「どうしたんだい?突然。
こうして話すのも、随分久しぶりだね」
スマホから聞こえてくる懐かしい声に、俺は自然と笑みがこぼれる。
師匠と話すのは約四年ぶりだ。
上京してすぐMIUさんの紹介で出会った師匠に、俺は一目惚れならぬ”一声惚れ”をした。
それから六年間、俺は師匠の元に通い沢山の事を教えて貰ったが、四年前に新しく自身のミュージックスクールを開校するのをきっかけに、師匠は自ら教える事をやめ現場には出て来なくなった。
それからはラインで年末年始などの節目の挨拶をし合う程度だったが、今の声を作ってくれた師匠は俺にとってとてつもなく大きな存在だ。
「はい。四年ぶり、ですかね。最後のレッスンでお会いして以来です。お元気にされていましたか?」
「フフ、師匠と呼ばれるのも随分久しぶりだ。ああ、元気にしているよ。今は社長としての業務ばかりで少し退屈だがね」
少し寂しそうな話し方だったが、ひとまず元気そうで俺は安心した。
「お元気そうで何よりです。実は、今日お電話したのは師匠にお願いしたい事がありまして」
お願いしたい事?そう聞き返す師匠に、俺は今日あった出来事を話した。
そしてプロデュースする事になったあおいのボイストレーニングを、どうしても師匠にお願いしたいと懇願した。
もちろんあおいの正体は伏せてだ。
すると師匠はしばらく黙った後
「まさか、おとね君の名前が出るとはね……。
わかった。明日、お昼頃は空いているかな?」
そう聞く師匠に、俺は興奮気味に答えた。
「はい!明日はバイトも休みなので何時でも大丈夫です!」
ひとまず断られはしなかった事に俺は胸を撫で下ろした。
それに、やはりおとねと師匠には何かあるみたいだ。それも明日聞けるだろう。
「では明日の15時に、銀座駅前の私のスクールに来てくれ。詳しい話しはそこでしよう」
ありがとうございます!
俺は師匠にお礼を言い、電話をきった。
ーーよし!これでひとまず、あおいの歌はなんとかなりそうだ。
思わずガッツポーズをした俺は、手に持ったコンビニ袋から落ちる大量の女性用下着を見て、一気に現実に引き戻された。
辺りを見回し急いでそれらを袋の中に戻すと、抱え込みながら全力疾走で家へと向かったのだった。
♢
「はあ…はあ…はあ…はあ…」
全力で走ったせいで汗だくになった俺は、こんなことになるなら先に風呂に入らなければよかったと後悔しながら、アパートの階段を上っていた。
「くそ…あおいめ…なんで俺が…こんな目に…」
ぜえぜえと言いながら部屋の鍵を開けると
「あ、おかえり。てつやの服かりたよ」
そう言って出迎えた目の前の美少女は、上半身にダボダボの白いシャツを、下半身には男物のトランクスを履いていた。
「だーーー!!」
俺は慌てて玄関に入りドアを閉め出来るだけあおいの方を見ない様にし持っていたコンビニ袋から女性用下着を一つ取り出した。
「あおい!これ!これ!これを履いて!早く!」
しどろもどろしながら右手であおいの方に下着を差し出すと、左手で脱衣所の方を指差した。
「えー、これの方が楽やのに」
何故か俺が責められている気がするが、この際どうでもいいだろう。
このまま今にもずり落ちそうなトランクスで過ごされたら、俺のキャパシティがオーバーしてしまう。
あおいはぶーぶーと文句を言いながら、下着を受け取り脱衣所の方へ向かった。
「あと、そこにズボンがあるだろ!スウェットの!それを履いて出て来るんだぞ!わかったな!?」
「わかったー」
不機嫌そうに返事をするあおいとは対照的に、ひと安心した俺は、全く出来ていなかった洗い物を片付け始めたのだった。
♢
「よし、布団をひくぞ」
洗い物を終えた俺は、きちんと服を着ているあおいにそう言った。
時計を見ると時刻は既に2時をまわっている。
「うん、うちもう眠すぎるわ」
ふわー、とあくびをしたあおいに俺は
「あ、そうだ。明日師匠に会える事になったぞ」
「え、ほんまに!」
あおいの目が輝く
「ああ。15時に銀座駅だから、今日はゆっくり寝れるな」
「うん、うち楽しみやわー」
そう言いながら布団にゴロンと寝そべり、彼女はすぐに寝息を立ててしまった。
「とんだけ子供なんだよ」
フッと思わず笑い、俺はあおいに布団をかけ、部屋の電気を切った。
♢
ーーここが師匠のスクール
「おー!めっちゃすごい!それにめっちゃ大きいなー!」
予想通り、昼になっても全く目覚める気配のないあおいを、なんとかベーコンエッグの匂いで釣り上げ、無事時間通りに辿り着いた俺たちは、目の前にある大きな八階建てのビルを見上げていた。
「はぇー……確かに凄いな。このビル全部でボイトレしてるのか?」
俺は気の抜けたセリフを吐きながら、あおいと一緒にビルへと入った。
大きな透明の自動ドアを抜けると、一番最初に目についたのが大きいグランドピアノだ。
そしてよく見ると、周りにも沢山の電子ピアノやエレクトーンが置かれている。
「ご、ごひゃくきゅうまんはっせんえん!?」
俺はグランドピアノの上に置かれた値札を見て思わず声を上げた。
「すごいなー!これなに!?どうやって使うん?」
あおいが興味津々といった様子で聞いてきた。
「ピアノを知らないのか?あそこに白色と黒色の部分があるだろ?あれをだなーー
俺がそう説明しようとすると、突然店内から迫力のあるイントロが流れて来た。
「これは……スターウォーズ?」
店内を見渡すと、中央の目立つ場所に置かれたエレクトーンに座り、店員さんらしき女性が演奏をしている。
「てつや!てつや!なにあれ!?凄い!」
あおいが興奮ここに極まれりといった様子で、俺の腕をぐいぐい引っ張ってきた。
「おいおい、引っ張るなって。でも確かに凄いな。あれはエレクトーンと言って、厳密にはピアノと違うんだが、まあ似たようなものだ」
どうせ分からないだろうと、かなり端折ってあおいにそう説明する。
エレクトーンは通常のピアノの二倍近い鍵盤数があり、足元のペダルの数も何倍も多い。
つまりそれだけ沢山の音を一台で奏でられるって事だ。
たった一台でピアノ、バイオリン、サックス、ドラム、ベースなどを鳴らすまさに一人バンドって感じのとんでもない楽器だ。
俺とあおいは演奏が終わるまでその場で聴いた後、ビルのエレベーター付近にあったフロア案内版を見た。
1F ピアノ、エレクトーンコーナー
2F ギターコーナー
3F ベースコーナー
4F バイオリン、管楽器コーナー
5F 電子ドラムコーナー
6F 音響機器、DTMコーナー
7F 音楽教室メロディア
8F 音楽教室メロディア
「楽器の販売までやっているのか……凄いな」
俺はそう言いながら、四年前まで通っていた師匠の自宅を思い出していた。
師匠は大手の音楽スクール等には所属せず、二階建ての自宅の防音部屋を使って個人でレッスンをしていた。
初めてその部屋を見た時、まるで雑誌で見たレコーディングスタジオの様で、心の底から興奮したのを覚えている。
他の生徒さんとは会った事はなかったが、現在のメジャーで活躍している人達の中にも師匠の元生徒さんが沢山おり、俺は師匠の名を出す事が誇らしかった。
「あの頃から四年しか経っていないのに、これだけの規模になるのか。それに比べて俺は……」
「キミの四年はキミだけのものだ。何年か先、きっと大切な時間に思えるはずだよ」
俺はハッとして声の方へ振り返った。
するとそこには、全く変わらない姿の師匠が立っていた。
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