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淡々と流れるモノクロの景色を、ただぼんやり眺めていた。何も変わらない、変わるはずもないと思っていた俺の日常に、ある日風が吹き抜けるように視界をさらっていく存在が現れた。


目を奪われた。息をするのも忘れるほどに。


その人はいつだってくるくると表情を変える。

晴れたり、曇ったり。

笑ったと思えばすぐすねてみせたり。

コロコロ変わる表情に大変そうだなあと感じながら、なのに目が離せない。



——そんな風に俺の世界を色で満たしたその人は、まるで光を呑み込んだ万華鏡だ。


 


ある日は。



「江島!一時期調子よかったのに、また悪くなってるぞ!」



「っひええ…!す、すすすみません……!!」



部長に絞られて俯く、その情けない顔は思わず吹き出しそうになるほどで。

必死すぎて憎めない、そんな姿。



またある日は。



「えーじま、今日飲み行かない?」



「三浦!うん、行く行く!!」



幼く無邪気に笑う先輩は、まるで子どものようにあどけなくて。

(この人ら本当に同期かよ)と何度も心の中でツッコんだ。



そしてまたある日は。



「江島さん、次の商談で使う資料のコピーお願いしてもいいですか?」



「う、うん!まかせてよ……!」



「お願いしまーす!」



自分よりずっと年下の女性社員にぱしられているというのになぜか誇らしげに胸を張るその姿。

去っていく彼女を見送りながら、鼻の下をしっかり伸ばすそのあまりのわかりやすさは、呆れを通り越して思わず笑ってしまうほどだった。




そして———



「こら藤沢!俺の卵焼き取るなって!」



俺によく見せる、怒ったような困ったような顔。



——くるくると変わるその表情にどうしたって目が離せない。

江島孝介はまるで万華鏡のような人。





「……もぐ、もぐもぐもぐもぐ」


———ゴクン。



「っああ!おまえ食べたな……!」


給料日前のなけなしのおかず…!

絶望感むき出しで叫ぶ先輩の弁当箱には、白米と梅干しがぽつん。

まるで漫画みたいな日の丸加減だ。


ぷんぷん怒る先輩を見ていると、またしても最近俺を悩ませる“あの症状”がやってくる。



心臓が痛くなる病。



くるくると変わる表情をただ眺めているだけなのに、胸の奥がざわざわして。

そしてまるで掴まれたように苦しくなる。


原因不明。対処法も不明。

なのにこの病はどんどん悪化していた。



(なんでこの人だけ…?)


まさか呪い?

俺を潰そうとしてるのか?

なんてこの先輩に限ってあるわけない。

純粋無垢って言葉を人の形にしたような人だぞ。


だったら、なんで——



「藤沢!」



「っあ、はい」



不意に名前を呼ばれてはっとする。

ずいぶん考え込んでいたらしい。



「ぼーっとしてたけど…もしかして体調悪い?」



さっきまで怒ってたはずなのに。

今度は心配そうに眉を寄せてのぞき込んでくるその顔に、またズキズキと胸の奥が痛んだ。



「…いえ大丈夫です。なんて仰ってました?」



「もーいいよ、その話は」



「はぁ……あ、うまかったっす」



「ん?」



「卵焼き。めちゃくちゃうまかったです」



その言葉に先輩はふわりと笑った。

「俺が作ったんだ…!」と照れくさそうに口元を緩ませるその背後には、気のせいか花が咲いていた。



「江島さん、魔法使えたりします?」



「は?魔法?」



「それか手品とか」



「なにそれ、使えないよ」



結構大真面目に言ったつもりだが先輩は冗談と受け取ったらしい。

あははと笑い声を上げてから、「藤沢もそんな冗談言うんだね」と目尻を下げる先輩の顔に、俺は魔法も手品も使えないらしいけどやっぱり先輩は万華鏡のようだと心の中で頷いた。






「あいつ、調子に乗りすぎなんだよ!」



(…おっと)



定時を過ぎた静かなオフィスに、ひときわ刺々しい声が響いた。

営業先から戻った俺は商談がまとまったことを報告しようと部長のもとへ向かう途中のことだった。


喫煙所から突如飛んできたその声に、俺の足は自然と止まる。

聞き慣れた苛立ち混じりの低い声。

ついでに洩れてくる乾いた笑い。



(…まあ、だよな)



そっと視線をやると案の定そこにいたのは営業部の先輩たち。

名前は知らないAとBとC。

たしか江島さんたちの一つ上の代で、入社してすぐの三浦さんに抜かれたって話だ。


今となっては「江島さんは使えない」なんて空気が社内にあるけど、俺から見ればあの人らのほうがよっぽどお粗末だ。

たしかに江島さんは営業成績が飛び抜けてるわけじゃないし後輩からナメられてる節もある。

でも人当たりがよくて面倒見もいい。

そういう人としての信頼をちゃんと集めてる人だ。


その点、この人らは結果は出せないくせにプライドだけは一丁前で、長く勤めてるってだけで後輩に威張り散らす。

見ててほんとにクソダサい。

今日だって外回りにすら行かずやってることといえばこんなとこでの愚痴の応酬。

顔には作りものの薄笑い、手には惰性のタバコ。

口から出てくるのは火よりぬるくて、煙より薄っぺらい愚痴ばかりだ。


こんなやる気のない連中には関わらないのが得策──

そう思い、気づかれないようにそっと通り過ぎようとしたそのとき。



ある言葉が耳に飛び込んできた。


 

「ほんと生意気なんだよ!今月も一位なんて……ッ!!」



(うわダル、俺のことかよ…)



今月の営業成績一位も間違いなく俺だ。

どうやら絶対に関わり合いたくないと思っていたA御一行が愚痴っていたのは俺だったらしい。

先輩たちは、俺や他の社員がすぐ近くを通るなんて思ってもいないのだろう。

バカ丸出しの声量と語彙で堂々と愚痴をまき散らしていた。



「すました顔で次々成約かっさらいやがって……。ちっとは先輩の顔立てろってんだ!」



「どうせたいした腕もないくせに顔だけで取ってんだろ。女にチヤホヤされて調子に乗ってんだよ」



「課長も部長もあいつばっか肩入れして……」



「ほんと目障りなんだよ、藤沢のやつ!」




(…………)




ほんと、レベルが低いよあんたらは。


ノルマがある以上、社員同士の多少の蹴落とし合いは仕方ない。

だから俺に思うところがあっても別に構わない。

同期同士で鬱憤を晴らすのもまぁ否定はしない。


でも愚痴で営業力は上がらない。

陰口で数字が伸びるなら誰も苦労しない。

今あんたたちに必要なのはこんなところで傷を舐め合うことじゃなくて。

課長や部長に頭を下げてでも、同行お願いしてロープレ頼んで、少しでもスキルを磨くことなんじゃないのか。



(……なんて。こんな単純なこともきっとわかんないんだろうなぁ)



いや、もしかしたらとっくに気づいてて、でも行動に移す気力がないだけかもしれない。



……ま、どっちでもいいか。



ご自由にどうぞと心の中で肩をすくめて、くるりと踵を返そうとした——そのときだった。


 


「あれ?藤沢、今帰り?」



「っせんぱい……」



なんてタイミングの悪さ。



向こうからお疲れーと片手を上げながら歩いてくる江島さんの姿に、思わず舌打ちを鳴らす。



「ラスト、D社との商談だったっけ?うまくまとまった?」



「…えぇまあ」



「おお、さすが藤沢!」



おめでとう!と先輩はまるで自分のことのように顔を綻ばせた。

その笑顔に触れた瞬間、俺はさきほどまで胸に澱んでたものがスッと霧のように晴れていくのがわかった。



「で、こんなとこで何やってたの?」



「ッ……」



ぎくりと肩が跳ねる。


後ろからはまだくすぶるような悪態の声が聞こえてくる。けれど俺に関するワードはもう出てこなかった。

江島さんは眉をひそめてはいたけど、きっと内容までは聞き取れていない。俺のことだとは気づいていないようだった。

そしてそのことに安堵している自分がいることに気づく。


俺…誰に何聞かれてもいいって思ってたけど。江島に聞かれるのだけはなんかイヤなんだ……。


でもどうしてこの人にだけ…と呑気そうなその顔を見ると、どうした?とでも言いたげに小首をかしげた。

小動物かと心の中でツッコんで、小さく首を振る。



「いえ。…部長に報告しにいくところだったんで、よければ江島さんも来てくれますか?」



「えっ?う、うん…!わかった!」



突然の頼みに戸惑いながらも、江島さんはすぐに素直な声で頷いた。

お人好しで、こういうとこほんとに従順で。

俺以外のやつにもこうなのかなって考えたら、針に刺されたような痛みが心臓に走って。


でもとにかく今はこの人をこの場から連れ出すことだけを考えて、俺はさりげなくその腕を掴んだ。


そのときだった。



廊下に響いた名指しの悪口に、江島さんの目がぱっと見開かれた。



———つクソ、遅かった……!


今のでさっきまで延々と飛び交っていた悪口の矛先が目の前のやつだと悟ったはずだ。

ビー玉みたいな大きな瞳がぱしぱしと瞬きを繰り返す。

そして状況を飲み込んだその瞬間、見る間に顔色が青ざめていった。



「ふっ藤沢…いまの聞こえた…?」



窺うようにこちらを見上げる目がゆらゆら揺れている。

口元がかすかに震えていた。


——まったく、第一声がそれか。



悪口を聞いて俺が傷つくとでも思ったのか。

真っ先に口にしたのが俺への気遣いとは、ほんとどこまでいってもこの人はお人好しなのだ。



「そりゃ、ばっちり」



さきほどまで先輩に知られるのはごめんだと思ってたはずなのに。

観念してあっさり肯定してみせれば、先輩はガン!!と目に見えてさらに青ざめた。

青すぎてもはや白い。



「だ、大丈夫…?」



「何がです?…ああ、今のなら気にしないでもらって大丈夫ですよ。

眼中にないやつに何言われても痛くもなんともないんで」



そう返すと、先輩はぱくぱくと金魚みたいに口を動かしたあと、ふいに俯いてしまった。


頭が俺の正面に落ちてきて、そのてっぺんにつむじがひとつ。

先輩は何かを考え込んでしまったようだが、俺はといえば悪口よりも、むしろ初めて目にする先輩のつむじの方が気になってしまう。


いつもの慌ただしさが嘘みたいに静まり返る。

俺と先輩、そしてつむじのあいだを奇妙な空気がゆっくり流れていく。


そんな沈黙を破ったのは先輩だった。



「でも……」



ぽつりと零したあと、先輩はゆっくりと顔を上げた。

その表情はいままで見たことのないような複雑な色を帯びていて。

そしていつもの気弱な先輩からは想像できないほど強い光が眼差しに宿っていた。



「でも俺はいやだよ……!おまえのこと何も知らないくせに悪く言うなんて……俺はすっごくいやだ!」



その言葉は震えていた。

けれど言葉の奥に秘めた感情は鮮やかで、どこまでも真っ直ぐだった。


 

「——っ」



言葉が詰まる。胸が押しつぶされそうになる。



「お、おまえは気にしないんだろうけどさ……」



語尾がしぼんで、先輩はまた顔を伏せる。

つむじがまた目の前にちょこんと現れた。


その丸い頭を見ていたら、なんだか胸の奥がくすぐったくなってきて——

気づいたときには、俺は笑ってしまっていた。


そしてこぼれた音は自分でも驚くほどあたたかくてやわらかかった。



「ありがとうございます、先輩」



本当に何も思わなかったけど。

でも、もし俺の代わりにかなしんでくれる人がいるのなら。

たった一人、俺をわかろうとしてくれる人が現れるのなら。



——その一人が先輩であればいい。

そんなことをぼんやり思いながら、俺は震える背中を促して廊下をあとにした。

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