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イツキが枯れ井戸の中に入っていった後、宗一郎は倒れた鍛冶師を小屋の布団に寝かせ外に出た。
「……無事だと良いが」
そう呟いた宗一郎は小屋の前に放置してあった薪割り用の小台に腰を降ろして、井戸をじぃっと見つめた。
当然、宗一郎は仙境というところがどういう場所なのか知らない。
だが、自分の子どもであるイツキが天才で、優秀で、強くて、可愛いことは知っている。そしてイツキが近くにいるのであれば、そこいらの祓魔師の近くにいるより安全であるということも。
だから、子どもたちのことを心配するのが杞憂きゆうなのだと、心の内の声が語りかけてくるのだが……しかし、それでも心配なものは心配なのだ。
「…………」
念のため持ってきた刀を左に備え、子どもたちが戻って来るのを待つ。
落ち葉が風に流れ、ゆっくりと太陽が天上から傾いていくと、季節外れの桃の香りが鼻の奥をくすぐった。
「……おい、宗一郎」
「起きましたか、センセイ」
ふと後ろから声をかけられ宗一郎が振り向くと、窓枠にもたれかかっている老鍛冶師がいた。彼の顔は酷く苦しそうに歪んでおり、肩を上下させて息をしている。
その姿は全盛期を知っている宗一郎からすると、一回りも二回りも小さく見えた。
「来たのか、使・い・が」
「1つ目の?」
宗一郎がそう返すと、鍛冶師は酷く辛そうに首を縦に振る。
その顔は何か苦しみを飲み込むようで、
「使いは、どこまで、お前ぇらに説明した」
「『仙境』と、その膨張と縮小について」
「……そうか。向こうがそれだけ説明したなら『口封じ』の方は、大丈夫だろう」
鍛冶師は1つ喋るごとに寿命を削っているんじゃないかと思うほど苦しそうにそう言った。それは宗一郎に話しかけているというよりも、自分に言い聞かせているようで。
「良いか、宗一郎。悪いことは言わねぇ、子どもたちを連れて……山から降りろ」
「それは無理な相談です、センセイ。イツキが『仙境』に」
「何?」
「鬼腫キシュを祓いに」
「んな、馬鹿な……!?」
鍛冶師の目が驚愕に丸く染まる。
染まった瞬間、視線が宗一郎から外れて後ろに向けられた。
それに導かれるように宗一郎が視線を後ろに飛ばすと、季節外れの桃の木の側に丸く切り開かれた異界への門ゲートが見えた。
そして、そこから出てくるのは2人の子どもたち。
霜月家と、イレーナの娘だ。そのどこにも傷は見えず、入ったままの姿だった。
「……終わったのか?」
「うん! イツキくんがね、あっという間に!」
宗一郎の問いかけに、アヤが目を輝かせて答える。
一方、ニーナはと言うとすぐさま後ろにあるゲートを振り返り、誰かを待つように穴の中を見つめた。
2人はすぐ来たというのに自分の子どもが戻らないことに違和感を覚えた宗一郎が口を開く。
「イツキは?」
「最後に来るって言ってたけど……」
不審に思ったのは宗一郎だけではない。
アヤも同じように心配を滲にじませながらそう言うと、老鍛冶師が口を開いた。
「その、『門』は長く開いちゃいけねぇ! すぐに坊主を呼び戻せ!!」
ひゅう、と風が吹く。
吹いた瞬間、ゲートを通り抜けた仙境の空気が宗一郎の鼻腔を揺らす。
甘く儚はかない異界の香りが、脳を揺らす。
「お前ら、魔力落としは!? 使・い・は何も言わなかったのか!!?」
鍛冶師が子どもたちに向かって吠える。
吠えるものだから、否が応でも気がついてしまう。
異界の香りは、子どもたちからも匂・い・立・っ・て・い・る・ことに。
「何考えてやがる。“魔”は魔力に寄・せ・ら・れ・る・んだぞ。ここは狙われてんだ……!」
そこまで鍛冶師が言った瞬間だった。
強く、風が吹いた。
「うっ……!?」
思わず宗一郎は目を細める。
身体を底から巻き上げてしまうほどの強い風に、思わず子どもたちが持っていかれてしまうのでないかと思い『導糸シルベイト』を伸ばした。
そして、それは結果として正解であった。
どう、どう、どう――!!!
山が斜面ごと空に巻き上げられてしまうんじゃないかと思うほどの暴風が突如として、襲いかかってきた!
荒れる大気が小屋を粉々に吹き飛ばし、木々を根こそぎ巻き上げ、それらが寄り集まって、上空に巨大な球が生みだされる。
その暴風に抗あらがいながら、地面を踏みしめた宗一郎は子どもたちを『導糸シルベイト』で手繰たぐり寄せて、視線をあげる。
すると、空に1人の女性が浮かんでいるのが見えた。
フリルのついたピンクのシャツに、ふわりと広がる黒いスカート。
分厚い厚底のブーツが黒に光る。
そんな女が手に持っているのは黒い傘。
雨など降っていないのに、それを傾けると――2つの角が盛り上がった額ひたいが見えた。
鬼。
『――見ィつけた』
一目見て分かる。尋常の“魔”ではない。
魔法の範囲も、威力も、宗一郎じぶんに遜色ないレベルにある。
だが、なぜ……?
宗一郎の脳裏に走る疑問は、最もなものである。
1つ。ここは人口密集地ではない。
1つ。ここは結界が貼られている。
どちらを取ってみても高階位の“魔”が狙うような、そして狙えるような場所ではない。
だからこそ、彼らはここを休養の場と定めたのだから。
「……いや、違うか」
誰に聞かせるわけでもなく、宗一郎はそう呟くと思考を逆算した。
1つ。ここは最初から狙われていた。
可能性は多いにある。仙境という存在は初めて知ったが、鍛冶師センセイのように知っている人間がいる。古くから生きている“魔”であれば、どこからか聞きつけそれを知っていてもおかしくはない。
1つ。この世には結界で抑えきれない魔力がある。
それは4年前、どこに出しても恥ずかしくのない自慢の息子であるイツキとともに出向いた『七五三』でアカネから聞かされた言葉だ。曰く『普通の結界であれば第六階位までの魔力は隠し通せる。しかしの、第七階位なんていう魔力は普通の結界では隠せん』と。
そこから、宗一郎の頭の中で全てが繋がっていく。
これまで他の祓魔師が上げてきたレポートの中に記載があった。
第六階位の“魔”は小さく『閉じた世界』を生み出すことがあるのだと。
それは世界の主を祓えば閉じるが、異界として機能する。
また、これまでただの一度も記録が残っていない第七階位の祓除記録。
だが、第六階位に出来ることは第七階位に出来ると考えるのが普通だ。
この2つを組み合わせれば、自ずと結論は導き出される。
仙境は『第七階位』の――。
そこまで考えた瞬間だった。
浮いていた暴風球が凄まじい速度で落下してきたのは。
「……ッ!」
宗一郎は子どもたちを片手で抱えると、真後ろにいるはずの鍛冶師を『導糸シルベイト』で引っ張ってから地面を『形質変化』。ギリギリ4人が入れる程度の穴を生み出して、その中に落ちた。
一拍遅れて、嵐が吹き荒れた。
木々の破片や小屋が砕かれた瓦礫が、溜め込んでいたエネルギーを解放され、弾丸のように地上を粉微塵にしていく。ガリガリとあらゆるものが削られて、更地になっていく。
「……どうして、ここに“魔”が!?」
アヤの問いには答えず、宗一郎はそっと2人を穴に残して立ち上がる。
「君たちは、ここにいろ」
暴風が吹き荒れるのを待ってから、宗一郎は地面を蹴って外に出た。
飛び上がった瞬間、地面に立つ鬼がいた。
じゅう、と音を立てて閉じて行くゲートを名残惜しそうに見つめて、宗一郎を振り向く。
『あら。かくれんぼがお上手なのね』
「……貴様、名持ちだろう」
それは、半ば確信じみた問いかけだった。
しかし、それに鬼は口角を吊り上げて笑った。
『あら、あらあら。分かるものね。私わたくしの魅力が分かる人間もまだこの世にいるものなのね。捨てたものじゃないわね。良いわよ、教えたげる』
鬼は手に持った傘を傾けながら、
『私の可愛い名前はね』
自らの名前を名乗り上げた。
『嵐女公子あらめこうしっていうの』