少年は不敵な笑みを浮かべていた
汗が垂れはしないが、肌の湿るなんとも言えぬ秋の晴れだった。表に静かにやってきた少女は少年の服を見て「まだ夏?」少年は気候よりも、少女と出かけることの恥ずかしさで火照るために、着た服であった。少年は黙って扇子を取り出し、少女の片一方の肩に風があたるだけ近づいた。少年は汗ばみながら、扇げるとこまでと、少女に身を寄せることはできなかった。少女は自分も扇いでとその腕に手を添えたいと思いながら、しかも扇子の風から逃げ出そうにばかりにしていた。
2人はいわゆるコイビトたちが来るであろうところに来た。少女の父が遠くに転任する。別れのお出かけであった。
「どうぞ2人でお掛けになって」と喫茶の店員が小さめの長椅子の席を指したが、2人は並んで座ることはできなかった。注文するために少年はやっと少女に肩をくっつけ、少女とともに品書きをみた。少年は少女と肩が触れあっただけで少女の全身を味わったような感覚がした。あたたかい、やわからい。2人の体がどこかで結ばれたいと思いたいために、少女の腰に手を据えた。少年は少女に触れたのは初めてであった。店員に注文を終えた後も手は戻さなかった。このあたたかさは、注文したココアとパンケーキを見る度に思い出すだろう。
両人の注文したものが届く。少年のパンケーキそして少女のパフェ。少女の笑顔、少年は見惚れた。せっかくの正面のガラス張り越しの景色を、もはや少年は見ていなかった。少女は隣をしきりに見ていた。「してみる?」少年はフォークに少し大きめに切ったパンケーキを刺し、メープルにくぐらせ少女へ差し出した。すると少女は子どものように口をあけ食べた。ぱたぱたとよろこんだ。少年の記憶には新しかった。少し乱れた後毛を少女がかき上げ直すと、少年は胸の中で鉄球が落ちたような感覚がした。よろこぶ少女の明るい姿は少年も明るくした。その明るさの後で、両人は当たり前に身を寄せあって短めの長椅子に座った。
店を出ると少年は扇子で自分を扇いだ。ふと見ると、少女が少年の腕を寄せ肩を近づけていた。少年に見られてはじめて、少女は自分の行動に気がついた。赤面しながら甘い唇を少し舌なめずりをした。少年はその甘そうな唇を奪った。なぜそうしたのか。それは少年にもわからない。唇だけでは終わらなかった。少年の舌が少女の口内を侵そうとする。それに応じて少女も同じようにする。子どものかわいげのあるキスはもうそこにはない。大人の激しいキスだ。妖艶な音をたてながら。ぷはっ と両人はとろけた表情になる。唇は離れても唾液が糸を引き、離れることを許さない。少女は背伸びをし少年にキスをした。さっきと同じように。2人は呼応し求め合う。まるでコイビト、メオトだ。扇子などもう忘れ肩を寄せ帰路につく。頭を撫でたり、手を繋いでみたりした。
少女の家に着くと待っていたのは少女の両親だ黒塗りの高級車で少女を待っていた。少年と少女は見つめ合う。さっきみたいに熱い愛情表現をしたかったが両親の前ではできない。2人は握手をした。少女は車へ乗るが、さよならも言わず元通りの寡黙な2人へと戻った。そして車はどこかへ走って行く。少年は涙が滲んだ。家に帰り、まだ少女のぬくもりと匂いが残った自身の手を嗅いだ。少年は布団へ伏した。暫くして落ち着いた。その残り香のあった手は既に生臭く少年の液にまみれ少女の面影などなかった。
外へ出た。もうとっくに日は暮れ、濡れはしないが、なんとなく肌の湿る霧雨が降ってきた。先刻まで少女の家だった場所に行った。そこには貸家の看板が。庭を覗くと少女が気に入っていた牡丹一華が主を失い儚く咲いていた。
少年の手には1輪の牡丹一華が乱暴に握り締められていた。いつしか霧雨は本降りの雨に変わっていた。少年は「また会える。探し出すからね」と坂を下っていく。
─不敵な笑みを浮かべながら─