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【前回までのあらすじ】
児童養護施設で暮らす元貴は、日々辛い日々を過ごしていた。そんな時、幼い頃最も心を開いていた先生である、藤澤に偶然再会し、週に三回会う約束をする。
ある日、フラフラと夜道を彷徨っていたところ偶然藤澤と遭遇した。そのまま二人は元貴の暮らす施設に戻ることになった。
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玄関のインターホンを押すと、数秒の静寂のあと、家の中がひっくり返ったような騒がしい足音が聞こえてきた。
「やっと帰ってきた、なにしてたの!!」
ドアが開くと同時に、鼓膜を突き刺すような怒鳴り声が飛んでくる。現れた職員の目には元貴を心配しているというより、自分の管理責任を問われることはなくなった安心感が垣間見えた。
「…ごめんなさい」
元貴は、その声を聞いた瞬間に心に分厚い膜を張った。
思考を止め、感情のスイッチを切る。目の前の大人の怒声が、ただのノイズとして鼓膜を通り抜けていくように、意識を体から遠ざける。
こうしていれば、何を言われても怖くない。何をされても、それは自分のことではないように思えるから。
いつもの、自分を守るための儀式。
元貴が瞳の光を消して、深い意識の底へ沈もうとした、その時だった。
「お久しぶりです、水谷さん。覚えてらっしゃいますか」
真横から、場にそぐわないほど穏やかで温かい声が割って入った。水谷は、元貴の背後に大人がいることにようやく気づき、大きく目を見開く。
「え! 藤澤さんじゃないですか!なんで!?」
さっきまでの猛獣のような勢いが嘘のように、水谷の声がワントーン上がった。かつての同僚であり、園を去る時も慕われていた藤澤の登場に、彼女の顔には困惑と懐かしさが混ざり合う。
「すみません、学校帰りの元貴と会って話し込んじゃって。ついでに買い物まで手伝ってもらっちゃったんですよ。それでこんな時間に……本当にすみません」
藤澤は申し訳なさそうに眉を下げて頭を下げた。そして、「ほら」と優しく元貴の背中に触れる。その手の温もりが、解離しかけていた元貴の意識を無理やり現実に引き戻した。
水谷の視線が、元貴の手元にある袋に向く。牛乳パックの角が透けて見えるその袋を見て、彼女の肩の力が目に見えて抜けていった。
「あぁ……そうだったんですね。でも連絡は入れてくださいよー、心配しますから」
水谷は苦笑いを浮かべながら、元貴の肩を軽く叩いた。その手には、さっきまでの殺気はなくなっていた。
背後で重い扉が閉まる音が響く。外の冷たい空気と先ほどまでの温かい雰囲気が、その音と共に遮断された。
「…理由があるなら早く言いなさいよ。全く人騒がせなんだから」
水谷は呆れたように言いながら、元貴の背中を強引に押し、自室へと促した。そして鼻歌混じりに他の職員へ「藤澤さんがいたのよ〜」と報告しに行った。
誰にも見つからないように、静かに自室へと続く階段を登る。すれ違う子供たちが、「あ、帰ってきた」と小声で囁き合う。
歩きながら、元貴は自分の手のひらを見つめた。さっきまで袋の重みが食い込んでいた指先に、まだ赤い線が残っている。その痕が、藤澤と一緒に歩いた夜道が現実だったことを証明していた。
(……助かったんだ、僕)
いつもなら、今頃は薄暗い事務室に立たされ、職員たちの冷たい視線に晒されながら、何時間も説教を受けていたはずだ。あるいは、夕食を抜きにされていたかもしれない。
藤澤のついた嘘は、あまりにも優しく、あまりにも元貴にはもったいない気がした。
部屋に入り、自分のベッドに深く腰掛ける。
消灯時間までのわずかな自由時間。相部屋の奴は友だちのところに行っているのか、部屋には静寂が満ちている。ベッドの横の壁にそっと背中を預けた。
「……僕、まだ生きてる、」
小さく、独り言が漏れた。
「消えたい」という言葉が、呪文のように頭の中を支配していた数時間前。あの瞬間は確実に存在した。それなのに、今は先生のおかげでその気持ちが薄れている。
藤澤の優しさは、元貴にとって劇薬のようなものだった。
触れれば温かいけれど、その温かさを知ってしまえば、今までの「一人で耐える」という生き方が出来なくなってしまう。
それが、どうしようもなく怖い。
元貴は布団にくるまったまま、目を閉じた。
朝の光は、容赦なく元貴の網膜を刺した。
期待と緊張が入り混じった、経験したことのない感情が、一晩中彼の内臓を掻き回していた。嬉しい。それなのに、その「嬉しさ」が元貴にとっては刺激が強すぎた。長年、恐怖心と警戒心という泥水だけで満たされていた胃袋が、藤澤がくれた温かさという毒を拒絶するように、激しく痙攣を始めた。
「……っ」
洗面台に辿り着く前に、猛烈な吐き気が喉元までせり上がった。 胃のあたりを強く押さえ、ふらふらと廊下へ出る。朝食の時間は、もう始まっている。リビングから漂ってくる、安っぽい出汁と炊きたてのご飯の匂い。いつもなら無機質に感じるその匂いが、今は耐え難い悪臭のように鼻を突いた。
「遅刻するよ。早く食べな」
職員から渡されたトレイを無造作に置く。
震える手で箸を持った。何かを胃に入れなければ、動けなくなる。先生のところへ行く体力が持たない。そう思って、冷めた味噌汁を一口、無理やり口に含んだ。
その瞬間、胃がひっくり返った。
「おえ……っ!!」
堪えきれず、元貴は椅子を蹴るようにして立ち上がった。
口元を片手で押さえ、必死にトイレへと走る。背後で「汚ねぇ!」「あいつ吐いた!気持ち悪っ」という嘲笑が波のように広がっていくのがわかった。 トイレの個室に駆け込み、鍵をかけるのと同時に、激しい逆流が襲った。
わずかな固形物と、酸っぱい胃液が、喉を焼くような感覚と共に吐き出される。
「はぁ、っ、……げほっ、ごほっ……!」
涙で視界が歪む。嘔吐の衝撃で、壁に打ち付けた額の傷がズキズキと脈打ち熱くなる。
胃の中はもう空っぽなのに、痙攣は止まらない。苦い胆汁を吐き出しながら、元貴は便器にしがみついた。
(なんで……嬉しいのに。楽しみなのに……)
身体が、「外」からによる変化を拒絶している。
自分のような日陰の存在が、あんな眩しい約束を持っていいはずがないと、細胞のひとつひとつが拒絶反応を起こしているようだった。
「元貴! 気持ち悪いの!?開けなさい!」
個室のドアを、職員が激しく叩く。
「……ごめんなさ、いま、でるから、」
元貴は震える手で水を流し、口をゆすいだ。
鏡に映った自分の顔は、土気色を通り越して白に近かった。目の周りは赤く腫れ、唇はカサカサに乾いている。
ドアを開けると、仁王立ちした職員が鼻を摘まんで立っていた。
「昨日あんなに遅く帰ってきたから体調崩すんだよ。さっさと片付けて、学校に行きなさい」
「……はい」
謝罪の言葉さえ、声にならない。
食堂に戻ると、元貴が座っていた周辺には誰もいなかった。床には、彼がこぼした味噌汁の跡が、まるで汚物のように惨めに広がっている。
子供たちの冷ややかな視線が、針のように全身に刺さる。
「吐いたんだってよ」
「汚ぇ」
「病気じゃね?」
隠そうともしないひそひそ話が、元貴の心をズタズタに切り裂いていく。
黙って自分の荷物をまとめ、逃げるように玄関へ向かった。 胃の奥はまだ熱く、歩くたびに不快な震えが全身を走る。
それでも、彼は学校へ行かなければならなかった。
学校が終われば、あの「太陽の園」がある。
そこへ行けば、先生がいる。
(吐いたこと……言っちゃダメだ。先生が困るから。汚いって思われるから)
元貴は、酸っぱい匂いが残る服の袖で涙を拭った。
心は「行きたい」と叫んでいるのに、身体は「お前には無理だ」と拒絶する。
そんな凄惨な矛盾を抱えたまま、元貴はフラフラと、眩しすぎる朝日の中へと足を踏み出した。
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めちゃくちゃ更新遅くなり申し訳ないです!!
いつも読んでくださりありがとうございます!
初めて読む方も、何回も読み返していいねしてくださる方も!!
とても嬉しいです!ありがとうございます!!
コメント
9件
更新待ってました!!ありがとうございます😭 今回も、最高ですね…! 短編の方から読んでいますが、あんなに純粋で可愛かった元貴くんがこんな扱い受けてるのが悔しいですっ…( ᷄ᾥ ᷅ ) ハッピーエンドでありますように…🙏 続き待ってます!ひよりさんのペースで投稿続けてください!
更新ありがとうございます!最高でした!
待ってました!更新ありがとうございます。元貴くんに光を当てて下さったら有難いです。もう、元貴くん不敏で可哀想。やはり元貴くんには藤沢先生が必要だなって思いました。