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「昨日まで日常だったグラウンドは、今日から『戦場』に変わった」
突如として世界を覆った、超次元的サッカー現象。
物理法則を無視した威力と、まるで必殺技のような軌道を描くボールが、この国の常識を塗り替えた。
日本政府は、この新たな力を制御し、未来の防衛力を育成するという名目で、全国の高校生による祭典――『フットボールフロンティア(FF)』の開催を宣言した。
しかし、その裏側にあるのは、若者たちを競わせる国家レベルの選別だ。
北の地、旭川。
雪に閉ざされた氷晶学園で、一人の男が立ち上がる。
生徒会長であり、誰よりも不器用で、誰よりも真っ直ぐに「筋」を通す男――函城天惺。
彼は知っている。この理不尽な大会の裏側で、何が起きようとしているのかを。
彼には見える。自分の手でこの状況を覆すための、唯一無二の戦術が。
「僕たちがやることは一つだ。この冷え切った日常を、僕たちのサッカーで熱く塗り替える。……それが、この学園を守る『筋』というものだ」
孤立を恐れず、しかし確かな信頼を求めて。
函城天惺による、氷晶イレブン結成の幕がいま、静かに、そして激しく上がった。
ストーブの暖かさが背中を刺す中、函城は机に広げたノートを睨みつけていた。
そこには『フットボールフロンティア』の出場校データが所狭しと書き込まれている。
「……計算上は勝てる。どのデータを見ても、この布陣なら勝率は7割を超えるはずだ」
独りごちる函城の野太い声に、窓際で厚手のダウンジャケットに身を包んだまま文庫本を読んでいた顧問、北村水音が、ページをめくる手を止めずに肩をすくめる。
「確率なんてものは、所詮『過去の積み重ね』に過ぎないよ、函城。イレブンは数学の問題じゃないんだからさ」
ネックウォーマー越しに、くぐもった声が響いた。
「過去のデータがなければ、未来の戦術も組めない。北村先生、あなたがさっき『練習の質が低い』と指摘したから、全選手の身体能力データを再計算したんです。これを見れば、彼らが勝つための最適解がわかります」
函城は自信に満ちた表情でノートを差し出す。
しかし、北村はゴーグルを微かにずらし、マグカップから立ち上る湯気を指でなぞっただけだった。
「最適解、ねえ。じゃあ聞くけど、お前がその『最適解』で導き出したサッカー部は、今、氷晶の看板を背負えるくらい、実力があると信じているのかい?」
函城の太い眉が微かに動く。その指摘は、彼が一番触れられたくない核心だった。
「……実力と勝利は別物です。まずは俺が背中で語り、絆を示せば、彼らも分かってくれる」
そこへ、部屋の隅で書類を整理していた副会長、矢吹史恩が、眼鏡のブリッジを押し上げながら冷めた声で割り込む。
「絆、か。会長、あんたの計算式には『人間の感情』という変数が常に欠けているよ。彼らがついてくるのは計算じゃない、信じられる理由だよ。今の君に、それを提示できるのかい?」
史恩の透き通るような瞳は、函城の焦りを見抜いていた。
「その通りだ。お前はね、計算通りに世界が動くと思っている。だが現実は、計算外の感情が雪崩のように押し寄せてくるものさ。今日の昼休み、また誰かに安請け合いして、除雪ボランティアの段取りを引き受けただろ?」
北村の言葉に、函城は言葉に詰まる。
「……俺は、困っている生徒を放っておけないだけです。それが生徒会長としての筋です」
「それが仇になるのがお前の運勢さ。……ほら」
北村は防寒具のポケットから一枚の紙を投げた。それは、学園が把握している「特待生候補」のリストだ。その中には、今回のFFの裏側で不穏な動きを見せている要注意人物の名前が赤字で記されていた。
「これを見て、お前の『計算』にノイズを入れておけ。勝つために必要なのは、データじゃない。……お前が信じたいと思う相手を見つける『目』だよ。……ホワイトアウトで見失わないようにな」
北村はコーヒーを一口飲み、立ち上がる。
「今日は帰れ。明日の朝、グラウンドでまたお前の無骨な顔を見る。……雪が深くなる前にね」
「……先生、ありがとうございました」
函城が小さく呟くと、北村は振り返らずに手を振って部屋を出て行った。
静寂に戻った生徒会室。函城はノートを閉じ、窓の外に広がる旭川の夜景を見つめる。街の灯りが、雪に反射して星のように輝いていた。
「……裏切りなんて、計算に入れてなかったな」
彼は小さく笑みを浮かべ、再びペンを走らせ始めた。
翌日、放課後の静寂を切り裂くように、生徒会室の扉が勢いよく開いた。
現れたのは、ゴーグルまで装着した完全防寒スタイルの北村。しかし、その手には一枚の、学園長公印が押された「緊急通達書」が握られていた。
「おいおい、函城。お前にとっておきの『お仕事』が回ってきたぜ」
函城は資料から目を上げず、事務的に返す。
「……予算の承認なら、生徒会規定に従って手続きしてください。今はFFのシミュレーションで忙しいんです」
「残念ながら、今回はそんな堅苦しい手続きは無しだ。校長がな、急に『我が校もフットボールフロンティアに出場する』と決めちまったんだよ」
函城のペンが止まった。
「……は? 我が校が、ですか? サッカー部はまだ公式戦のレベルに……」
北村はニヤリと笑い、通達書を函城のデスクに叩きつけた。
「条件はこうだ。キャプテンはお前が務めること。そして、チームは最大16名。メンバーは――大半を『サッカー部未所属』の生徒から選べ、だ」
函城は愕然とし、史恩は静かに愛用の眼鏡拭きを置いた。
「サッカー未経験の素人だけで、あの超次元サッカーを? 校長は正気ですか。俺をキャプテンに据えて、フィールド全体に筋を通せと?」
「さあな。だが一つだけ言えるのは、校長はお前の『頑固さ』を、この祭典で試そうとしているのかもな」
函城は立ち上がり、窓の外の雪原を見つめた。
16人。ほとんどが素人。計算上、勝利の確率は0%に近い。いや、マイナスかもしれない。
しかし――。
「……面白い。計算が狂うなら、最初から書き換えるまでです」
函城の口元が、闘志に満ちた弧を描く。
「16人の『未所属』か……。どうせ集めるなら、俺の計算をいい意味で裏切ってくれる、筋の通った奴らを選んでやりますよ」
史恩は溜息をつきながらも、眼鏡をかけ直して不敵に微笑んだ。
「……まぁ、穏便にいくのは諦めましょう。会長がそこまで言うなら、僕も付き合いますよ。あなたの計算が崩壊する瞬間を、特等席で見守るのが副会長の役目ですからね」
「へえ、強気だな。で、誰から声をかけるんだい?」
北村の問いに、函城は生徒名簿の山をざっと確認し、ある一人の名前に指を止めた。
「……まずは、この『一番の問題児』からですよ。俺の理論に、最も大きなノイズを叩き込んでくれそうな奴をね」
旭川の厳しい冬の風が、グラウンドの乾いた土を撫でるように吹き抜ける。
放課後、運動部の喧騒が響く中、函城は一際激しい音が鳴り続けるバスケットコートの脇で足を止めた。
そこでは、一人の女子生徒が男子部員を相手に、猛烈な勢いでルーズボールに飛び込んでいた。
「――そのステップ、右膝への負荷が計算の許容値を越えているぞ」
函城の野太い声に、真鍋純永の動きがぴたりと止まった。
激しい呼吸を整えながら、彼女はバサリと短い黒髪を振り払い、函城を不敵に見据えた。
「生徒会長のお出まし? 悪いけど、今は『最高にノッてる』とこなんだ。書類の不備なら後にしてよ」
「書類なら矢吹に任せている。俺が来た理由は一つだ。真鍋、お前を『氷晶イレブン』に引き抜きに来た」
真鍋は一瞬呆気にとられた後、お腹を抱えて笑い出した。
「ははっ! サッカー? 私が? 会長、あのアホみたいな『超次元サッカー』の噂、本気で信じてるわけ? バスケ部でも浮いてる私を、そんな場所に誘うなんて……正気?」
函城は無言で「緊急通達書」を真鍋の目の前に突きつけた。そこには、生徒会主導によるFF出場と、彼女の名前が記された候補者リストがあった。
「これは『お遊び』じゃない。俺たちがこの理不尽な世界で筋を通すための、唯一の戦場だ。真鍋、お前は何をされても、何度倒されても立ち上がる。その『異常なまでの不屈』……僕の計算にはない、最大級のノイズだ。それを、この退屈な日常で腐らせておく気か?」
「……ノイズ、ね」
真鍋は立ち上がり、函城の鼻先まで歩み寄る。
180cmを超える函城に対しても、172cmの彼女は一歩も引かない。その瞳には、バスケ部の枠に収まりきらない野生の熱が宿っていた。
「私はね、一番激しい場所じゃなきゃ生きてる心地がしないんだよ。そのサッカーとかいう戦場に、私を満足させてくれる『痛み』はあるわけ?」
「安心しろ。俺の守るゴールマウスは、世界で一番過酷な場所になる。お前を一人になどしない――お前と俺で、この絶望的な戦いを塗り替えるんだ。計算は終わっている。お前の『不滅』があれば、勝率は格段に跳ね上がる」
「……随分とデカい口を叩くじゃない。筋を通すってのは、そういうこと?」
真鍋は不敵に笑うと、握りしめていたバスケットボールを遠くのゴールへ放り投げた。
ボールは綺麗な放物線を描き、吸い込まれるようにネットを揺らす。
「いいよ、乗ってあげる。その計算、私がめちゃくちゃにしてあげるから。覚悟しなよ、会長様」
雪混じりの風の中、氷晶イレブン最初の「ノイズ」が加わった。
函城の眼鏡の奥で、計算式が激しく書き換えられていく。
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龍