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・ 二〇二八年 七月二十八日 午後六時三十五分
・ 東京都 柄沢市・祓刃基地
「これは一体どういうことでしょうか、仙道特級指揮官」
夕暮れ時。由依は基地中の掲示板に貼り出された手配書を引っぺがすと、それを全てまとめて仙道のデスクに突き付けた。
オフィスには仙道の一人だけしか残っていない。彼はパソコンからゆっくりと視線を外すと、由依の方を見やった。
彼女の目元には酷いクマが出来ていた。ここ数日間、ロクに眠れてもいないのだろう。
「君はたしか、メカニックの夏樹由依くんだな。どういうことも、何も書いているままじゃないのか?」
克堂鋼一郎容疑者。妖怪の隠匿・逃走援助の疑いアリ。──ぐしゃりと握りしめられた手配書には、彼女にとって看破できないような字面が並んでいた。
「克堂鋼一郎という隊員を知る人間ならば、彼がこんな真似をする人間でないことくらい分かるはずです!」
「私だって彼とは幾度と現場で顔を合わせているからな、そのくらいはわかっているさ。しかし、ここまで騒ぎが大きくなってしまった以上、私一人でどうこう出来る問題でもないんだ」
感情的に捲し立てる彼女に対し、仙道はあくまでも平淡な言葉で返した。
「それに加えて克堂隊員は今まさに行方をくらましている。監視カメラやドローンにも引っ掛からないことを鑑みるに彼は故意的にそれらを避けるように動いていると思えないか」
「つまり仙道指揮は、彼に後ろ暗い一面があり、だから逃走を続けている、と。そう
言いたいんですか!」
「……信じたくはないがな」
愁眉を寄せ、引き絞るように口にした言葉も、これでは肯定しているのと同じだ。
「そうでしたか。それなら此方も聞き方を変えましょう」
由依は手にしたファイルからA4用紙を数枚をさらに突き出す。そこには見慣れぬ凱機の写真がプリントアウトされていた。不気味に揺れる単眼の赤光と、異様に薄い装甲が目を引く機体であった。
凱機に深く精通した彼女でさえ、こんな機体は見たことがない。
「これは行方が分からなく直前に、彼から送られてきたデータを印刷したものです。この正体不明の凱機が彼の失踪に関わっているのでは?」
「監視カメラ等にそんな機体が映りこんだ記録は存在しない。そもそもこんな機体は運用さえしていない」
仙道は眉一つ動かさず、言い切った。だが、そのあまりに毅然とし過ぎた態度は逆に由依の猜疑心を掻き立てる。彼は何かを隠している。そう確信するのには十分すぎたのだ。
「私に聞きたいことはこれで以上か?」
「いいえ、まだです。仙道さん。貴方は彼が失踪する前日に彼と食堂に居合わせていたことを多くの隊員が目撃されたようですが、一体どのようなお話を」
銀鈴のようによく通る声と、細められた眼差し。それは彼女を推し量るには十分だったろう。
仙道は少々、夏樹由依というメカニックを見誤っていたらしい。
目の下にできたクマは精神的な疲弊ではなく、三日三晩寝ずに情報や証言を集めたゆえのものだ。機械いじりが得意なだけの少女と侮れば、晒した手先を噛まれかねない。
「どうやら君は私を疑っているようだな」
「はっきり言ってしまえばそうなりますね。貴方を調べて分かったのですが、やけにもう使われていない資料室への出入りが多いとも伺いました。貴方が何かを隠しているのは明確なんですよ」
短な沈黙を置いて。
「やはり君は克堂隊員のことが好きなんだな」
「……へっ?」
不意に投げかけられた言葉に、素っ頓狂な声が出た。
顔が熱くなるのがわかる。見透かされていたことに恥じらいを覚えながらも、由依はそれを強く否定する。
「ふっ……ふざけないでくださいッ! 私はただ彼の誤解を解きたいだけで、そんな私情なんて!」
「ふざけてなどいない。すこし取引をしようじゃないか、夏樹くん」
仙道がつい先ほどまで叩いていたパソコンの画面を彼女の方へと向ける。
そこにあるものが何かを由依はすぐさま理解した。複雑怪奇の図面。それが描き出すのは一つの設計図だ。
「これは凱機の……」
「違うな。これは凱紀などではない」
今度は仙道が由依を強く否定した。
「『B・Uパイロット専用機ムラサメ』だ。君がこれを完成させてくれるというのなら、私は知っていること全てを明かそう」
差し向けられた手は蠱惑的なものに違いなかった。戻れない。
それがわかっていても尚、由依の選択に迷いはない。