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北斗は一時間アレクサンダーを走らせて、遠く離れた小高い丘まで来た
ここからなら牧場が一通り見渡せる、鬼龍院のおぞましい推薦議長候補宣言は、北斗の腹の中で木霊し、それと共に血が沸き起こる怒りがこみあげてくる
終わった
彼が築き上げてきたものすべて
努力して手に入れたものすべて
必死に守って来たものすべて
あらゆるものが鬼龍院に奪われる
それは北斗が何をし、何を言っても止められないだろう、変えられないだろう、だってここは自分の土地じゃないのだから
だからこそ一生懸命働いて、いつかはここを自分の土地にすることを夢見て来た
遠くで馬の蹄鉄をしていた、牧場の従業員がアレクサンダーに乗っている、北斗に気付き手を振る
北斗も手を振りながら意気消沈した、もう彼らの生活を守ってあげられない
馬とこの牧場を失ったら、自分達は何処へ行けばいい?
どこで暮らせばいい?
北斗は牧場主以外の何になればいい?
これは一種の「死」だ、でもこの事実を受け入れなければいけない
数日前から探していた条件の良い牧場が、北海道で見つかった
ただし・・・ここの三分の一の広さだ
果たして見知らぬ土地で、一から上手くやって行けるだろうか
弟達は仕方がない自分が行く所どこでも連れて行く、自分には責任がある
明はレオと離れるのを泣いて嫌がるだろう、ナオも・・・手放しで賛成はしないだろう
そしてアリスは・・・・一緒に来てくれるだろうか・・・・
実の所アリスと暮らすようになってから、北斗の吃音症は嘘のようになりを潜めていた
アリスが北斗の過去―彼が明かした幼少期のことを知ったことで、なぜか北斗は肩の荷をおろした気分になれていた
自分はこれまで恐怖の中で生きて来た、自分が弱い部分を沢山持っていることを、アリスが知って尊敬の念が壊れることを恐れていた
所がまったくそうはならなかった
それどころか過去の試練を知って、アリスはますます北斗を尊敬してくれるようになった
まるで奇跡だ
少なくとも彼にはそう感じられた、アリスは自分を愛しているとハッキリ言ってくれたし、北斗も今ではそれを信じている
自分もそれを最高の栄誉と感じていたし、苦痛だった父との記憶も、アリスのおかげで今はまったく負担にならない
誰と会ってもなぜか言葉がスラスラ出てきて、今は何も考えなくても呼吸をするように、話すのが楽になった
もしかしたら自分はもう吃音症を、克服しているのかもしれない
もう一度スマートフォンで佐原議長に電話してみる、ゆっくり相談に乗ってほしいと、会う日取りを取り付けたいのに、いつも電話には出ない、なんだか避けられているようにも感じる
前回会った時には佐原議長は、親し気で愛想が良かった、自分でもまだなにが起きているのか、把握しきれずにいる
しかし79歳の今まで北斗に父の様に接して、色々面倒を見てくれていた人物が突然、手の平を返したように自分を避けている
千里眼の持ち主でなくても、それがなぜかは見当がつく
何かが変わったのだ
そしてそれは全て鬼龍院に結び付く
牧場の朝は早い、なので就寝も必然的に早くなる
偶然その日は北斗が夜中目が覚めてみたら、アリスは横にはいなかった
水を飲みにキッチンへ行くと、ソファーで座りながら居眠りしているアリスがいた
いちご柄のパジャマに猫耳のヘアバンドを、したまま寝ている、何かが気になってここで作業をしていたのだろうか
ソファーテーブルにはおびただしい、書類が散々としていた
ひとつは周防町の地図が広げられ、その横には手書きの7つのブロックに分けた選挙区の紙、さらに複雑な有権者の人口動態分析や、この10年の投票行動が添えられているスプレッドシート
ボソッ・・・
「・・・・すごいな・・・・ 」
思わず寝ている我妻の顔を見つめた、選挙事務所のサポートチームをやっていたと、言っていたがここまで凄いとは思っていなかった
チカチカしているノートパソコンの画面には、これまた過去10年の投票記録からくる、アリス独自の予想データ・・・・
北斗は思わずアリスの横のソファーに、腰を落ち着け一つ一つの書類を、丁寧に目を通して行く
数時間経ってもアリスのデータを、見聞する目が止まらない
無意識に北斗は自分のノートパソコンを、持ってきてUSBでアリスの選挙区投票予想グラフを、自分のPCに移していた
そしてアリスの考えた選挙区グラフ、佐原の過去10年の有権者リスト、などを次々を写メに撮り、データ化してPCに取り込んでいった
やがて空が白くなり、ソファーでよく眠っている、アリスの体には上掛け布団が掛けられていた
北斗の入れたコーヒーのマグカップをテーブルにコトン・・・と置き、本腰を入れてノートパソコンに向き合い、選挙区投票シュミレーションを作り出した
周防町の4000人の住民の選挙区は、7ブロックに分けられている、ようは先に4ブロック取れば勝てる
大事なのは・・・一番人口が多い真ん中のここだ・・・・
北斗は地図の真ん中を人差し指でトン・・・と突いた
この3ブロックをどうやって、鬼龍院からもぎ取れるかだ・・・
北斗が口に拳をあててじっくり考えだす
ここは工業地帯とSMクラブがある、そしてローカルの駅前に小さな商店街、鬼龍院を支持してくる町民が多くなるということだ
どうやって?何を武器に?・・・この町の投票結果に民意を反映させるには?
背骨の一番下のあたりがぞくぞくする、何か行動を起こそうと考えて期待に、心が弾むといつもの体の反応だ
最も果敢な事に挑戦しようとしている時に、感じる心の中に火花が散るような感覚がある
アリスはどれぐらい前から、こんな細やかな点まで戦略を練っていたのだろう
自分が出馬すると信じて・・・・
小首をかしげてマジマジと横のバインダーを見る、さらに遊園演説地帯のシュミレーション、最も人が集まりやすい時間帯のタイムスケジュール
上流階級のその上のわずか1パーセントの世界の、ITOMOTOの令嬢はやはり頭が良くなかったら、いけなかったのだろう
アリスは我儘でもなく、まっすぐな気性で嘘がない
日本人らしい礼節をわきまえる人間で、親切で、人には親身で、働き者で、どんな時でも頼りになり、根性がある
ある意味あのラスボスソルジャー琴子の育て方は、正解だったといえる、こんな素晴らしい女性はいない
そして自分のことはさておいて、北斗にとっての最善を無条件に願ってくれる
北斗はアリスの選挙期間戦略の、全てのスケジュールのバインダーに、目を通し大きくため息をついた
知恵のある良妻を手に入れると、100万の兵士を手に入れたものと同じだとかの、ギリシャの英雄ヘルメスの言葉であったな・・・
「ん・・・・・北斗さん?・・ 」
かわいいアリスが起きた
「おはよう 」
アリスはテーブルのバインダーや書類に、囲まれている北斗を見てハッとした、見られた!
「あ・・あの・・・違うの・・これは私が勝手に・・・」
「こっちに来てにゃんこ 」
北斗の呼ぶ声は優しかった、仔猫が飼い主に呼ばれると拒めないように、アリスは北斗の元へパタパタと歩み寄っていく
北斗は座ったまま足を広げ、その中にアリスを招き入れ腰を抱いた、そしてアリスは彼の首に腕を回した、二人はじっと見つめ合った
彼の瞳が希望にキラキラ輝いている
「もし・・・この戦いに負けたら・・・俺は牧場主ではなくなる・・・ 」
「あなたはいつでもわ・た・し・の牧場主よ」
二人は見つめ合って黙り込んだ、沈黙には重みがあった
強い存在感があった
北斗の胸は強く締め付けられた、彼は腕を回してきつくアリスを自分の体に引き寄せた
ああ・・彼女を愛している、妻にしたこのとんでもなく賢い女性を
北斗の命
北斗のすべてだ
アリスがいれば・・・・北斗は誰よりも強くなれる、アリスも北斗の顔を両手で挟む
「私達は二人でひとつよ」
「うん・・・・ 」
「何があっても二人で立ち向かうの」
「うん・・・ 」
北斗はため息をこらえた、猫耳をつけたアリス猫は希望にあふれ、確信に満ち、固く決意している
「君と本当に結婚してよかった」
「その言葉はまだ早いんじゃない?」
ハハハッと北斗は朗らかに笑った
土地・・・財産・・・しかしアリスがいなければそんなもの何も意味がない、それでも牧場はあったほうがいい
「他にもまだ何か言いたい事があるみたいだけど、聞こうか?にゃんこ」
北斗は方眉を上げてアリスを見つめた、猫の耳のヘアバンドをつけたまま、アリスはまっすぐ北斗を見つめて言った
「勝つのはあなたよ」
「そうだな 」
北斗は弾けんばかりの笑顔で言った、勝利の女神が言うのだからそうなんだろう
「出馬するよ」