コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「美央さーん!!」
新型のエンジンオイルのポップをショールームに貼っていた小口美央を、カウンターから香苗が呼ぶ。
「陣町の鈴木さんからお電話です。なんかエンジンがかからなくなったって」
美央は慌ててカウンターに回った。
「もしもし?あ、お電話代わりました、小口です。それってハンドルロックが掛かってるんじゃないですか?ハンドル回ります?
ああ、だと、ブレーキを踏みながら、ハンドルを回そうと力を入れながら、エンジンキーを回してみてください。
え、できない?」
美央は汗だくになりながら車と格闘しているのであろう70代の鈴木の顔を想像して、笑った。
「わかりました。誰か向かわせるから待ってて下さいね」
そう言って電話を切ると、美央はカウンターをでて、ショールームを突っ切り、ピットへの出入口ドアを開けた。
そして6レーンあるピットに向かって声の限り叫んだ。
「瑛士ー!!いるー?」
第3ピットから迷惑そうに覗いた顔に、美央は笑いながら言った。
「陣町の鈴木様の家に向かって。大至急!」
――あの日。
秋元家が爆発し、全焼したあの日。
駆け付けた5台の消防車に鎮火された秋元家の地下から、一酸化炭素中毒で瀕死の状態だった男が救出された。
その後の調査で男が行方不明になっていた吉良瑛士であるとわかった。
生死を彷徨っている彼に初めて対峙した時には、秋元裕孝そっくりに整形された顔に、身の毛もよだつ思いをしたが、三日後、目を覚ました彼を見たら、生きていることに喜びしか感じなかった。
彼は驚くべきことに、4ヶ月もの間手錠で手足を繋がれ、地下室に監禁されていたという。
彼はその後、順調に回復し、仕事にも復帰した。
このショッキングなニュースが全国的に放送され大騒ぎになると、同情かそれとも冷やかしか、小口自動車への入庫予約が増えた。
てんてこ舞いの忙しさに、病み上がりの彼にも責任をとらせ、休み返上で働いてもらっている。
監禁されていた4ヶ月間のこと、そしてその事件に関わっていた三人の女性のことについては、彼は美央に話そうとしなかった。
しかしそのうちの一人、唯一の生存者である坂本麗子が、ホームレスの男性3人を殺害した罪で裁かれ、死刑が執行されたその日だけは、空を見上げ、物思いに耽っていたようだった。
初めこそ慣れなかった彼の容姿にもだいぶ親しみが湧くようになってきた。
ただきつい目つきだけは、元に戻ってきた気がする。
「行ってらっしゃい!」
社用車に乗り込む彼に手を上げる。
彼も少し照れくさそうに頷く。
その左手の薬指には、
シルバーのリングが光っていた。
【完】