時は遡り数日前。
とびきり豪奢な広間。天井にシャンデリア、大理石の床や壁、入ってきた扉から続く赤く長い絨毯、その先にある玉座。そこにいるのは、絨毯の左右に整列して居並ぶ甲冑姿の騎士たち、赤い絨毯の上で跪く勇者トラキア、そして、国王と大臣だった。
「なあ、トラキアよ」
国王は太り過ぎず痩せ過ぎずの中肉中背、威厳のある顔つきと整ったアゴ髭が特徴的だった。
その国王は低い声でトラキアの名前を呼ぶ。その声色に怒りや悲しみもなければ、希望も期待もなく、平坦で事務的ともいえるものだった。
「はい」
トラキアもまた、丁寧な応対に感情は乗せていない。あくまで粛々と問題を起こさないように、いつもとは大きく異なった様子だった。この時の彼は勇者然としており、傍若無人さや非道な行いをしているようには全く見えなかった。
「最近、不調なようだな。風邪か?」
国王は隣にいる大臣から羊皮紙を受け取り眺めている。そこにはトラキアの最近の依頼達成率や評判などが事細かに記されていた。つまり、国王は目の前にいるトラキアの所業について、ある程度把握しており、化けの皮をとっくに見破っている。
しかし、相手は常人では敵わぬ勇者である。自棄になられても被害が大きくなるため、泳がせる方が都合も良い。
「いえ、そんなことはございません」
一方のトラキアは承認欲求の強い男だ。周りがそのような彼の言動を認めないところに、国王が彼を大きく問題視させずに泳がせていることもあって、彼は国王に信頼されていると考えている。
その信頼に応えていると思っていることで、彼の承認欲求は満たされているのだ。
「なれば、どうして、以前は問題のなかった中級程度で苦労しておるのだ。何かあったと考えるのが普通だろう」
「それは仰る通りです。先日、我がパーティーを強くするために仲間の再編成を行いました。今はまだ連携が上手くいっていないだけです」
トラキアは痛い所を突かれて伏せている顔を歪ませる。失望されていないか、期待が弱まっていないか、それを脳内で逡巡させている。彼には寄る辺などほとんどないのだ。
国王は彼を若干非難しつつも気遣っている素振りも見せる。つかず離れず、近くもなく遠くもない、そのような距離感を絶妙に取っている。
「とはいえ、失敗の数は既に片手じゃ数えきれんだろう? いくら新しい仲間が強くとも、パーティーとして相性が悪いのであれば、元に戻すことも検討せねばならんのではないか」
国王がトラキアの逆鱗に触れて揺らした。彼は相手が国王でなければ、殴り掛かっていただろう。実際、大臣クラスが彼の逆鱗に触れたことで、ひと悶着に発展したことも過去に1度や2度ではない数で起きている。
しかし、彼は「王様がよほど自分のことを心配してくださっているのだ」と解釈しており、逆鱗を触れられる痛みさえ薫陶のための指導とうまく誤解している。
「いえ、その必要はございません。既に仕上がりつつあり、過去の仲間との連携よりも一層の強化を果たしました。顔を上げて、無礼を働き申し訳ございません」
トラキアはここで顔を上げて、笑みを浮かべながら大嘘を吐く。それは国王の心配を取り除くため以上に、自分は間違っておらず、自分が優秀であることのアピールをするためである。その後、すぐに再び顔を伏せて、忠誠の態度を取った。
「顔を上げたことはよい。しかし、なるほど。では、中級程度、造作もないと?」
「はい! さらには、上級も可能かもしれません」
「……ほう。今まで避けておった上級も狙えると」
トラキアはここで無礼でも顔を上げておけばよかった。そうすれば、彼は国王の表情を窺うことができ、そして、自分の嘘が国王にはバレていると悟り、発言を撤回することもできた。それほどまでに、国王の表情はトラキアの大嘘に対して平静でいられなかった。
「はい!」
「……よかろう。上級踏破を期待しておる」
「はい!」
国王の表情は戻っている。勇者は死なない。多少の嘘で失敗したところで死に戻りをするだけで、トラキアの高くなった鼻がへし折れるだけだろう、トラキアにとっていい薬になるだろう、と思い直したのだ。
トラキアは今日初めての「期待」という言葉に、嘘を突き通せたと思い込み、心の中で大笑いした。裏を返せば、彼が国王の期待に応えるためには、上級ダンジョンへの挑戦をするしかなくなっていると視野が狭くなっている。
「ところで、トラキアよ」
「はい」
「少し女遊びが過ぎるようだな」
国王は話を変える。この話題はトラキアの想像の範囲外であり、思わず戸惑いを見せる。
「そ、それは!」
トラキアは顔を上げて弁明をしようと思ったところに、国王は穏やかな顔を見せつつ右手を軽く上げて、彼に制止を求めた。
「よい、よい。まあ、独り身の遍歴に咎はない。しかし、魔王を倒した暁には、我が娘である王女と結婚を所望しておったな。もしこの国を治める気概があるのであれば、その時までに、その辺りはきちんと清算しておくがいい」
「はい」
トラキアが国王に反抗しない理由は王女との結婚もある。つまり、彼が勇者としての使命を終えた後、絶世の美少女と名高い王女と結婚して次期国王に任命され、安泰の暮らしを夢見ているからだ。
「よかろう」
決して、彼がそのような器でないことは国王も理解しているが、勇者でなくなった後の彼を如何様にも処理できるため、事を荒立てる必要もないと考えていた。
「今日は以上だ。お前には期待しておるぞ、トラキア」
「はい! 必ずやその期待に応えてみせましょう! 失礼いたします!」
トラキアは意気揚々と謁見の間から出ていく。少しの間、静かになった後、大臣が国王の近くに寄る。
「王様、いいのですか? 勇者トラキアに上級など行かせて。行ったところで、犬死にもいいところでしょう」
大臣は国王にそう進言すると、国王は小さく笑みを浮かべて、ゆっくりと頷いた。
「お前の言うことはもっともだ。それは少し考えたが、勇者はどうせ復活する。町での冒険者たちの評判も加味して、前のパーティーの方が良いと言っても聞かんのだから、少しは己を省みるのもいいだろう」
大臣は国王の言葉に納得し、恭しく礼をする。
「しかし、王様。バカは死んでも治らないと言いますが」
「ふふ……はっはっは。お前が冗談を言うのも珍しい」
大臣のまさかの発言に国王は人目を気にせずに大笑いをする。大臣もふと出てしまった冗談を大笑いされてしまい、喜んでいいのかどうかと複雑そうな笑みを出す。
「そんなに大笑いせずとも……それよりも、王女様は今どちらにいるのでしょうね」
大臣は話を逸らしたかったのか、話題がトラキアから国王の娘、つまり、王女の話になる。その単語を聞いた瞬間に、国王は1人の親として、柔らかな笑みを表情に映す。
「パフォスか。名前を変えて、身分を隠して、旅を続けておるようだな。本当は旅に出すのも嫌なほどにかわいい娘だが、勇者であれば、その責務を全うするために仕方ない。それに、トラキアと結婚したくない、自力で運命を勝ち取るとなれば、なおさら、親としては応援せんわけにはいかないからな」
絶世の美少女である王女バフォス、またの名を美の勇者キュテラという。そう、彼女はトラキアを模擬戦で倒した勇者である。
「そうですね。横恋慕さえしなければ、言うことないのですが……」
「相手は評判では相当に身持ちの固い男なのだろう? 叶わぬ恋もまた経験だろう」
「そうですね。では、執務に戻りましょう」
「そうだな。戻るとしよう」
国王も大臣も執務のために謁見の間から、執務室へと戻っていった。
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