分」
メバルは満足そうに笑った。
Kさんはドラムの椅子から立ち上がった。
「戻る」
「寝るの?」
「寝る」
「まだ朝食まで少しあるよ」
「必要だから」
Kさんは防音室を出ていく。
マサカゲはその背中を見送った。
規則正しく、迷いなく、午前四時から音を始める背中。
その背中が、今日はいつもより少しだけ静かに見えた。
メバルが小さく呟く。
「……ぼくたちも、ちゃんと休まないとね」
マサカゲが振り返る。
「今、一人称……」
メバルは一瞬、目を丸くした。
「え?」
「いや。何でもない」
メバルは少し照れたように笑う。
「眠いからかな」
防音室の中には、先ほどの歌声の残響が残っていた。
高音と低音。
一人で始まった規則正しい呼吸に、もう一人の声が重なった。
夜明けはまだ遠い。
それでも、音の中には確かに、朝へ向かう余白が生まれていた。
コメント
1件
よかった…いや、めちゃくちゃ良かった。 「必要だから」って言い続けるKさんに、メバルが「必要じゃない日もある」って返すところ、刺さった。予定と呼吸と休憩、全部「続けるための規則」っていうマサカゲの視点も好き。三人の距離感が音で伝わってくるエピソードだった。次も読む。