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「ハッピーニューイヤー!」
テレビの向こうから響いた賑やかな声と同時に、画面いっぱいに打ち上がる花火。カウントダウンがゼロになった瞬間、部屋の空気がふっと切り替わった気がした。 年が変わっただけなのに、少しだけ世界が新しくなったような、そんな錯覚。
俺はというと、恋人もいないまま、学生時代に同じ部活だったこさめと、こたつの中で年を越している。卒業してからも、なぜか縁が切れず、気づけばこうして俺の家に入り浸っている存在だ。 こたつの中はぬくぬくで、みかんの皮の匂いがほのかに漂っている。外はきっと寒いのに、この小さな四角い空間だけは、時間が止まっているみたいだった。
「はぁぁ……」
思わず、ため息がこぼれる。
「女の子と年を越したかったなぁ」
何気なく言ったつもりだったのに、言葉にした瞬間、妙に虚しさが増した。
「らんくん、女の子の友達いないでしょ」
こさめは呆れたように笑いながら、俺にみかんを差し出してくる。皮が少し破れて、果汁が光っていた。
「ソンナコトナイヨ」
即座に否定してみたものの、声はどこか頼りない。 こさめは「はいはい」とでも言いたげな目で俺を見て、みかんを一房口に運んだ。
テレビではまだ新年特番が続いていて、知らない芸能人たちが楽しそうに笑っている。
俺はこたつの中で膝を抱えながら、そんな画面を眺めた。 ……まぁ、これはこれで悪くない年越し、なのかもしれない。
そのときだった。 こたつの上に置いていた俺のスマホが、ぶぶっと短く震える。
「ん?」
画面を見ると、通知が二件並んでいた。
片方は、父親からのメール。件名なし、そしてプレビューの時点でわかる。年明け恒例の、やたらと長文のやつだ。
「……あとで読も」
そう呟いて、もう片方の通知に目を移す。
「あ、……すち先輩からだ」
思わず声に出していた。 部活時代、何かと面倒を見てくれた先輩。卒業してからも、たまに連絡をくれるけど、年明け早々メッセージが来るとは思っていなかった。
「え、あの人起きれてたんだ」
「えーっと…」
俺はメッセージを開く。
『初詣行かない?』
たったそれだけの短い文章なのに、なぜか胸が少し跳ねた。
「……だってさ」
「おおぉ!!!初詣!✨️」
こさめが一気に身を乗り出して、目をきらきらさせる。さっきまでこたつに溶けていたとは思えない反応だった。
「行こうよ行こうよ!年明けだよ!?初詣だよ!?」
「いや、でも急だし……」
そう言いながらも、俺はもう一度スマホを見る。 画面の向こうのすち先輩の顔が、なんとなく思い浮かんだ。 外はきっと寒い。 でも、こたつの中でだらだら過ごす新年も、もう十分な気がしてきた。
「……まぁ、ちょっとだけなら」
そう言うと、こさめは「やった!」と小さくガッツポーズをして、勢いよくこたつから抜け出した。
「じゃあこさめ、上着持ってくる!」
「準備早っ……」
俺は苦笑しながら、先輩への返信画面を開く。
『行きます。今から向かいますね』
「よし…、俺も準備しよ。」
「うぅ、さっむ……」
吐いた息が白く浮かんで、すぐ夜に溶けていく。 マフラーの中に顔をうずめながら、俺はポケットに手を突っ込んだ。
「何神社って言ってたー?」
こさめが軽い足取りで隣を歩きながら聞いてくる。さっきまでこたつでぬくぬくしていたとは思えない元気さだ。
「六重奏神社。なつといるま先輩とみこと先輩も来るって」
「久々の演劇部、全員集合ってわけですな!」
わざとらしく腕を組んで、こさめが言う。
「あ、確かに…このメンツ、久しぶりだよね。」
学生時代、舞台袖で一緒に台本を確認して、くだらないことで笑って、時には本気でぶつかった人たち。 卒業してからは、それぞれの生活に散っていったはずなのに、こうしてまた集まるのが不思議だった。
「だねー。ぁ、こさめはこの前、みこと先輩見たよ!女子にナンパされてた!」
「あー……ね……」
みこと先輩なら、まあ、ありえる。
整った顔立ちに、妙に人懐っこい雰囲気。本人は自覚なさそうなのが、余計にたちが悪い。
「その時、声掛けた?」
「いや、面倒くさそうだから逃げた。」
そんな会話をしているうちに、鳥居が見えてきた。 参道には、同じように初詣に向かう人たちがいて、屋台の明かりと笑い声が夜を照らしている。 太鼓の音が、どこか遠くで響いた。
「あ、あそこにいるのって……」
こさめが言葉を途中で止めて、指を差す。
その先には、初詣客でぎゅうぎゅうになった人混みがあった。 俺も目を凝らして見る。
人の波の中心に、見覚えのあるシルエットがあった。 間違えようがない。あれは…
「なっちゃんだ…」
正直、こうなることは予想できていた。
だって彼は、今や大人気俳優。
テレビや映画で見ない日はないくらいで、顔を知っている人間の数が、昔とは比べものにならない。 初詣の神社。 人混み。 気づかれないほうが、無理な話だ。
「そりゃあ……こうなるよな」
思わず、小さく呟く。
「どうする?こさめ」
そう聞きながらも、俺自身、どうすればいいのかわからなかった。 声をかけるべきか、距離を取るべきか。
「んー……」
こさめが少し考え込んだ、そのとき。
「あ、いるま先輩だ」
視線を追うと、人混みの外から、背がそこまで高くない影が近づいてくるのが見えた。 迷いのない足取りで、人の波の中へ入っていく。 周囲がざわつくのも構わず、なっちゃんの腕をつかんだ。
「おっと…???」
いるま先輩はなっちゃんを引っ張るようにして、人混みの外へ連れ出していた。
人混みから解放されたなっちゃんは、息を整えながら、こちらに気づいた。
そして、目が合う。
昔と変わらない、少し照れたような笑顔で
「……あけおめ」
「なつくん、売れたね〜」
こさめがにやにやしながら距離を詰めて、わざとらしく言う。 昔と変わらない調子に、なっちゃんは小さく肩をすくめた。
「出かける度にこうだからさ……毎回大変なんだよ」
そう言って見せた笑顔は、テレビで見る完璧なものじゃなくて、どこか疲れがにじんでいた。
ライトもカメラもない場所で見るなっちゃんは、昔のままだ。
「その度に、いるま先輩がなっちゃんのボディーガードを?」
俺がそう言うと、なっちゃんは少し考えるように視線を逸らしてから、曖昧に頷いた。
「あぁ……うん。なんか気づいたら、いるんだよね。隣に」
「気づいたらってなに、怖。」
「いや、ほんとに。俺が人混みに捕まりそうになると、いつの間にか腕掴まれてるし」
「それ、完全に護衛じゃん」
いるま先輩のほうを見ると、本人は少し離れた場所で、周囲をさりげなく警戒している。
あの人、昔からこうだった。口数は少ないのに、必要なときだけ、必ず前に出る。
「でも、助かってるんでしょ?」
こさめが聞くと、なっちゃんは小さく笑った。
「……まぁね。正直、いるまがいなかったら、外出できない」
その言葉に、俺はなんとなく胸の奥がざわついた。 遠くに行ったようで、なっちゃんはちゃんと、昔のままの関係を手放していない。
「うわぁ!すちくん!そんなところで寝ないでよ!」
甲高い声が、人混みのざわめきの中でもはっきりと響いた。
「今の声って…」
嫌な予感がして、俺はゆっくり振り向く。
「……zzZ」
「寝てる!?」
視線の先。そこには、床に伏せたまま、ぐっすり眠っているすち先輩の姿があった。 こんな時間まで起きていられないのは、もうお約束みたいなものだ。
「先輩……さすがにここはダメでしょ」
みこと先輩は慌てた様子で、すち先輩の肩を揺すっている。
「起きて、すちくん!ほら、初詣だよ!?」
「…zzZ」
反応はない。
「はぁ……たっく」
少し離れたところで様子を見ていたいるま先輩が、呆れたようにため息をつくと、すち先輩のそばに近づいた。
「起きろー、すち」
そう言って、遠慮なく頭をぺしっと叩く。
「……んがっ!?」
勢いよく目を覚ましたすち先輩が、上半身を起こす。
「あれ……?一体俺は何を……」
「や、やっと起きた……よかったぁ」
みこと先輩はほっとしたように胸を撫で下ろす。
「まったく……ここ神社だぞ」
いるま先輩が低い声で言うと、
「え、神社!?俺いつ移動した!?」
すち先輩は状況が飲み込めていない様子で、きょろきょろと周囲を見回した。
その様子に、こさめが吹き出す。
「相変わらずですね、すち先輩」
俺がそう言うと、すち先輩はやっと俺たちに気づいて、にへっと笑った。
「おー、らんらん!こさめちゃん!久しぶりー!あけおめ!」
本当に、何も変わっていない。
「あ、財布忘れちゃった。てへ」
お賽銭箱の前。 列に並んで、いよいよ順番が回ってきたというところで、こさめが突然そんなことを言い出した。
「……あ?」
なっちゃんはその言葉を聞いた瞬間、露骨に眉間に皺を寄せた。
「……はぁ……」
深いため息をひとつ。
「じゃあ俺が金貸すから、ちゃんと返してよね」
そう言いながら、俺は懐から財布を取り出す。
毎年こうなる気がするのは、気のせいじゃないと思う。
「らんくんあんがとー!じゃあ、500円貸して」
満面の笑みで手を差し出してくるこさめ。
「10円で我慢してくださいね。」
即答だった。
「えぇ!?初詣だよ!?神様に失礼じゃない!?」
「財布忘れたやつが言うな」
なつが冷静に突っ込む。
「ほら、これでいいでしょ」
俺は10円玉を一枚、こさめの手のひらに乗せた。
「うぅ……ケチ……」
「お金もらう人が言うセリフじゃないでしょ」
こさめは渋々お賽銭箱の前に立ち、10円玉を見つめてから、ぱちんと手を合わせた。
「……今年は、お金に困りませんように」
「まず財布を携帯するようにしろよ。」
背後から、いるま先輩の声が飛ぶ。
周囲から、くすっと笑いが漏れた。 なっちゃんも、みこと先輩も、すち先輩も…みんな、楽しそうだ。 鈴の音が鳴り、お賽銭が箱の中に落ちる。 今年も、きっと騒がしい一年になる。 そう確信しながら、俺はそっと手を合わせた。
「……」
この時間が、できるだけ長く続きますように。
「みんな、何お願いしたの?」
鈴を鳴らし終えたあと、みこと先輩が楽しそうに聞いてきた。
「こさめはね!お金に困らないように!ってお願いした!」
胸を張って言うこさめに、
「でしょうね。」
「なつは?」
今度は、いるま先輩が静かに問いかけた。
「俺は……」
なつは一瞬だけ言葉を切ってから、いるま先輩の耳元に顔を寄せる。 ひそひそ、と小さな声。 俺たちには聞こえない。 その瞬間、いるま先輩の目がわずかに見開かれた。そしてそすぐに、優しくて、どこか暖かい微笑みを浮かべる。
「…俺も、同じ⸝⸝」
短い一言。 それだけで、二人の間に流れる空気が、他と違うことがはっきりわかった。
「……バカップル」
こさめが、ぼそっと呟く。
「聞こえてんぞ。」
「えぇぇっ!?」
俺はそんな二人を見ながら、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じていた。 変わったものもある。 変わらないものもある。 こうしてまた、同じ場所に集まって、同じ初詣をして。 それだけで、十分すぎるほどだった。
「らんらんは、何お願いしたの?」
みこと先輩の声に、俺は少しだけ言葉に詰まる。
「……秘密です⸝⸝」
「うぇぇ!なんで!」
「絶対、スケベな事考えてたよ。これ。」
「違うよ…」
願い事は、まだ言わないでおこう。
「すち先輩は?」
そう聞かれて、すち先輩は少しだけ間を置いてから、頭の後ろを掻いた。
「俺?俺は…もっとお仕事が上手く行きますようにって」
珍しく真面目な答えだった。
「なんのお仕事してるんですか?」
こさめが首を傾げて聞く。
「デザイン関係のお仕事」
「へー!」
軽い相づちなのに、どこか尊敬が混じっている。 昔、舞台美術やポスター案を楽しそうに描いていた姿が、ふっと頭をよぎった。
「じゃあ、みこと先輩は?」
そう振られて、みこと先輩は少しだけ目を伏せる。 でも次の瞬間、顔を上げて、はっきりと言った。
「俺は……またこうやって、皆と過ごせますようにってお願いした!」
その場の空気が、一瞬だけ静かになる。 照れないのか、それ。 こんなことを、まっすぐ言えるのは本当にすごいと思う。俺は何も言えず、ただその言葉を胸の中で反芻していた。 また、こうやって。 皆と。
「おみくじ引く?」
みこと先輩が振り向いて聞く。
「引くー!」
こさめが元気よく手を挙げる。その勢いで、周りの人にちょっと驚かれていた。
「えーと、おみくじは…」
いるま先輩が周囲を見渡すけど、人が多すぎて視界が遮られているらしい。 背伸びしても、首を伸ばしても、目的の場所が見えない。
「……見えない。」
低くぼやいたその声に、
「いやぁ、身長低い子にはキツイですかねぇ」
こさめがにやにやしながら近づいて、いるま先輩の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「おい、やめろ」
「ちっちゃくてかわいいですね〜」
「黙れ。お前らが高ぇんだよ。 この逆盛り男が!」
そのとき、
「あ、あそこじゃない?」
すち先輩が、少し離れた方向を指さした。
さすが高身長。 人混みの向こう、その先には、しっかりと「おみくじ」と書かれた看板が見えている。
「ほんとだ」
「さすが“9等身“」
「9等身じゃないよ…」
「ぁ、大吉。」
なっちゃんがさらっと言って、おみくじを広げる。
「ぇ、なっちゃんすごーい!」
みこと先輩が目を輝かせて、身を乗り出した。
「みこと先輩は?」
俺が聞くと、みこと先輩は少しだけ肩を落として紙を見せる。
「俺は……中吉……」
「地味。」
即座になっちゃんが切り捨てる。
「なっちゃん!?」
みこと先輩の目が一瞬で潤んだ。
「いるま先輩はー?身長通り小吉?」
こさめが悪い笑みを浮かべながら、いるま先輩にずいっと近づく。
「……」
返事がない。 次の瞬間。
くしゃっ、と嫌な音を立てて、いるま先輩がおみくじを握り潰した。
「え”、……先輩???」
全員の視線が集まる中、いるま先輩は何も言わずに歩き出し、神社の結び所へ向かう。
そして無言のまま、それを結びつけた。
「よし……」
「『よし…』じゃなくて!なんなんだったんですか!?」
俺が慌てて聞くと、いるま先輩は振り返って、やけに落ち着いた声で言った。
「身長、伸びず……だってよ」
一拍。
「ちょっと神様に喧嘩売られたみてぇから。縁結びのついでに、ぶん殴ってくる」
「だめだよ!?」
みこと先輩が慌てて腕を掴んで止める。
「神社で何言うてんの!? 警備来るから! というか縁結び関係ないでしょ!」
一斉にツッコミが飛ぶ中、いるま先輩は小さく舌打ちしてから、ふっと笑った。
「……冗談だよ」
その笑顔に、みこと先輩がほっと息をつく。
「もう、びっくりさせないで!」
「いやぁ、今年も伸びないのか……」
こさめがしみじみと言うと、いるま先輩がじろりと睨んだ。
「言葉を選べよ?」
「そーいうこさめちゃんは?なに出たの?」
みこと先輩が話題を切り替えるように聞く。
「こさめも大吉です!」
満面の笑み。 完全なるドヤ顔。
「ドヤ顔うぜぇ……」
いるま先輩がぼそっと零す。
「俺も大吉だったよ〜」
すち先輩がそう言って、おみくじを広げて見せる。 恋愛、仕事、学業、健康。どの項目を見ても、前向きな言葉ばかりが並んでいた。
「強すぎません?」
「盛られてるだろ、それ」
「らんらんは、なんだった?」
みこと先輩にそう聞かれて、俺は少しだけ間を置いてから、おみくじを開いた。
「俺は……」
紙に並ぶ漢字を追う。
「きっ……きょう……み、ぶん……?」
読み方すら怪しい。
「それは、善し悪し未だわからず、だね」
すち先輩が、すぐに答える。
「なんですか?それ」
こさめが首を傾げる。
「文字通り。まだ今年が吉か凶か、分かっていないって意味」
その言葉を聞いて、俺はもう一度おみくじを見る。 大吉でも、凶でもない。 まだ、何にも決まっていない。 なっちゃんは俺の顔を見て、ふっと笑う。
「らんっぽいじゃん」
「え、そう?」
「これからどうなるか、全部自分次第って感じ」
その言葉に、みこと先輩がうんうんと頷いた
「いいおみくじだと思うよ。らんらんに1番合ってると思う。」
「…………そう、ですかね。⸝⸝」
まだ、何者でもない一年…か。 俺はそっと、おみくじを畳んでポケットにしまった。
「このあと、皆予定ある?」
後ろから、すち先輩の声がかかる。
俺たちは足を止めて、振り向いた。
「いや、俺は特になにも……」
そう答えると、隣にいたこさめが勢いよく手を挙げる。
「こさめも皆と同じで彼女いないんで!」
いらん自己申告を、胸張って言うな。
「ざーんねん」
いるま先輩が、どこか楽しそうに笑いながら言った。
「お前らと違って、俺は彼女いるんでw」
「は?」
一瞬、空気が止まる。
「えぇ、いるませんせぇ彼女居るの!?」
みこと先輩が素で驚いた声を出す。
「まぁな。俺はクリスマスも彼女と過ごしましたし?w 沢山ベットでイチャイチャさせていただきましたし?」
「は、ハレンチ… ⸝⸝ 」
「…………」
なつが、無言でいるま先輩に近づいた。
「なつ?」
「ばか、ばかばかばか……っ ⸝⸝」
ぽかぽか、と遠慮のない連打。
「ちょ、痛いってw ごめん、ごめん笑」
隠しきれてないんだよな、あそこ。
というか、いるま先輩が普通に隠す気ないんだろうけど。 俺はその光景からそっと視線を逸らして、みこと先輩たちのほうを見る。
「……アイツら、置いていきます?」
真顔で言うと、
「まぁ、まぁ…」
みこと先輩が苦笑しながらなだめる。
「新年早々、仲いいなぁ」
すち先輩はどこか嬉しそうに言った。
背後ではまだ、
「言うなって言ったじゃん!⸝⸝」
「えーなにが?笑」
「阿呆!馬鹿!⸝⸝」
なんてやり取りが続いている。
どうやらやり取りが一段落したらしい。
なつは、いるま先輩のマフラーをぎゅっと掴んだまま、こちらへ歩いてくる。
「俺らも、別に予定はありません」
さらっと言うけど、手は離さない。
「な、なつ……引っ張んないで。ちょっとというか、かなり苦しい……」
「じゃあ、みんなで打ち上げ会でもする?」
みこと先輩が、場をまとめるみたいに笑顔で提案した。
「いいですね!」
「でも、店空いてますかね?」
こさめが首を傾げる。
「あー……確かに」
元日深夜。 開いてる店のほうが少ないだろう。 少しの沈黙。
「なら、俺の家来る?」
その沈黙を破ったのは、すち先輩だった。
「冷蔵庫に、結構食材残ってるから」
一瞬、全員がすち先輩を見る。
「わー!ごちになります!」
こさめが即答で両手を合わせる。
「いいんですか?」
俺が聞くと、すち先輩は穏やかに頷いた。
「うん。久しぶりだし」
みんなで、すち先輩の家へ向かって歩く。
夜道は冷えているのに、不思議と足取りは軽かった。 その途中でなっちゃんが、ふっと立ち止まった。
「……」
「なつくん、どうしたの?」
こさめも気づいて、振り向く。
「いや……あそこ……」
なっちゃんが指を差す。その先に目を向けて、俺は息をのんだ。
「……!」
旧校舎。 俺たちが学生時代、毎日のように通って、笑って、怒って、泣いて。 たくさんの思い出を詰め込んだ、演劇部の部室がある場所。
街灯に照らされた建物は、当時と変わらず、相変わらずボロボロだった。
「…………」
誰も、すぐには言葉を出せない。
「懐かしいね」
沈黙を破ったのは、みこと先輩だった。
ふにゃっと、やわらかく笑う。
「……せっかくなら、入ってみる?」
すち先輩が、まるで散歩の延長みたいな軽さで言い出す。
「え”……流石に無理じゃないすか?」
俺が思わず突っ込むと、すち先輩はふふっと意味深に笑った。
「関係者様に、連絡済みです!」
胸を張るその姿に、
「……あー」
なっちゃんが、すべてを察したような顔になる。
「ないこさんですか?」
「そう」
短く頷くすち先輩。 それを聞いた瞬間、全員の表情がゆるんだ。 あの人なら、あり得る。むしろ、お願いされたら断らない。 俺は、旧校舎を見つめながら、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じていた。 もう戻れない場所。 でも、消えてない時間。
「……入ろうか」
誰かがそう言って、 俺たちは、ゆっくりと足を進めた。
相変わらず、廊下はボロボロだった。
床板はギシギシと軋み、壁には所々ひびが入っている。前よりも、少し悪化している気がした。 電気はついていないので、俺たちはスマホのライトを頼りに歩く。
「皆、足元気を付けてね」
すち先輩が声をかけながら、慎重に進む。 ライトの光が揺れて、壁や廊下のほこりを照らす。
「あ、…ここか。」
なっちゃんが指を指した先には、取れかけのドア。 【演劇部】と手書きで書かれた紙が、セロハンテープでかろうじて貼られている。
紙はクシャクシャで、端は反り返っていた。
「相変わらずのボロボロ……」
いるま先輩が、呟くように言った。
「それがいいんよ!それが!」
みこと先輩が、慌てて口を挟む
「じゃあ、入ろっか」
すち先輩がドアノブに手をかける。
ギィ、と軋む音が廊下に響く。
「ぁ、これ!」
みこと先輩が、床に置かれた箱の中から何かを見つけて声を上げた。
「ん?どうしたの?」
すち先輩がすぐに近づく。
「あ……【銀河鉄道の夜】の台本だ」
手に取った台本は、少し色あせて、角も折れている。 でも、あの頃の匂いと感触が、そのまま残っていた。
「先輩が全部手書きで書いてたやつですよね。懐かしー!」
「だな…笑」
なつも小さく笑った。 ページをめくると、あの時の台詞や演出のメモがぎっしりと書かれていて、文字だけで当時の熱量が伝わってくる。
「うわ、これ、覚えてる……!」
俺も思わず声を上げた。 初めて舞台に立った日の緊張、みんなで夜遅くまで台本を読み合わせたこと、失敗して笑いあったこと。すべてが、ページをめくるたびに蘇ってくる。
「結局、舞台ではやらなかったよな。この【銀河鉄道の夜】」
いるま先輩が、懐かしそうに台本に目を落とす。 その横で、みことがふふっと笑い、
「確か、【はだしのゲン】だったよね笑」
「……俺、すっごい楽しかった」
俺は、床に落ちた台本を見つめたまま、小さく呟いた。
「ずっと、一人ぼっちだと思ってた。でも、ここに来てから……最高の仲間に会えた」
言葉にすると、胸の奥がじん、と熱くなる。
「………俺も」
なっちゃんが、ほとんど聞こえないくらいの声で続けた。
「俺は、もう誰からも必要とされてないって、一人で抱え込んでた。でも、ここに来て先輩たちが笑顔で迎えてくれて、いい友達もできて」
少し間を置いて、なっちゃんは続ける。
「…誰かの人生を変えたってことにも、気づいた」
「……!」
その言葉に、いるま先輩がはっと目を見開いた。 なっちやんは気づいていないのか、ただ前を見つめている。
「俺も、ここで……色々と成長した」
今度は、いるま先輩が低い声で口を開いた。
「あんまり、人と関わるの好きじゃなかった。でも、この部活に来て……嫌でも、こんな奴らと沢山演劇できた」
「嫌でもって言い方ひどくない?」
こさめが小さく突っ込む。
いるま先輩は、部室をぐるっと見渡す。
「…ここがなかったら、今の俺はなかったと思う。」
「みんな、変わったんだね」
すち先輩が、ふっと柔らかく笑う。 その笑顔に、部室の空気が一瞬だけ穏やかに沈む。
「こさめは変わってないよ! この部活に入ってからも! 未だに野菜は食べれないし!」
「それは違くない?」
俺が思わずツッコむと、こさめは反論する間もなく、
「ふふ、…ふはははっ!」
笑いが漏れた。 みこと先輩がそれに吹き出すと、空気が一気に弾んだ。
「はははははっw」
なっちゃんも、いるま先輩も、そして俺も、つられて笑い出す。 笑い声は、古ぼけた部室の壁に反射して、何倍にも膨らんだ。
ボロボロの部室で、くしゃくしゃの台本を抱え、 俺たちは、久しぶりに、ただ笑い合っていた。 笑い声の中に、昔と変わらない温かさがあった。 誰も欠けず、ここに揃っているそれだけで、胸がいっぱいになった。
「…」
旧校舎を出て、夜空を見上げる。
凛とした冬の空気の中、星が瞬いていた。
(あ……冬の大三角形だ)
しばらく、言葉にならない景色を眺める。 胸の奥に、あの頃の思い出がじんわりと広がった。
「らんくーん!はやくー!」
こさめの声が背後から弾ける。 現実に引き戻されるように、俺は笑って振り向く。
「あ、うん、!」
足元に気をつけながら、俺らはあの思い出の詰まった校舎をあとにした。
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