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それから数年が経ち、私は高校1年生になった。
あれほど重かった体は、まるで嘘のように軽くなっている。
理由は不明だけれど、私の体調は時間と共に自然と――いや、不自然なほど順調に回復していた。その不可解さに首を傾げることもあったが、日々の生活に追われるうち、いつしかそれを当たり前のこととして受け入れていた。
「――ねぇ。空ーー」
「んにゃ……?」
「空ねぇ。起きて」
「ん……く……み?」
意識の波打ち際で、鈴のような声が響く。
夢と現実の狭間を漂う私の耳に、その声は心地よく染み込んでくる。
「あなたの親愛なる妹、ME93、有海玖三が正午をお知らせいたします」
その機械的な物言いに、私の意識は一気に覚醒した。
「へ!? 嘘!?」
私は跳ね起きた。布団が宙を舞う。遅刻!? 心臓が早鐘を打つ。
「冗談。ドッキリした?」
玖三の平坦な声が、静かな部屋に落ちる。
「……は?」
「現在の時刻、6時30分。全然余裕ある。……バイタル正常、問題なし……だね」
時計を見ると、確かにまだ登校まで十分な余裕があった。安堵と共に、じわりと込み上げてくる怒り。
「も、もうっ!! いつもそうやって私のこと弄んでっ!」
頬を膨らませる私に、ベッドの脇に立っていた玖三は、少しだけイタズラっぽく笑み浮かべ小首をかしげた。
「一番効率的な覚醒方法を選択しただけ。むしろ感謝して」
「……うぅ、相変わらず正論っぽい口調で……」
抗議の言葉も、彼女の前では無力だ。いつもこうだ。玖三の論理的な物言いに、私は太刀打ちできない。
「それより朝食できてる」
「あっ、うん、ありがとう……」
スタスタと部屋を出ていく背中を見つめ、私はふと漏らす。
「……なんか、お姉ちゃんらしいこと、全然できてないなぁ」
玖三の足がピタリと止まった。
「空ねぇは、私がそういう役目の存在だってこと忘れてる?」
「も、もちろん覚えてるよっ。ただ……あの感じで世話上手だとは思ってなかったから……」
「……あーショックで塩と砂糖、醤油とコーラを間違える可能性が急上昇したかも」
その脅し文句に、私は慌てて首を横に振る。
「ご、ごめん! だけど、コーラ煮はやめて! 後それ、私が本当にボケて間違えたやつ!」
「明日の休日、一日構ってくれたら可能性下がるかも」
「構う! いくらでも構うから!」
「……言質取った。ご飯冷めるから早く」
くるりと背を向けたその足取りが、少しだけ弾んでいるように見えたのは、私の気のせいだろうか。
*****
整備された中層区の遊歩道を妹と手を繋ぎながら歩く。
朝の光が、磨き上げられたタイルの上を滑るように流れていく。すれ違う人々の上には、半透明のホログラム数値――**《信用スコア》**が浮かんでいる。Bランク、Aランク、Cランク……。誰もがその数値を気にして、品行方正に振る舞う息苦しい朝。
この光景も、もう慣れてしまった。
数値で人を測る世界。最初は違和感があったけれど、今では当たり前の風景だ。
「おはよーっ! 空っ! ……と、有海玖三っ」
背後から抱きついてきたのは、幼馴染の龍上蓮花だった。彼女の頭上には、誇らしげに『A+』の数値が輝いている。明るい性格と社交性で、常に高スコアをキープしている蓮花らしい数値だ。
「あ、おはよう蓮花」
「暑苦しいのがきた……」
玖三の冷めた声が、朝の空気を切り裂く。
「表現が稚拙ね傲慢AI! ここは太陽が正しいんじゃないのかしら?」
「空ねぇ、こいつ紫外線放出してる肌の天敵だから離れて」
「なんですってー!! これが比喩だとわからないのかしら? 滑稽ねっ!」
「コケー」
「このバカにしてっ!」
「二人とも朝から勘弁してっ……」
いつもの掛け合い。この二人は顔を合わせれば必ず言い争いを始める。水と油のような関係だけれど、それでも何だかんだで一緒にいる。不思議なバランスだったりする。
その時、視界の端に赤い警告色が走った。
網膜に直接投影されるホログラムのニュースフィードだ。普段は広告や天気予報が流れるだけのこの画面が、今日は違う。
《緊急速報:下層区(カオス・スラム)の暴徒、中層区へ侵入》
「えっ……?」
「どうしたの、空?」
思わず足を止める。心臓が嫌な予感で鼓動を早める。
SNSで拡散されているらしい動画が、自動的に再生された。ブレた映像。悲鳴と怒号が混ざり合う音声。そして――
仮面を被った男が映っている。そして、その男が従えているモノ――。
黒いローブを纏った機械人形。
そこから伸びる無数の鎖が、まるで生き物のようにうねり、治安維持ボットを紙屑のように引き裂いていた。金属の悲鳴。火花。爆発音。そして、映像越しでも伝わってくる、生々しい「恐怖」。
画面の中で人々が逃げ惑っている。この世のものとは思えない光景。まるで悪夢のような――
「これ……ホントかなぁ……? 映画の宣伝とかじゃなくて?」
喉の奥が渇く。声が上ずる。
「…………」
「玖三……?」
隣を歩く玖三を見上げる。彼女は動画を一瞥もしない。ただ前方を見つめたまま、いつもと変わらぬ平坦な声で言った。
「ん? ああ。このご時世、ディープフェイクなんて幾らでも作れるから。センセーショナルな映像でPV稼ぎたいだけかと」
その言葉に、私の中の不安が少し和らいだ。
「だよね……流石にこれはゲームというか、ファンタジーすぎるもんね」
ホッとして胸を撫で下ろす。そうだ、こんなのが現実なわけない。CGだ、フェイク映像だ、そう思い込もうとする。
私とは対照的に、玖三の瞳が一瞬だけ鋭く細められたことに、私は気づけなかった。その視線の先に何があるのか、その表情が何を意味するのか、私には分からない。
「と見せかけた、現実は小説より奇なりパターンもありえるわよ?」
蓮花の声が、私の思考を現実に引き戻す。
「現実とフィクションの区別がつかないの?」
「そらあああああー! コイツ、可愛くない! イジメてくるー! 私、空と同い年でコイツより年上なのにー!」
「もう、玖三っ。あんまり喧嘩売るようなことしないで仲良くしてね」
「……考えとく」
「考えるな、今すぐ善処しろぉ!」
蓮花の抗議の声が、朝の空気に響く。
そんなやりとりをしているうちに、学校の校門が見えてきた。いつもの白い建物。いつもの風景。ここまで来ると、さっきの動画のことも、どこか遠い世界の出来事のように思えてくる。
すると玖三はふと立ち止まった。
「……まあ、でも」
「え?」
その声に、私は振り返る。
「不審者が紛れ込んでるのは事実みたいだから。今日は寄り道しないで真っ直ぐ帰ってきて。それじゃ」
「うん、わかった。玖三も気をつけてね」
手を振って別れる。玖三の小さな背中が、人混みの中に消えていく。
「ねぇ、空?」
蓮花の声に、私は振り返る。
「んー?」
「アイツって空のこと見送った後って何してんの?」
その質問に、私は首を傾げた。
「……うーん、前に聞いたことあるけど、自宅警備って……」
「アイツまた適当なこと言ってるでしょ……! 絶対家にいないわよ……」
蓮花の言葉に、私は苦笑する。確かに、玖三が素直に家にいるとは思えない。でも――
「あはは……、でも、玖三はああ見えて優しい子だから悪いことはしてないと思うよ」
「空はアイツのこと信用しすぎよ……。後、優しいのは多分空限定でしょ」
「……ソンナコトナイヨ」
わざとらしく目を逸らす私に、蓮花は呆れたように息を吐く。
「ごまかし下手か!」
「べ、別にごまかしてなんか……。そもそも、どうしてそんなこと急に?」
「基本空にベッタリって感じだから、何やってんのかなーって。寧ろ周りの人間の記憶や記録を改竄して学校に潜り込むタイプだと思ってたわ」
その冗談めいた言葉に、私は言葉に詰まる。
「それはー……うん……」
「ごまかすの諦めたわね」
そんな平和な朝の裏側で、日常が少しずつ軋み始めていることを、私はまだ知らなかった。