う、と呻る声に動きを止める。アンティーク調の椅子に、そっと腰を掛けた。
背後にある部屋のカーテンを開けてやると、部屋の主である叶の寝顔が、月の明かりで照らされた。
額にはびっしりと小さな水滴がついていて、眉根はぎゅ、と寄せられている。どんな夢を見ているのか。見て分かる、酷い夢なのだろう。このところずっとこの調子でうなされていて、寝れていないようなので、起こすのも憚られる。
なんとかしてやりたい。
白い手をとって、汗ではりついた前髪を払ってやる。こうすると、少しだけ落ち着くのだ。
もぞ、と布団がずれる気配がした。
「…さ、しゃ?」
寝起きにしてはぱっちりと開かれた眼が合った。潤んだ瞳が痛々しい。
「起こしたか、」と尋ねると、否定とも肯定とも取れない声で、ん、と唸った。
「いつから、ここに…」
「結構前から。…うなされてた。」
「そうですか。」
「ていうか、ここの守をやってる神父が吸血鬼に寝室入られても起きないってどうなんだよ。お前、会った時から警戒心無さすぎだぞ」
叶が俯くように笑う。力が無いときの笑い方だと、サーシャは知っていた。
「そういえばお前、会った時から俺のこと恐がってなかったよな。」
「もっと何か別のことに目が向いてて、俺のことを恐がってるわけじゃなかった。覚えてるか?初対面で俺のほうが強いとわかった途端自分が殺される前提で話し始めたからびびったわ」
「そろそろ話せよ。」
あれは、暴力に晒された人間の特徴だ。
叶が小さく息を吸った。これは長くなりそうだ。「もう昔の話ですが」と、柔らかいが、心做しかいつもより硬い声がいう。
「子どもの頃、別の教会に神父さまと暮らしていました。神父さまは教えを守るための我慢が苦痛でいらっしゃる様子で。…そのせいか、よく折檻されました」
叶の眼はどこか遠くを見ていた。思い入るように、深く吐息をつく。
「子どもを虐める聖職者か。とんだ悪徳神父もいるもんだな」
「…ええ。今でもよく夢に見ます。」
どんな夢を、と問うより先に、叶の口が開いた。
「教会には地下堂がありました」
ひゅ、と息を呑む音が、自分にも聴こえた気がした。
「神父さまが僕をそこへ呼んで、苛むようなことをされました。手を出されているときは耐えるのみなんですけどね。ただ、」
「___ただ、寝るときや呼び出されるときが1番恐ろしかったです。ちょうど寝ようとした時だったかな。あの人が僕の部屋に入ってきて___イエスの教えはご存じですか?カトリックの聖職者は女性と交わってはいけない決まりがあるんです。きっと、欲を埋めるためでしょうね。」
暴行を受けました。
「そういうことが何度かあって、」
「相手が寝静まるのを確認してからようやく布団に入るようになったんです。」
「…ひでぇ話だな」
「おかげで僕も立派な神父に育ちましたよ」
見かけによらず、洒落にならない冗談を言う。
聞きたいことは山ほどあるのに、かけてやるべき言葉が見つからなかった。想像を絶する内容に憮然とする。
「夢ってのはそれ?」
「そうですね…神父さまが病気で亡くなってから、見るようになりました。最近はようやく見なくなっていたのですが。」
「そうか、」思った以上に小さな声が出た。掠れた声は、相手に届いたかわからない。
それ以上は2人とも喋らなかった。
夜も更けてきた頃、サーシャは去った。叶が白いカーテンと窓を開けてると、バサ、と黒い羽が伸びる。見惚れるほど美しい光景が遠のいていく。その間ずっと、叶はその様子を見つめていた。
コメント
28件
カトリックのとかの 設定がしっかりしていて尊敬します( * ॑꒳ ॑* )
好きすぎてもう無理