「師匠!!」
「久しぶりだね、てつや君。変わりなくて安心したよ」
どうしてここが?と聞く俺に師匠は、スタッフから連絡があったんだ。不思議な二人組が来ているってね。と笑いながら言った。
ーーそして、こちらが例のお嬢さんだね
そう言って師匠はあおいの目線に高さを合わせた。
「はじめまして。僕は浦和(うらわ)しょうじ。てつや君の元師匠だ」
「はじめまして。うちはあおいって言います。よろしくお願いします」
「ははは、賢いお嬢さんだ。さあ、僕のオフィスへ行こうか」
そう言って師匠は俺達をエレベーターに誘導し、8Fのボタンを押した。
ーーチン
エレベーターのドアが開くと、目の前に綺麗な花が飾られた受付が見えた。カウンターの中のスタッフが師匠に頭を下げる。その前を通り抜け、プロフェッショナルコースA、プロフェッショナルコースBと書かれた個室の前を進んでいく。その上をクラシック音楽が最適な音量で流れていた。
「さあ、着いたよ。ここが僕のオフィスだ」
そう言って師匠は、一番奥にある、いかにも社長室といった様子の扉の前で足を止めた。
師匠に案内され中に入った俺とあおいは、部屋の真ん中にあるソファーに誘導されそこに座った。
「こんな所まで来てもらってすまないね。だが、どうしても直接話しがしたくてね」
師匠はポットのお茶を入れながらそう言うと、俺とあおいの前に置いた。
すぐに隣から、それを飲もうとしたあおいのあつっと言う声が聞こえた。
「ははは、ごめんよ。お嬢さんには少し熱かったね。お茶が冷めるまでこれを食べるといい」
師匠はそう言って、もなかの様なものをあおいに手渡した。
「わー!ありがとうございます!」
あおいは嬉しそうに食べ始めた。
「早速だが。てつや君は僕とおとね君との関係は知っているかな?」
「いえ、おとねさんからは何も聞きませんでした」
俺は正直に答える。
「そうか……。僕とおとね君はね、いわゆる同期ってやつなんだ。昔、僕がまだバンドをやっていた頃のね」
知らなかった。驚いた表情をする俺に師匠は続けた。
「もう二十年以上も前のことになるね。当時バンドのボーカルとしてメジャーデビューが決まっていた僕に、ある日突然事務所の副社長が言ったんだ。お前たちと一緒にデビューさせたいバンドがいるってね。そして副社長に呼ばれ入って来た中に彼女、日比谷おとねがいた。赤い髪がとても似合う綺麗な女性でね。僕の顔を見るなりいきなりこう言ったんだ。”あんた達の曲聴いたわ。私達の方が上ね”って」
二十年前から変わっていないのかあの女。
俺は心の中で少し呆れたようにそう呟いた。
「あまりの衝撃に、その場にいた僕のバンドメンバーと揉めてね。まあ、とにかく初対面の彼女の印象は最悪だったよ。でも時間が経つにつれ、彼女が本当は悪い人間じゃない事を僕たちは知っていったんだ」
納得出来ないといった表情を浮かべた俺を見て、師匠は少し微笑んだ。
「出会ってから半年ほどが経ったある日、僕のバンドのメンバーの一人が怪我をしたんだ。ドラマーだったよ。練習のし過ぎで手首が動かなくなってね。医者にも止められた矢先、副社長がライブをすると言い出した。もちろん僕は止めたよ。こんな状態じゃ無理だって。でも副社長は聞いてくれなかった。もうチケットは販売した。包帯で縛ってでも叩けってね」
「やるしかないのか。刻一刻と近づいて来るライブの日付けを見ながら、僕も他のメンバーも観念しかけた時だった。急に練習室に入って来た彼女は、僕たちを見て笑顔でこう言ったんだ。ライブは中止にさせたわ。わたしクビになるかも。でも、あんた達みたいな音楽が本当に好きなバンドを潰したくないから。と」
……。
「彼女の顔はとても晴れやかだったよ。その時思ったんだ。僕は彼女を誤解していた。彼女は不器用なだけなんだってね。それから彼女はクビにはならず、君も知っている様にビーチーズのボーカルとして大成功を収めた。反面僕たちのバンドは大して売れなくてね。すぐに解散となった。その時も彼女は声を荒げて社長と副社長に言ってくれていたよ。あんなに素晴らしいバンドを解散させるなんて、あんた達や世間の目は腐ってる。ってね」
……。
沈黙が続くオフィスの中、師匠が俺の方に姿勢を正しながら言った。
「てつや君。キミがおとね君に対して良いイメージを持っていない事は、昨日の電話で何となくわかったよ。でも、こんな彼女もいた事を知っておいて欲しかった。少し押し付けがましいかも知れないけどね」
そう言ってしばらく懐かしそうに窓の外を眺めていた師匠は、突然胸の前でパンっと手を叩いた。
「さあ、昔話しはここまでにしよう。お嬢さんのボイストレーニングだったね。僕で良ければ力を貸そうじゃないか」
そう言って笑う師匠に、あおいが目を輝かせる。
「やるやるー!ぼいすとれーにんぐってやつうちやるー!」
「こら、あおい」
はしゃぐあおいを止めようとする俺に、師匠が声をかけた。
「ははは。ではお嬢さんのテンションも上がっているみたいだし、このままトレーニングルームへ行こうか」
そう言って立ち上がり、師匠はあおいを連れてオフィスのドアを開けた。
「てつや君。お嬢さんを少しお借りするよ。もし良ければその間このビルを見学してるといい」
「てつやー!行ってくるー!」
ドアが閉まり二人の足音が遠ざかって行く。
……ふう
俺は静まりかえったオフィスで少し息を吐きながら、先程の師匠の話しを思い出していた。
日比谷おとね。とても昨日出会ったのと同一人物だとは思えない。
だが師匠が作り話しなんてするはずがないしな。月日は人を変えると言う事か。
ーーそれにしても
師匠の話しに出て来た昔の日比谷おとねが、俺にはどうしてもある少女と重なって仕方がなかった。赤い髪の、ある少女と。
「……まさか、な」
浮かんだ考えを自ら否定した俺は、とりあえず師匠の言う通りビル内を見て回る事にした。
オフィスのドアを開け、受付まで続く細い通路に出た俺は、左右にずらりと並んだ個室のドアを見る。
プロフェッショナルコースGと書かれた扉の中では先生と生徒だろうか、一人がピアノを弾き一人がマイクの前に立ち発声している。
隣の部屋ではホワイトボードに何かを書いている様子を、複数人がノートにとりながら真剣な眼差しで見つめている。
「みんな、真剣なんだ……」
俺は時間を忘れしばらくその様子を眺めた後、受付のある少し広くなったスペースに自動販売機があった事を思い出し、そちらのほうへ歩みを進めた。
ーーピッ
ーーガタン
自販機でコーヒーを買った俺は、その横にある椅子に腰掛け、缶の口を開けた。
このフロアには二十ほどの大小様々な部屋がある。そこには毎日沢山の人間が夢を持って出入りしている。その中で何%なんだろうか、夢を掴めるのは。いや、何%どころか一人もいない可能性だってある。
「俺はここにいる誰よりも、努力しているのか……?」
そんな事を呟いた時だった。
「あなた、社長のお知り合い?」
一人の女性が声をかけて来た。四十代くらいだろうか。赤いスカーフを首に巻き、スーツに似た服を着ている。きっとここのスタッフの人だろう。俺はそう思った。
「あ、はい。し……いえ、浦和さんには以前お世話になっていまして」
俺がそう言うと女性は驚いた様な仕草をした。
「まあやっぱり。さっき社長から部屋は空いているか?と聞かれてびっくりしたのよ。社長が直接誰かに教えてる所なんて見た事がなかったもの」
「あ、俺が、その、無理を言ってしまって。すみません」
怒られているような気がした俺は、申し訳なさそうに謝った。すると女性は目の前で片手を左右に動かした。
「ああ、違うのよ。社長のあんな楽しそうな姿を見たのは初めてだったから」
「いつもは、厳しいんですか?」
俺がそう聞くと
「いいえ。厳しいどころかいつも笑顔よ。私たち社員や生徒さんの事を大切に考えてくれる、とても素晴らしい人。でも、たまに懐かしそうな顔で外から教室の中を除いているのを見るの。だから今日あなた達が来てくれて本当に嬉しいわ」
師匠はやっぱり何年たっても師匠だった。自然と笑みがこぼれる俺に、笑顔で語る女性はこう続けた。
「あ、そうそう。あなた達の少し前にも、凄い大物が社長を訪ねて来てね。あんな人と知り合いだったなんて私たちもびっくりしたわ。なんとね、あのーー
「てつやー!!」
フロア全体に響き渡る程の声が聞こえたと同時に、俺の体に小さな塊が飛びかかって来た。
ーーぐえっ
「てつや!お師匠さんめっちゃ凄いで!!うちな!これ教えてもらってん!見て見て!」
そう言って俺に飛びついたまま、あおいはマーと発声し始めた。
「ははは、喜んで貰えて何よりだよ」
そう笑いながら師匠がこちらへ歩いて来た。
「てつや君。なぜおとね君がキミにあんな事を言ったのかわかった気がするよ。彼女はきっと素晴らしいボーカリストになれる。キミの様にね」
師匠はそう言って真っ直ぐ俺の方を見た。
「では、これから毎週月曜日の今日と同じ時間にここに来て貰いたいんだが、どうかな?」
「はい!大丈夫です!」
「僕の都合に合わせて貰う形ですまないね」
少し申し訳なさそうにそう言った後、師匠は胸を叩いた。
「彼女の歌に関しては僕に任せてくれ。でもプロデュースは一筋縄ではいかないよ。てつや君の手腕を、僕も楽しみに見させて貰うとするよ」
とても頼もしい言葉だった。
俺は師匠と受付の人に挨拶をし、あおいと共にビルを後にした。
「ふう、すっかり夕方だな」
ビルを出た俺は、すっかり日が落ちかけた空を見てそう言った。
「そやねー。うちめっちゃお腹空いた」
あおいはそう言ってペタンコのお腹を触った。
「もうへったのか?よし。なら今日は駅前で何か食って帰るか!」
俺がそう言うと、あおいは今日一番の笑顔で元気よく頷いた。
♢
「……ちゃんとやってくれたみたいね」
「ああ。他ならぬ君の頼みだからね」
「……余計な事は、言ったりしなかったでしょうね?」
「ははは。昔話しを少しね。年寄りは昔話が好きなのさ」
「……。まあいいわ。お金はうちの者に後日振り込ませる」
「いらないと言ったはずだよ。確かに君に頼まれはしたが、僕には元々てつや君の話しを断る気はなかったからね」
「……。そう」
「待つんだ」
「どうしてここまでする。君にとって彼らは一介の夢を追う若者のはずだ」
「……。私には時間がないの」
「どういう事だ?」
「……。ありがとう。しょうじ」
ーーバタン
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