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夜の帳が下りきったネオン街。空の暗さとは反対に未だ街の活気さは消えない。人々は酒に酔い、女に酔い、束の間の快楽の中で自由を謳歌した。
人が往来し、話し声や笑い声などで騒がしい街の中で、独り歩く男がいる。その顔は虚空であり、痛みを抱えた顔のようにも見えた。長い前髪から時折覗く黒い双眸は、プラックダイヤモンドか、あるいはスピナか。ただただ深い漆黒が収まっていた。男の持つ死の気配を知ってか知らずか、往来する列は男を避けながら進む。男は人知れず夜の闇の中へと吸い込まれるように消えた。
一月前に旅団が壊滅したことを人づてに聞いた。俄には信じ難い話であった。一人一人が念に精通していた者達だ。そう簡単に殺られる筈がなかった。この手で奴らを鏖し、復讐を果たす。その為だけに生きてきたと言っても過言ではない私にとって、その事実は受け入れ難いものだった。けれど同時に肩の荷が下りたのも事実なのだ。これで漸く同胞の目を集める事だけに集中出来る、そう思ったし、本当は人殺しなどしたくはなかった。私は2人の命を奪った。ウボォーギンとパクノダ。彼らは旅団だった、だから殺したのに。後から湧き上がってきたのは復讐を遂げた幸福感ではなく、人を殺した罪悪感だけだった。これで私も旅団と同程度になってしまったと失望した。人殺しに人数は関係ない。尊き命を奪ったという事実には代わりないのだから。その日から悪夢を見るようになった。彼らの今際の際の顔が、声が、頭にこびり付いて離れない。彼らは最後まで、自分自身を貫き通して死んだ。だから、これが事実では無いことぐらい理解している。これは私自身が生み出した妄想で、罪の意識なのだ。何度心を抉られても耐えるしかない夢を、この生が費えるその日まで見続けるのだろう。
「…ピカ、クラピカ!お前大丈夫か?」
「あ、あぁ…。問題ない、続けてくれ。」
レオリオの声に私は意識を浮上させた。旅団の壊滅した話をレオリオから聞いている最中だったな、と動揺する頭を必死に持ち上げる。
「お前、どこまで聞いてたんだ?」
「…すまない。あまりも衝撃的な事実を聞いて脳がショートしていたようでな…。」
私の謝罪にレオリオは呆れたように肩を竦ませると話を続けた。彼の話はイマイチ要領を得ず、長い話になったので、要約するとこうだ。
旅団の壊滅はヒソカによるものだということ。壊滅と言っても、クロロ・ルシルフルの死体が未だ見つかっていないので断定は出来ないということ。この2点になる。
「おおよその内容は理解した。…気になるのだがヒソカはどうなったんだ?」
コーヒを一口、口に含む。昼下がりのコーヒブレイク、以前に憎き男が言った言葉を思い出し、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「苦いのか?…ヒソカは生きてるぜ?ピンピンしてやがる。見せかけだけだけどな。」
ヒソカは、自身の念能力:薄っぺらな嘘で欠損した部分を繕っているらしいが、本当の姿は見るに堪えない物だという。ヒソカに対して改めて恐怖を抱いた。その実力は、私が出会ってきた数々の念能力者の中でもトップクラスにおける。また、純粋な体術も戦闘IQも化け物並である。そんな彼と殺りあったクロロ・ルシルフルもまた相当な実力を持っていた事は確かだ。もし奴が生きていたとして、果たして私は勝つことが出来たのだろうか。最悪、相打ちという形でも勝つことが出来たのだろうか。今となっては知る術も失った、無意味な問いにすぎない。
一通りの会話を終え、私は席を立った。
「名残惜しいが…私はここで失礼するよ。体には気を付けろよ。」
「あぁ、またな。お前も気を付けろよ!」
レオリオの分まで会計を済ませ、店を後にする。この後はノスラードが所有するビルで会談が行われる。時間が無いわけではないが、足速に目的地に向かうことにした。人が賑やかに往来する道中は、私にとって居心地の悪い物だ。私はもう闇の世界に生きる者で、光の元には帰れない。眩しすぎる世界に懐かしさと目眩を覚えた。あと少しで目的地に付く、そんな折に黒が私の視界に映った。衝動的に深い憎悪が湧き上がる。黒い髪に黒い双眸、それは同胞の仇である男だった。
「なんだ…生きていたのか。さっさとくたばればいいものを。余程悪運が強いようだな。」
我ながら冷静にものを言えたと感じる。それは、奴の表情によるものが大きいのだが。奴の表情には深い影が落ちていた。仲間がヒソカの手によって狩られたのだ、無理もないだろう。
「…鎖野郎、いや、クラピカ。俺に今残された物はなんだと思う。」
奴の突然の問いに、私は顔を上げた。質問の意図が理解出来ない。仮に理解出来たとして、何故私に問うのか。
「…何が言いたい。」
「別に、そのままの意味だ」
「貴様の事など私が知るわけない。知りたくもない。」
私の答えに奴は顔に俯かせ、私が拒絶の言葉を吐く前に口を開いた。
「…俺はもう何もかもを失った。シャルやマチ、フェイ、ノブナガ、フィンクス、皆死んだ。ヒソカの手でな。全部手から零れ落ちて、でも最後まで残ったのがお前のその復讐心だった。…お前は俺の仲間を殺した。俺もお前の同胞を殺した。そして、俺とお前は1人になった。別に俺はお前の事を恨んでなんか居ないさ。タイミングが悪かっただけだ。…お前と同じような境遇に立って、初めてお前と同じになれた気がした。…なぁ、お前は俺を殺してくれるのか。俺がお前を殺そうとすれば…」
「それ以上、その汚い口を開くな。反吐が出る。生憎、私はお前の自殺願望を聞くつもりはサラサラない。消えろ、目障りだ。」
私の明確な拒絶に対して、奴は見たこともない柔らかい笑みを浮かべた。しかし、それは私にとって気味の悪いものでしかなかった。
「そうだな、また来る。」
そう言い残し奴は路地裏に溶けるように姿を消した。
その日以降、奴は私の前に姿を現すようになった。最初のうちは拒絶の意を示していたのだが、次第にそれすら面倒だと感じるようになった。会話に統一性はなく、時事ネタや世間話など様々なものだ。奴の話す内容は驚く程私の興味をそそるもので、奴と話すことを心のどこかで楽しんでいる自分がいた。でも、それから必死で目を逸らし続けた。奴と私は敵同士。決して相見える関係でない。そう言い聞かせる。 でないと、私は奴を懐に入れてしまいそうになるのだから。
そんな関係が続いて、四ヶ月が経過した。その日もいつもと同じように奴は私の前に姿を現す。
「元気か?」
奴は眉ひとつ動かさずに私に尋ねてきた。これは単なる挨拶で私が元気であろうと無かろうと奴にはどうでも良い事なのだろう。
「別に、貴様にはどうでも良いだろう。」
私の言葉に奴は小さく笑った。その様子に眉を顰めるが、奴には通用しなかった。
「その口が聞けるのならば元気そうだな。…だが、何か思うところがあるのか?顔に分かりやすく書いてあるぞ」
いちいち腹の立つ言い方に腹を立てる。しかし、奴の言っている事は正しかった。2週間、私はこの場を離れなければならない。緋の目の所有者が見つかったからだ。交渉と言えば聞こえは良いが、蓋を開ければただの脅迫である。行きたくない訳じゃない。寧ろ行きたいと思っている。同胞の目を弔ってあげる事が出来るのだ、当然である。しかし、この四ヶ月の間の奴との関係があまりにも居心地の良いもので、それが2週間もお預けになる事に不満を覚えてしまった。認めなくないが、私は奴に絆されてしまったのだ。そんな事、奴にはバレたくない。
「…緋の目の所有者が1人見つかった。明日から2週間程この場を離れる、それだけだ。」
「へぇ、そう。」
自分から聞いてきた癖に、興味の無さそうな返事を返されて、先程よりもイライラが募る。
「貴様…」
「…お前と2週間会えないのか。」
私が怒鳴る前に、奴は何かを考え込む仕草をした。それを見て怒鳴る気も失せてしまった。溜息を吐き出し、奴を見る。奴は私より背が高いため、自然と少し見上げるような形になる。それがとても気に入らない。
「そういう事だ。私はあまり時間が無い、用がなければ帰る。」
そう言った私を見下ろして奴は口を開いた。
「あぁ、いってらしゃい。」
その懐かしい響きに口元が緩んだ。しまった、そう思い直ぐに表情を引き締める。奴を見ると、驚いた表情と笑みを浮かべていた。最悪だ。いたたまれない気持ちになって、私は踵を返した。奴に顔が見られない位置で、口元を緩ませ、「行ってくる。」そう聞き取ることの出来ない程小さな声で呟いた。2週間後、またこの場で奴に会うことが出来れば良いなと思った。
緋の目の所有者との接触に成功した。その人物は、一見何の変哲もないあり振りた日常の一コマにいるような、そんな男だった。しかし、人間は見た目によらない。男の裏の顔は人体収集家だったようだ。
「貴方の所有するその目を私に譲って頂きたい。勿論、金額は貴方の指定するものを支払おう。人体収集家のツテも紹介する。理解頂けたか?」
私の提示した条件に男は、ニタリと薄気味の悪い笑みを浮かべて私を見た。
「えぇ、良いでしょう。」
「では交渉成立だな。…受け取りは一週間後で良いだろうか。それと今、あなたの指定する金額を聞いても良いか?」
「一週間後ですね、承知致しました。…そうですね、私の指定する金額は5000万Jで如何でしょうか。」
「あぁ、それで構わない。では、失礼する。」
案外あっさりと交渉が成立した事に拍子抜けした。緋の目は珍しい為、手放そうとする奴は極小数なのだ。しかも、オークションに出すと値が張る。しかし男は安すぎる金額を提示してきたのだ。何か裏があると考えた方が良いだろう。警戒しておいて損は無い筈だ。兎にも角にも、受け取りは1週間後だ。それまでは此方から行動には移せない。緊張で強ばっていた身体の力を抜いた。
「…帰るか。」
宿泊するホテルへと足を運ぶ。ふと、立ち止まって暗い空を見上げた。しかし、明るすぎる街の中では星1つ見る事は出来ない。奴はこの空を見ているのだろうか。いや、どうでも良いか。視線を前に戻し、再び歩き出した。
あれから1週間。今日は約束の日である。
何かあった時に対処するため念を発動させておく。勿論、隠は忘れない。対念能力者を想定してである。不足の事態に陥った場合は絶対時間を使用する事も視野に入れておこう。
私が受け渡しの場に到着すると、男はまだ来ていないようで、人の気配は感じられない。それから数十分の後、男は私の前に姿を現した。
「遅れてしまい大変申し訳ございません。」
「問題ない、それでは始めよう。」
私の言葉に男は、あの時のような笑みを浮かべて頷いた。
「これは貴方の指定した金額が入っている鞄だ。…中を確認するか?」
「いいえ、結構ですよ。ここであなたが嘘をつくメリットが存在しませんから。」
「そうか。では、緋の目を此方に。」
「承知致しました。…どうぞ。」
男は持っていた袋の中から、容器に入った緋の目を1対、私に手渡す。保存状態も良く、申し分ない物だった。なんと皮肉な事なのだろうか。死んだ同胞は見るに堪えない姿で息絶えていたというのに、この目は未だ輝きを失ってはいなかった。怒りを沈めるように瞼を閉じ、息を吐いた。
「感謝する。…それと、これは人体収集家の連絡先だ。」
「えぇ、ありがとうございます。…では私はこれで失礼します。貴方に幸があらんことを。」
男は一礼をすると、乗ってきたのであろう黒いセダンの方へと向かう。それを見て、私もホテルに向かうことにした。腕の中には緋の目が揺らめいていた。一刻も早くあの街に帰りたかった。この目を早く弔ってあげたかったから。足速にこの場を去った。道中に危険がないことを確認してから、念を解く。絶対時間を使っていないにせよ、やはり長時間の使用は少々疲れるものだ。
「…疲れた。」
誰にも拾われることの無い声は闇へと溶けていく。
ホテルに到着し、割り当てられた部屋のドアへと手を伸ばした。今日はもう速く寝たい。そう思いながらドアを開ける。
「ッなんなんだ、これは。」
目の前に広がっている光景に目を見張る。部屋の中は一面が赤色に染まっていた。同時に、鼻につく強烈な血の臭いに咽る。この部屋の中で人が殺されたという事はこの現場を見れば一目瞭然だった。呆然と立ち尽くす私に、何者かが部屋の奥から話しかけてきた。
「遅かったな。」
声のした方に視線をよこすと、黒と赤に包まれた奴が立っていた。奴がこの凄惨な光景を生み出した張本人であることは聞かずとも分かる。
「…なぜお前がここに居る。…なぜ殺した。」
怒気を孕んだ声に動じる様子もなく、奴は私を見つめ返し口を開いた。
「なぜ俺がここに居るか。別に大した理由がある訳じゃない。お前があの日帰った後、俺はお前について探ってみた。…俺の盗賊の極意に、ネオン=ノスラードの能力に似たものがあってな。彼女の能力よりももっと抽象的で具体性の無いものだけど。それを使わせてもらった。その結果、取引がお前にとって危険なものであるらしかったから、俺はお前の後を追って来た訳だ。まぁ、それが起こらなかったら俺はお前の前にこうして姿を見せることは無かったけど。納得したか?」
「…お前がここに居る理由は分かった。だがなぜ殺した。殺さずとも止める方法はあっただろう。」
「別に全員を殺した訳じゃない。現にほら、コイツは生きている。動ける状態じゃないけどな。」
ここで漸く奴の足元に転がっている物が人間であることに気付いた。四肢は胴と切り離され、無惨に床に転がっていた。傷口は鋭利な物で斬られたかのように滑らかな断面で、血はどういう訳か今は流れていない様だった。これも恐らく奴の本の中にある能力なのだろう。胴と頭だけの男は、苦痛と恐怖をその顔に刻み絶望の中、小さく胸を上下に動かすしていたら。
「俺が何のためにお前を生かしていると思う。」
奴は男の髪を掴み瞳をのぞき込んだ。男はヒッ、と小さな悲鳴をあげ、ガタガタと震え出す。見開かれた目からは大量の涙が溢れ、血で濡れた顔と合わさり酷いものだった。
「お、俺は…!雇わ、れたん…だッ!嫌だッ、死にた…くないッ、殺さないでッごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいッ」
「へぇ、で?雇い主は誰だ?」
「…コイツではなかったか。」
緋の目の取り引きをした男の写真を、泣き叫ぶ男に見せた。すると案の定想定した答えが返ってきた。
「そうッコイツだッ、答えた…だ…ろ?助けてくれッお願いだ、何でもするからッ」
やはりそうか。恐らく油断した隙を狙って緋の目を回収する算段だったのだろう。あの時、私は油断していた。奴が居なかったら容易く殺されていただろう。最悪の事態を想像して背中に冷たい物が伝う。チラリと奴の表情を伺うと、冷めた眼差しで男を見下ろしていた。
「協力どうも。向こうでお前の仲間が待ってるぞ?」
言葉の意味を理解した男は、先程よりも声量を大きくして叫んでいる。
「ちゃんと答えたのにい”い”い”い”ッ!殺してやるッ殺してやるう”う”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”」
手足をばたつかせる動作をするが、男に動かせる手足はなく無駄な抵抗に終わる。その様子を奴は鼻で笑い、持っていた本を閉じる。この本を閉じれば念が消える。男にとってそれは死のカウントダウンだった。
「やめてくれぇぇぇぁああぁあぁあああぁあぁぁああぁあぁあぁああぁぁああぁあぁ」
その刹那、男の傷口から血潮が吹き出した。直ぐにこの男は失血性ショックで死ぬだろう。しかし、即死ではない分、じわじわ襲いかかる死の恐怖に蝕まれながら生命活動を停止させるのだろう。普通に死ぬよりそれは大いなる苦痛を味わう事になる。
「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない”い”い”い”い”い”い”ッ」
その声に私は耳を塞ぎ蹲ってしまった。もうこれ以上は聞きたくなかった。頭がおかしくなりそうだった。頭から何かが男から私を隠すように被せられた。血なまぐさくて、けれどどこか落ち着く香りに包まれて意識を手放した。
目を覚ますと声は聞こえなくなっていた。あれは夢だったのではないか、と考えたが直ぐにそれが現実であった事を理解することになる。意識を失う前と同様に、赤に彩られた凄惨な部屋の中で、吐き気を催す血の匂い。それら全てが現実であることを物語っていた。当たりを見回せば、直ぐに探していた男が見つかった。奴は、ベッドのへりに座り優雅に読書を楽しんでいた。
「…この状況でよく本が読めるな。」
「起きたのか。別に俺にとってはこの光景なんて日常だったからな、今更何とも思わないさ。」
「そうか。」
もはや噛み付く力も湧かず、私は小さく相づちを打った。この部屋はどうするべきなのか、と働かない頭で考えてみる。が、まともな答えなど出るわけが無い。今日は沢山の事がありすぎて疲れた。もう何もしたくなかった。
「…この部屋はどうする。」
「そのままでいいだろ。オーナーに金でも握らせれば黙ってる筈だ。この街はそういう所だからな。お前は寝てて良い、片付けは俺がやっておくから。」
本当に大丈夫なのだろうか、と一抹の不安が頭をよぎる。寝ている間に、私にとって不利な状況に事が動くかもしれないし、 何より、やつの目の前で無防備な状態を晒したくなかった。気を失っていた事に関しては不可抗力だから問題ないと自分に言い聞かせる。しかし、指一つ動かす力も意識も薄れている状況で、奴の申し出が非常に有難い事も事実で。私は暫く考えた後、睡眠を摂ることにした。体も精神もボロボロだった。
「…あとは頼んだ。」
素直に言うことに対して私のプライドが酷く傷付く気がして、発された声は小さかった。それでも奴には届いていたようで、私の方へと目線を向けた。その視線がなんだかむず痒く感じる。とうとう耐えられなくなった私は、先程被せられた布を頭から被ったのだが、布の正体に気がついて思いっきり投げた。最初に奴と話していた時に羽織っていた黒い外套が、今の奴にはない。それはつまり、何処かに置いたと言うことで。意識を取り戻し辺りを見回した時、外套を目で確認出来なかった。ならば何処へ?そう、私の上に被さっていた布こそが奴の外套だったという訳だ。…意識を失う前、私を何を思った?と思い返して顔に熱が集まる感覚を覚えた。奴の匂いを落ち着くなどと思ってしまった。人生最大の汚点だと頭を抱える。
「…お前、さっきから大丈夫か?疲れすぎて頭がおかしくなった様だな。」
「んなッ、黙れ!貴様のせいだ!」
「あまり怒るな、早死するぞ。」
言い返そうとするが、疲れが限界値に達したようで瞼が重くなる。口も思うように動かなくなってきた。それでも奴にそんな姿を晒したくなくて、最後の悪足掻きで睨みつける。
「早く寝ろ、次に目を覚ました時には終わってるから。」
最後の方など、私の耳には届いていなかった。霞みがかった視界の中で、奴は壊れ物を扱うような、そんな表情をしていた気がした。