テラーノベル
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最後まで、ハリーは拒んだ。
公式な場でも。
非公式な会議でも。
審問官の前でも。
マクゴナガルの前でも。
一度だけ、魔法大臣本人を相手にしても、はっきりと言った。
「僕はやらない」
その返答だけは、最初から最後まで変わらなかった。
ドラコを裁くこと。
しかも自分の手で終わらせること。
それを正義として引き受ける気など、一度もなかった。
だが、事態は個人の意思で止まる段階をとっくに越えていた。
世論はますます熱を持つ。
新聞は連日、闇の魔術の再燃を煽り立てる。
“次のヴォルデモートの芽を摘め”
“英雄は再び立つべきだ”
そんな見出しが、朝も夜も踊る。
ハリーが拒絶すればするほど、群衆は苛立った。
なぜためらう。
なぜ庇う。
なぜ裁かない。
まさか情が移ったのか。
あるいは、お前もまた同類なのか。
その声はもう、理屈ではなかった。
熱に浮かされた信仰に近い。
そしてある朝、魔法大臣は勝手に決めた。
ハリー・ポッター立ち会いのもと、ドラコ・マルフォイを公開処刑に付す、と。
発表は昼にはもう新聞の号外になっていた。
ハリーの承諾など、どこにもない。
なのに、すでに決まった事実として街へ流れていく。
ハリーがそれを知った時、目の前が少し白くなった。
「何で」
喉の奥から、ひどく乾いた声が出る。
「何でそんなことを——」
魔法大臣は書類から顔も上げず、淡々と答えた。
「もう止まりません」
その一言がすべてだった。
「民衆は決着を求めている」
「あなたの名が必要なのです」
「あなたが拒めば、かえって混乱は大きくなる」
混乱。
必要。
決着。
そんな言葉で、ドラコの死が整えられていく。
ハリーはそこで、本気で机を殴りたくなった。
でもそうしなかった。
怒鳴り声ひとつで何かが覆るような段階ではないと、もう知っていたからだ。
「……判決を変えろ」
最後のつもりで言う。
魔法大臣はゆっくり顔を上げた。
「変わりません」
その静かな断言に、ハリーの中で何かが崩れた。
足掻いても、足掻いても、どこにも届かない。
拒んでも拒んでも、勝手に自分の名が使われていく。
“英雄”という物語が、本人の意志を置き去りにして独り歩きしている。
その中で、ドラコだけが現実に死ぬ。
ハリーはそこでようやく、自分が負けたのだと知った。
正しさにではない。
群衆にでもない。
もっと曖昧で、もっと巨大な、社会が欲しがる“わかりやすい終わり方”に。
⸻
最後の面会は、処刑の前夜だった。
通された部屋は静かだった。
石壁。
細い窓。
重い扉。
暖かさのない灯り。
そこにドラコはいた。
立っていた。
椅子に座っているのではなく、自分の足で。
背筋は伸びていて、顔色は青白いが、妙に整っている。
まるで、これから何かの儀礼へ向かう人間みたいだった。
その姿を見た瞬間、ハリーは胸が締めつけられた。
死ぬと分かっている人間の静けさは、どうしてこんなにもきれいなのだろう。
やつれている。
眠れているはずもない。
それでも今のドラコには、以前のどんな夜よりも澄んだものがあった。
そしてひどく残酷だった。
「……ひどい顔だな」
ドラコが先に言った。
その声音は驚くほど穏やかで、ハリーは一瞬返事を忘れた。
「君が」
ようやく絞り出す。
「そんなふうに言うなよ」
ドラコはほんの少しだけ口元をやわらげた。
「言うさ」
「最後くらいは」
最後。
その二文字だけで、ハリーの喉が詰まる。
ドラコはゆっくり歩み寄った。
鎖も拘束もない。
逃げる気がないからだろう。
あるいはもう、逃げる意味がないからか。
その歩き方すら、静かだった。
急がない。
怯えない。
受け入れてしまった人間の速度だ。
ハリーはその場から動けなかった。
「……僕、やらないから」
最初に出たのは、それだった。
泣き言みたいな、あまりにも弱い言葉。
ドラコは少しだけ目を伏せる。
「知ってる」
「知ってるなら」
ハリーの声が揺れる。
「頼むから、そんな顔するなよ」
「どんな顔」
「もう決めてる顔」
その一言に、ドラコは否定しなかった。
否定できなかったのだろう。
長い沈黙のあと、ドラコは静かに言った。
「公開処刑になる」
ハリーは何も答えない。
知っている。
だからこそ、ここへ来たのだ。
「お前が最後まで拒めば」
ドラコは続ける。
「処刑人は別の誰かになる」
「それでいい」
ハリーは即座に言った。
だがドラコは、ゆっくり首を振る。
「よくない」
「何が!」
思わず声が大きくなる。
でもドラコはそれにも揺れない。
「公開の場で」
低い声。
「一般の魔法使いたちが、一人ずつ呪文をかける」
「死ぬまで」
「恐怖と見せしめのために」
その言葉に、ハリーの顔から血の気が引いた。
想像したくなかった形が、そこで具体的な輪郭を持つ。
民衆の怒りを満足させるには、そのほうが都合がいい。
英雄が手を下さないなら、皆で裁けばいい。
それこそ“正義の参加”として消費される。
吐き気がした。
「そんなの」
ハリーは掠れた声で言う。
「そんなの、させるわけないだろ」
「だから」
ドラコはそこで、ハリーをまっすぐ見た。
その目には、恐怖がないわけではなかった。
でも、それ以上に、疲れ切った静かな決意があった。
「お前がやれ」
部屋がしんとした。
ハリーは、何を言われたのか理解するまで数秒かかった。
理解した瞬間、胸の奥がひっくり返る。
「……嫌だ」
かろうじてそれだけ言う。
「嫌だよ」
もう一度。
「そんなの、絶対に嫌だ」
ドラコは一歩だけ近づく。
「分かってる」
「分かってない!」
ハリーはとうとう声を荒げた。
「君、自分が何言ってるか分かってるのか」
「僕に」
「僕に、君を」
喉が詰まる。
「殺せって言ってるんだぞ」
最後の言葉は、ほとんど壊れていた。
ドラコはその声を聞いても、顔を背けなかった。
その静けさが、余計にハリーを追いつめる。
「お前がやるなら」
ドラコは低く言う。
「終わりは一瞬で済む」
「やめろ」
「他の奴らなら、違う」
「やめろって言ってるだろ!」
ハリーの目が赤い。
怒りなのか、涙なのか、自分でも分からない顔をしている。
ドラコはその顔を見て、胸の奥が少しだけ痛んだ。
それでも、ここで引くわけにはいかなかった。
もう他に選べることがないと分かっているからだ。
「お前は」
少しだけ呼吸を整える。
「最初から、僕を助けようとした」
「ここまで来ても、まだ助けようとしてる」
唇がごくわずかに歪む。
「だったら最後までやれ」
その言葉に、ハリーは本気で言葉を失った。
最初から。
たしかにそうだ。
夜の教室で、杖を落とした姿を見たあの日から、ずっと自分はドラコを助けようとしてきた。
救いたかった。
守りたかった。
それなのに、最後に差し出されるのが“殺すこと”だなんて、あまりにも残酷だった。
「……僕には無理だ」
ハリーはほとんど祈るように言う。
「無理じゃない」
「無理だよ」
「君がいないそのあとを、どうやって」
そこまで言って、もう続かない。
ドラコはその苦しさを真正面から受け止めていた。
以前のドラコなら、ここで目を逸らしたかもしれない。
でも今は違う。
死を自覚した人間の静けさが、逆に相手の痛みからも逃げさせない。
「お前にしか頼めない」
その一言は、安っぽい愛の告白よりずっと深かった。
頼む。
最期を。
痛みを。
終わり方を。
全部、お前に預ける。
それほどまでの信頼を、よりによって今渡される。
ハリーはそこで、完全に崩れそうになった。
「僕は」
掠れた声。
「君を助けたかっただけなんだ」
ドラコの睫毛がわずかに震える。
「知ってる」
「こんな終わりのためじゃない」
「それも知ってる」
「なのにどうして」
ハリーは息を継ぐのも苦しそうだった。
「どうして、最後まで僕を困らせるんだよ」
その言葉に、ドラコは少しだけ目を閉じた。
それから、ごく静かに言う。
「困らせるつもりはない」
「ただ」
一拍。
「お前の手なら、まだましだ」
その“まだまし”の重さに、ハリーは膝から崩れそうになった。
結局、最後の最後まで、ドラコはきれいな言葉を使わない。
愛しているとも言わない。
でも、その乾いた一言の中に、どれだけのものが込められているかくらい、ハリーには分かった。
もう拒めなかった。
拒んだ先に、群衆の呪いがある。
無数の悪意が、死ぬまでドラコへ向けられる。
その中心へ放り出されるくらいなら。
それなら、自分の手で終わらせるしかない。
その結論へ追い詰められていく自分を、ハリーはほとんど他人事みたいに見ていた。
「……分かった」
そう言った瞬間、心のどこかが本当に壊れた気がした。
ドラコは、そこで初めて少しだけ表情をやわらげた。
安堵に近いものだった。
救われた、とは違う。
でも少なくとも、最悪の終わり方だけは避けられるという安堵。
それがまた、ハリーにはたまらなく痛い。
「ありがとう」
ドラコがそう言う。
その言葉に、ハリーは何も返せなかった。
ありがとう。
そんな言葉を、今この瞬間に向けられるなんて思わなかった。
返せるはずがない。
何と言えばいい。
何も言えなかった。
ドラコはその沈黙を受け入れるように、ごく静かに続けた。
「お前がいた夜だけ」
「僕は少しまともだった」
ハリーが息を止める。
「お前が来ると」
「まだ終わってない気がした」
「だから」
少しだけ目を細める。
「最後も、お前でよかった」
それが別れの言葉だった。
派手ではない。
劇的でもない。
でも、ハリーの胸へはどんな美辞麗句より深く残る。
何も返せないまま、面会の時間は終わった。
扉が開く。
役人が入る。
ドラコは一度だけハリーを見る。
その視線には、もう揺れがほとんどなかった。
ハリーだけが、そこに取り残される。
⸻
公開処刑の日、空は異様によく晴れていた。
それが余計に残酷だった。
こんな日には、もっと別のことが起きるべきだ。
祝福でも、旅立ちでも、春でも。
なのに、群衆は広場に集まり、ざわめき、怒りと好奇心と熱狂を抱えてその時を待っている。
ハリーは中心に立たされた。
黒いローブ。
杖。
英雄としての顔。
周囲は彼を見ている。
期待している。
正義の執行者として。
世界を闇から守る最後の一撃として。
吐き気がする。
視線の先に、ドラコが連れてこられた。
白い顔。
静かな足取り。
不思議なくらい穏やかで、無駄な力が入っていない。
死を知っている人間の歩き方だった。
その姿に、群衆がざわめく。
そして次の瞬間、ハリーの名が上がる。
「ポッター!」
「終わらせろ!」
「やれ!」
「真の英雄を見せろ!」
真の英雄。
その言葉が、今のハリーには呪いだった。
ドラコは処刑台の前で足を止めた。
そのまま、正面からハリーを見る。
目が合う。
あの面会の時と同じ目だった。
静かで、澄んでいて、どこかだけ疲れ切っている。
でも、恐れてはいない。
少なくとも、恐れをハリーには見せない。
それが最後までドラコだった。
ハリーの手は震えていた。
杖を握る指に力が入らない。
それでも、逃げられない。
ここで崩れたら、群衆が何をするか分からない。
この男を守れる最後の方法が、皮肉にもこれしか残っていない。
ドラコの唇が、ごくわずかに動く。
声は届かない。
でもハリーには分かった。
頼んだ。
それが最後の確認だった。
ハリーはそこで、一度だけ目を閉じた。
夜の教室。
肩へ触れた額。
「お前がいたからだ」という低い声。
月明かり。
悪夢のあとの呼吸。
全部が一瞬で胸を貫く。
目を開ける。
群衆は黙っている。
期待に満ちた沈黙。
最悪だ。
ハリーは杖を上げた。
その瞬間、ドラコはほんの少しだけ口元をやわらげた。
まるで、これで終われると言わんばかりに。
その表情が、あまりにもきれいで、ハリーはほとんど気が狂いそうになった。
緑の光が走る。
一瞬だった。
ドラコの身体から力が抜ける。
静かに崩れる。
ひどくあっけなく。
苦しみも見せず、恐怖も叫ばず、ただ糸が切れたみたいに。
それで終わった。
広場が、一拍遅れて沸いた。
歓声。
拍手。
叫び。
英雄の名を呼ぶ声。
ハリー・ポッター。
真の英雄。
闇を断った救世主。
その全部が、ハリーには遠い雑音にしか聞こえなかった。
目の前には、もう動かないドラコがいる。
自分の手で終わらせた。
助けたかった相手を。
最後まで守りたかった相手を。
なのに周囲は称賛する。
正しかったと。
立派だったと。
英雄だと。
その瞬間、ハリーの中で何かが完全に壊れた。
拍手が響く。
歓声が降る。
でもその中心で、ハリーだけが何も感じられない。
杖を持つ手の感覚がない。
息の仕方も分からない。
胸の奥だけが空洞で、そこへ風が吹き抜けるみたいに寒い。
英雄譚として消費される。
自分も。
ドラコの死も。
二人のあいだにあったものも、何も知らない大勢に“正義の結末”として噛み砕かれていく。
ハリーはその只中で、ただ立っていた。
称賛の中で、壊れたまま。
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きのこ
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