「リッキー、ジョウロを取ってくれるか」
「かしこまりました」
昼下がり。パトリックは従者であるリッキーと共に、館の温室に来ていた。
「パトリック様がお植えになったチューリップ、綺麗に咲いていますね」
パトリックは花を育てている。目の前には以前植えたチューリップが、赤やオレンジ、黄色、ピンク、白……と、色とりどりに咲き誇っている。
「ああ。正直ちゃんと育つか不安だったんだが……咲いてくれてよかった」
パトリックはリッキーから受け取ったジョウロに水を入れ、チューリップの側で優しく傾けた。
植物の世話というのは、なんというか優しい気持ちになる気がした。
「そういえば、パトリック様は何故チューリップをお選びになったのですか?」
リッキーはパトリックにさりげなく尋ねた。
「色が……綺麗だからだ」
少し言葉に詰まってしまったパトリックは、なんとなくそう答えた。
なんとも単純で、面白くない答えだ。
だが本当は違う。
パトリックには、絶対にチューリップを渡したい相手がいるんだ。
パトリックには好きな人がいる。
名前はエミリコ。
同期であるケイトの“生き人形”だ。
もちろん、シャドーが生き人形を好きになるなんて事は、館での立場上、許される事ではない。しかし、シャドーの「顔」の役割をするだけという生き人形に対する以前の認識は、あの“お披露目”で、彼女によって変わった。
シャドーの「顔」をするばかりだと思っていた生き人形に、内面がある事を知ったんだ。
彼女の見せる可愛らしい笑顔。
ケイトとはまた違う、眩しい太陽のような笑顔。
パトリックはそんなエミリコを好きになってしまった。
しかし、それは館のルールに反する事だからリッキーにも周りにも言えないが、エミリコには気持ちを伝えたい。
『顔を褒めたのはパトリック、貴方を褒めたのと同じでしょ?“生き人形”と自分を分けて考えるのはやめて』
サラには以前図書室でこう言われたが。
あの言葉は頭にきた。生き人形とシャドーは全く別じゃないか。シャドーにはシャドーの、生き人形には生き人形の性格や個性があるんだから、それを尊重するべきだとパトリックは思う。
エミリコとケイトは別だし、リッキーとパトリックだって全然違う。ルウとルイーズ、ショーンとジョンも。ラムとシャーリーだって。
みんな確かに違っていたはずだ。
生き人形とシャドーは分けて考えるべきなんじゃないか。
全くシャドーハウスは一体何を考えて──
「……!!」
っと、これ以上はいけない!
シャドーハウスと偉大なるおじい様に疑問をもつ事は禁止されているのに──
「パトリック様……?」
「っ!」
不意にリッキーに呼ばれ、ビクリと肩を震わせた。
「す、すまないリッキー。少し考えふけってしまってな」
「そうですか。少しお疲れのようです。お部屋に戻られたほうがよろしいのではないでしょうか?」
「そ、そうだな……」
館に疑問をもってしまった事を見透かされたかのようなタイミングで呼ばれたものだから心臓が飛び跳ねたが、そういう事では無さそうで良かった。パトリックは未だに鼓動が止まない胸を撫で下ろした。
確かにリッキーの言う通り、パトリックは少し疲れているのかもしれない。今日は部屋に戻ろうと思ったが、歩きだすリッキーを呼び止めた。
「あ……少し待ってくれ、リッキー。チューリップを一輪だけ摘ませてくれ」
チューリップを植える前の事だ。パトリックは温室で、マーガレットから花の説明を受けていた。彼女の花に関する知識は本当に勉強になるから、いつも頼りにしている。
そんな彼女から、「花言葉」というものを教えてもらった。花には、種類や色によってそれぞれ異なった意味があるらしい。相手に花を贈る時には、花言葉を意識して選ぶと良い、とアドバイスしてもらった。
マーガレットからいろいろな花言葉を教えてもらって、しっくりきたのはピンク色のチューリップだった。しかし、それだけだと花が咲いた時、全体的に見て味気が無い。それに花言葉で悟られたくなかったというのもあって、他の色も植えてごまかす事にしたんだ。
やがて、植えたチューリップは色とりどりに咲いた。
エミリコを想いながら植えたピンク色のチューリップは、より一層、綺麗に見えた。
パトリックはピンク色のチューリップを一輪摘むと愛おしく紙に包み、リボンも結んだ。いつ渡そうか。そう思った時に、昨日のケイトとのやり取りを思い出した。
『明日の夜に同期会を開こうかと思っているの。今回は生き人形も同席させようかと思っているのだけれど……パトリックの部屋を使っても大丈夫かしら?』
『ああ、大丈夫だ』
同期会に生き人形も同席させるなら、どこかのタイミングで渡せると良いが──。
そして時間は経ち、同期会の集合時刻。
一番最初にケイトとエミリコが来た。自然と鼓動がうるさく鳴った。2対しかいないのなら花を渡せるのではないか?しかしケイトとリッキーに悟られてしまう……。
一人で葛藤しているうちに、ジョンとショーンが来てしまった。
「よし、間に合った!!」
「静かにして……!!」
相変わらずやかましいジョンをひっそりと注意するケイト。同期会を開く時はいつもこうだ。
そんな光景を見ているうちに、ルイーズとルウも来た。
「こんばんはパトリックっ!」
ルイーズはパトリックに挨拶するなり、真っ先に椅子に座る。
そしてあたかも自分の部屋であるかのように机に突っ伏し、手をパタパタさせてくつろいでいる。
別に良いんだが。ただ、一応パトリックの部屋だからな?
「ねえケイトっ、今日は生き人形も一緒にって言うからルウを連れてきたけど、何するのっ?」
「生き人形も同席なんて珍しいよな!ケイト、何をするんだ?」
ルイーズとジョンがワクワクした様子で訊くと、ケイトは答えた。
「お話したりゲームをしたり、他愛の無い事よ。普段、生き人形はシャドーの顔としての役割を担っているけれど、ルールばかりでは息が詰まるわ。だから今日は、顔という役割を忘れて楽しんでほしいの」
生き人形も同席とはそういう事だったのか。
「生き人形はポートレイトを脱いで。今日は自由に喋ったり行動したりして良いから、楽しんでちょうだい」
ケイトがそう言うと、生き人形はポートレイトを脱ぎ始めた。
「なんかワクワクするな!!それにショーンにジョンの顔という役割を押し付けなくて済む!」
「ルウ、楽しもうねっ!ルイーズトランプ持ってきたよっ!」
「それはいいわね。皆でやりましょう!」
騒がしい奴らだ。「パトリックはやらない」……自然とひねくれた言葉が口から出かけたのだが。
「パトリックは──」
「パトリック様も一緒にやりましょう!」
それは元気で可愛らしい声によって遮られた。エミリコだ。そんな無邪気な笑顔を向けられたら参加せざるを得なくなるじゃないか。
トランプ自体に気は乗らないが、エミリコがそう言うなら……と席に着いた。
「ッハハハ!パトリック、お前ババ抜き弱すぎ!」
「パトリック面白ーいっ」
「ふ、ふん……!今回はたまたまだ!」
皆でババ抜きをした結果、最後にケイトから見事にババを引き、負けてしまった。
「……少し風に当たってくる」
パトリックはそう言って席を外した。
決して悔しくなどない。そんな事では席を外さない。
パトリックの手札を引こうとする度に、パトリックの真っ黒い顔を何故かじっと見てくるエミリコに、緊張が隠せそうになかったんだ。
「なんだよパトリック。そのくらいで拗ねるなって」
別に拗ねている訳では無い。というか、ジョンの言葉にカチンとくる。さっき癇に障る言い方をしてきた癖になんなんだ。
口には出さなかったが、すすが薄く広がった。
窓を開けると心地良い風が通り抜けた。後ろではババ抜きのニューゲームを始めているようで少々騒がしいが、風に当たるのは良い気分転換になる。
しかし、さっきはせっかくエミリコが誘ってくれたのに、なんだか悪い事をした。花も渡せていない。モヤモヤしながら窓の外を眺めていた時だった。
「パトリック様」
不意に話し掛けられ振り返ると、にっこりと優しく微笑むエミリコがいた。
「エミリコ……?トランプには混ざらないのか?」
「はい、パトリック様の様子が気になったので……」
エミリコは窓枠に手をかけた。
「……さっきはすまなかったな、お前から誘ってくれたのに席を外して」
「いえ!大丈夫ですよ。……緊張されてましたか?」
「!」
「手が震えていたものですから気になって……」
確かに、手札を持つ手は震えていた。それはエミリコがあまりにもこちらの顔を覗いてくるからだ。顔が無いのに表情を伺おうとするなんて、なんともエミリコらしいが。
エミリコは、手札が震えていた事に気付いたのだろう。とはいえ、エミリコに悟られてしまうなんて、なんだか恥ずかしかった。
「あの……私がいると緊張させてしまいますか……?」
「!いや、大丈夫だ。そんな事言ってない。なんというか、その……さっきはあまりにもパトリックの顔を見つめてくるものだから緊張しただけで……」
「!そうだったんですか!すみません……!」
エミリコは勢いよく頭を下げた。いやいや、大袈裟すぎる。
「いや……そんなに強く謝る事は無い。顔を上げてくれ。…その、パトリックはエミリコといるのが好きなんだ」
恥ずかしくなりながらもパトリックがそう言うと、エミリコは少し驚いたような表情で顔を上げた。するとすぐにパァッと花が咲いたような笑顔になった。
「私もパトリック様といるの大好きです!だから嬉しいです!」
エミリコはそう言ってにこにこと笑った。嬉しくて泣きそうだ。……ああ、そういえば、今なら花を渡せる。泣いている場合ではない。
「エミリコ。……その、渡したいものがあってだな」
「?私にですか?」
「ああ」
パトリックは、大切に置いておいたピンク色のチューリップを手に取ると、エミリコに渡した。
「わぁ!可愛いお花ですね!確かこれは“チューリップ”というお花ですよね。ケイト様が教えてくれました!パトリック様が育てたんですか?」
「ああ。実はエミリコにあげようと思って育てたんだ」
なんだか恥ずかしくて、やり場のない片手を思わず後頭部にまわした。
「私のために育ててくれたんですか!嬉しいです!大切にしますね!」
「これはパトリック様との秘密ですね」と言ってチューリップを持つ手を後ろにまわすエミリコに、今度こそ泣きそうになった。
ずっと渡すタイミングを気にかけていた花を無事渡せて、そして喜んでもらえて本当によかった。心の中の靄がすっかり晴れた気分だった。
「おいパトリック!いつまで拗ねてるんだよ。もうお開きだぞ」
ジョンのやかましい声で呼び掛けられる。思っていたより時間が経っていたようだ。
「お前はうるさいからさっさと出ていけ」
「なんだとー!お前の許しを得てここで同期会を開いたんだろうが!」
「貴方たち、お願いだから喧嘩はやめて」
ジョンと言い合いが始まりかけたところを、ケイトに静かに止められた。でも、それをエミリコがクス、と笑ってくれたから、なんでもいいかと思ってしまった。
皆が出ていった途端、急に静けさが訪れる。さっきまで皆がこの場にいたとは思えない静けさだ。
「そういえばパトリック様。先程はエミリコと話されていたようですね」
「ああ……他愛も無い話を、少しな」
何を話したかは、いくらリッキーでも言わない。
『これはパトリック様との秘密ですね』
きっとエミリコも秘密にしてくれる。これは、パトリックとエミリコの秘密だから。
──ピンク色のチューリップと一緒に、パトリックの「誠実な愛」は届いただろうか。
-END-
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僕パトエミとかションエミとか大好きなんです!!!! パトエミのストーリー中々ないので嬉しすぎて感激です! もし良かったらまたパトエミやションエミのストーリーつくってくれませんか!?!?!?