短い話置き場

「海には帰らない」

🟦🏺

「おはようございます、らだお出勤しま～す」

青井が無線に挨拶をすればコール&レスポンスのように同僚たちから挨拶が返ってくる。過酷な事件対応の合間でもその温かなやり取りは心にしみる。

今日も決して楽な日ではないだろうけれど、気の知れた仲間たちとともに行くのならきっと楽しいだろう。そんなことを思っていると、無線の一覧につぼ浦の名前がぽんと現れる。だがいくら待ってもお馴染みのオンデューティーが聞こえてこない。

『つぼ浦～？』

まあそんな日もあるかと思いつつ、少し気になって無線に問いかけるが返事がない。

だんだん嫌な予感がしてきて青井はスマホを取り出す。電話をかけると1コールで出た。しかしいくら声をかけても返答がない。

これは流石におかしい。マップを見ても不審な位置に警官のGPSはない。青井は焦燥を感じつつ、もしかしての気持ちを抱えていつもつぼ浦が寝ている2階の休憩所に向かった。

幸いにも予想は当たり、そこにはつぼ浦と成瀬がいた。青井を見つけてつぼ浦はソファーからのっそりと立ち上がる。

「ちょっとどうしたの、電話したのに」

「らだおナイス、いいときに来たな」

成瀬は安堵のため息をつく。後ろのつぼ浦が、状況が理解できない青井に向かってなにやら口をパクパクさせている。

「なに？死んだ魚のマネ？」

「声が出ないらしいんすよ、起きたら突然」

成瀬に指をさされ、つぼ浦は大きく頷いている。青井は思わず怪訝な顔になるが、その必死そうな顔がそれが真実であると後押ししている。

「え、歪みかなぁ？市には言った？」

「なんかミュート解除ができないっぽくて、……らだお、ミュートってなんだ」

「俺に聞かないで、そういうのつぼ浦担当だから」

触れてはいけない剣呑なやり取りのせいで一瞬不穏な静寂が訪れる。

「困ったね、早く治るといいけど」

「そう、困ってたんだよ！さすがらだお、話が早い」

「は？」

「お前ならわかるんじゃね？つぼ浦さんが何言いたいのか。毎回スマホに字を打つのも大変だし」

「口の動きでわかるもんかね」

「やってみなきゃわからんっしょ。つぼ浦さん、なんか言いたいことあります？」

二人に見つめられ、困惑しながらもつぼ浦はなるべく大げさに口を動かして声にならない声で言う。二人はそれをじっと見つめる。

「……カブトムシ食べたい？」

「……3億円あげたい？」

青井と成瀬の素っ頓狂な回答をつぼ浦は大きな身振りで否定する。そんなわけないだろう、と顔に書いてある。

「え、カブトムシじゃないの？クワガタだった？」

「いやそれは違う、マジで違う。つぼ浦さん、金の話っすよね？！」

なぜか解釈に確信を持っている二人に向けて手で大きくバツを作りぶんぶんと首を振る。じゃあなんだろう、と考える二人を見て、つぼ浦は埒の明かなさを感じてスマホを取り出すとメモに文字を打ち込む。

二人の前に突き出したスマホの画面には”事件対応できない”と書かれていた。

「えっ急に真面目」

「それはわかんないっすよつぼ浦さん、文脈が急すぎる」

そんなことを言われてもそれを伝えたかったのだから仕方ない。見るからにふてくされてしまったつぼ浦を前に、二人は顔を見合わせる。

「らだお、任せていいか？」

「え、まぁ……いいけど」

「頼むぞ対応課」

あっけにとられる青井の肩をぽんぽんと叩くと、要領の良いペンギンマスクの後輩はその場からサッと抜け出していった。直後に『つぼ浦さん歪みで喋れないっぽいんでらだおに任せました～』という無線が流れる。あまりにも要領と手際が良い。

残された青井は、憮然とした顔でソファーに座り直すつぼ浦を見た。

「……まあ確かに俺は誰よりお前をわかってるとは思うけどさ」

そう言われてつぼ浦は少し頬を赤らめる。こういうところはとてもわかり易いのにな、と曲がりなりにも恋人をやっている青井は思う。

「でもいつもあれこれ言ってるのお前じゃん、減らず口だし。それを理解するのかぁ……」

とりあえずつぼ浦の横に座る。つぼ浦は眉間にシワを寄せながら右手で青井を何度も指さしている。”アンタの方もだよ”と言いたいのだなと言うことはなんとなく伝わって青井は苦笑する。

「まあそうか、俺も言ってるかぁ散々、好きとか好きとか」

更にもっと顔を赤くして、つま先でトントンと床を叩いている。やり場なく両手を組んでモジモジしている姿が可愛くて、ここが警察署でなければその手を握っていたのにな、と青井は思う。

「で？なんか治るように色々やってみた？」

「でも駄目だったんだ」

「市には連絡した？」

「そっかぁ、連絡したんなら待つしかないか」

つぼ浦は一方的に投げかけられる会話の全てに強弱のついた頷きで答える。はいかいいえで回答できる質問は優秀だ。意外と会話が繋がることにつぼ浦が少し安堵し始めたとき、青井がぽつりと言った。

「お前が水掛け論とか平行線とかいつもやってるの、あれ本当に大事だったんだな」

回答を求める言葉ではなかった。ただ吐き出された感想を前に、つぼ浦は青井の横顔を見つめる。

「つぼ浦の武器じゃない、喋りって。それがないのは嫌だな」

見られていることに気づいた青井もつぼ浦を見た。青井は声に感情が乗りづらい。鬼面越しには表情はわからないが、どうせ色々考えすぎて辛気臭い顔をしているであろうことは今までの付き合いからなんとなくわかった。

「ーーーーーーｯ」

「どうしたの？」

つぼ浦がまたなにか口をパクパクさせて伝えようとしてきた。何度か繰り返すその口と表情をじっと見る。

「……ウニが食べ放題？」

確信を持って言い出した青井の肩を強めに殴ってから、つぼ浦はポチポチとスマホを触る。顔面に突きつけた画面には”埒が明かねぇな”と書いてあった。

「っは、だから文脈よ」

思わず吹き出した青井の前でつぼ浦は怒りながらなにか言っている。それが”うるせぇ”であることはすぐに分かった。

その後も何度かコミュニケーションとディスコミュニケーションを繰り返した。

相手の言いたいことが思ったよりもわからない。つぼ浦も協力してくれようとしているが、青井は自分の理解力のなさにため息をつく。

つぼ浦の表情はわかりやすい。喜怒哀楽は伝わるが、さすがに言いたい内容まではうまく拾えない。

「……魔女と契約でもしたの？」

疲れた青井がポツリと呟く。人間に恋した人魚は足を手に入れるために声と歌を犠牲にした。そんな物語を思い出した。今はつぼ浦の歌も聞けないし、実際に海に沈んでアンダー・ザ・シーになったこともある。今の状況がちらついてしまう。

「このまま海の泡になって消えたら嫌だよ」

この街はいろいろな歪みが起きる。声をなくした恋人が、このまま消えないとも限らない。

勝手に神妙な雰囲気になる青井をつぼ浦は驚いた目で見た。何を言い出すんだこいつ、と顔に書いてある。

「ーーーーーーっ」

また何か、つぼ浦が口を動かす。

「ん？」

しっかりと目を見て、もう一度同じ言葉を繰り返す。真剣な目だった。

「なに？アマゾン代引き？」

困惑で首を振り、つぼ浦はもう一度ゆっくりと口を動かす。

最初が「あ」であることはわかったが、その後がわからない。今までの会話の文脈からも予想ができない。いつになく真剣な顔をしているのでなんとかしてわかってやりたいが限界だった。

「ごめんわかんないんだけど、本当に伝えたい話ならメモに書いてくれる？」

その返答に、つぼ浦は目を丸くしてため息をついた。だが何かを考えているようですぐにスマホに手をやらない。

逡巡するつぼ浦を待っていると、警察のダウン通知とともに緊迫した無線が入ってきた。飛行場の対応をしているようだが、ロスサントスの空を守る両翼のうちの片方、成瀬が落ちたことを通知と無線が告げている。

「ちょっと状況まずそうだな、俺も一旦出るか」

今日は出勤者が少ない。つぼ浦を置いていくのも不安だが、警察業務をしないわけにもいかない。

「ごめんつぼ浦、市民対応とかもできないと思うから治るまで待ってて……」

言い終わる前に皇帝と猫マンゴーのダウン通知が入る。慌ててヘリを出すために屋上に向かおうとした青井の袖をつぼ浦が引っ張った。自分と青井を交互に指さして頷く。

「……わかった仕方ない、つぼ浦も行くか。でも無理しないでね、俺が聞いたら無線連打で答えてね」

素直にうんうんと頷く。一抹の不安はあったが警官としての業務を全うするために二人は駆け出した。

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現場対応は青井のIGLもあり、じきに収束に向かった。本気を出したつぼ浦の射撃は実は強い。しかもいつもなら大声で威嚇してくるのに、今日は声も出さずに近づいてくるのはよほど脅威だったことだろう。

犯人を護送するために青井はヘリを降ろす。前方にいるつぼ浦が青井に気づいて駆け寄ってくる。大型用の黒い服を着ていると本当の意味での特殊部隊のように見える。

「つぼ浦、このままみんな回収して護送するからヘリ乗ってて」

言いながら青井が手を振ると、駆け寄ってきたつぼ浦の顔色が突然変わる。

大きく口を動かす。”あぶない”、だと気づいたときには背後からの銃声とともにつぼ浦に強く突き飛ばされていた。

コンテナの影には銃を持つ心無きがいた。青井は身体を起こすと銃を取り出してその頭を撃ち抜き、自分を庇ってくれたつぼ浦を抱き起こす。黒い服では目立たないが腹の銃創からダラダラと血が出ている。

「嘘でしょつぼ浦、そんな……」

ちょうど射線に被っていたのだろう。声さえかけてくれれば、その声が出てさえいれば。痛みに苦しみながらも声一つ出せない恋人の手を握り、青井は無力さとこの歪みを恨んだ。

病院は先に運ばれた負傷者で大賑わいだった。松葉杖を突きながらあれこれ言い合う同僚たちの奥、つぼ浦の寝かされたベッドの横で青井は蘇生処置を待っていた。

目を覚まし、その琥珀色の目が青井を捉えた途端、にかっと顔を綻ばせる。黒い面の向こうできっと悲嘆に暮れている青井にわかるように、大きく口を動かす。それが”よかった”だと気づいて青井はため息をついた。

「……なんにもよくないよ、ああいうときは先に言…えないんだった」

それでも青井の顔を見て”よかった”を繰り返している。強い言葉をいくつか思いついたがそれを飲み込み、青井はゆっくりと首を振る。今は上官の顔をして自己犠牲や報連相のなさを責める場面ではない。

つぼ浦はまだ違和感の残る体を起こし、ベッドに腰掛ける。

「ーーーーっ」

口を動かし、そして青井のことを指差す。理解しようと顔をじっと見る青井に向けてもう一度いう。

「わかった。アオセン、であってる？」

つぼ浦はウンウンと大きく頷く。名前を呼ばれていることすら気付けなかったことにめまいさえ覚えるが、一つ言葉が繋がった。

「どうしたの」

つぼ浦はグローブを脱いで青井の右手を両手で包む。その手を胸元まで掲げ、青井の目を見ながらゆっくりと4文字を告げた。

大きくて硬い手はとても温かい。うやうやしいその仕草と、少し照れた顔。青井はいつもそうしてくれたときの状況を思い出した。

「……大好き、って言ってる？」

頬を染めたままつぼ浦は強く頷いた。普段つぼ浦は人前でこんなことをしないし、言うこともない。積極的で驚くが、おかげで行動と言葉がぴたりと繋がった。

恋人の愛を告げる言葉をきちんと読めた。それだけで冷たい胸に熱いものがこみ上げる。

何も言えないでいる青井に向けて、つぼ浦は満面の笑顔で口を開いた。

「アオセン、大好き」

大きすぎないが小さくもない声が病室に響く。たわいない話でざわついていた病室がシンと静まる。

「え？今なんて言いました？つぼ浦さん？？」

気まずい空気を成瀬の声が切り裂く。そこで初めて自分の声が他人に聞こえていることに気づいてつぼ浦はパッと手を離してうろたえる。

「えッ？！あ？声、戻っ……」

「あーーーーっとあれだよあれ、ほら、成瀬、……いくら欲しい？」

「誤魔化し方エグっ」

ドン引きしながらも「260番だぜ」という成瀬に流れるように1000万円を振り込むと、青井は頭が真っ白になっているつぼ浦の手を引いて気まずい病室を後にした。

乗ってきた警察ヘリに二人して乗り込み、二人して盛大にため息をつく。ロスサントスいち話の分かる男、成瀬を金の力で丸め込んだので厄介なことにはならないだろう。しかし面倒なことになったのは間違いない。

「……なんであのタイミングで治ったの？」

「こっちが聞きたいっすよ」

つぼ浦は久しぶりの声でチクショウやられたぜ、とぼやいている。

「なんで大好きとか言い出したの、人前なのに」

「聞こえないだろうからいいかと思って」

「そ、それはそうだけど、お前そういうことするやつじゃないやん。どしたの？」

そう言われてつぼ浦は青井のことを複雑な顔で見た。

すぐあれこれと悩むこの先輩が、案の定恋人の声が出ないこととかそのせいで怪我をしたこととか、必要以上の悲嘆を背負っていることなどわかっていた。それを少しでも緩和できるのなら、愛の言葉など安いものだ。

「まあ、どうせろくなこと考えてねぇだろうなぁって。励ましっすよ励まし」

「ぁあ？」

「あー早くいつもの服に着替えねぇと、身体が爆発しちまうなぁ」

黒い戦闘服の襟元を緩めながらつぼ浦は明後日の方向を見る。言い返したい言葉をぐっと飲み込んで、青井はヘリを出した。

夜も深まった漆黒の空がヘリを迎える。遠くに星々を抱く空を見ながら、つぼ浦はポツリと呟いた。

「……泡になるわけないじゃないっすか」

急すぎる話に青井はぎょっとしたが、前に自分が言いだした話のことだ、と気づく。

「あれは片思いで、王子がクズだったからっすよ。俺は大好きだし、アンタも俺のこと……その、好きっすよね？」

横に座るつぼ浦は照れるよりも真剣な顔をしていた。前にこの話をしたときつぼ浦はなにか言っていた。あれもきっと「アオセン大好き」だったのだろうと青井は思い至った。

つぼ浦なら魚の身体でも陸地を余裕で跳ね回るだろうし、自分もそんな人魚に会うためなら躊躇なく海に飛び込むだろう。もとより成立しなかったおとぎ話を鼻で笑い、青井は満足げに笑った。

「ああ、……それもそうだね。そもそも人魚なんてガラじゃないしね、歌はうまいけど」

「パート・オブ・ユア・ワールドも歌えるぜ」

「歌ってよ、合いの手入れたげる」

笑いながらつぼ浦は前奏から歌い始めた。青井もゲラゲラ笑いながら合いの手を入れる。ゴキゲンな二人を乗せてヘリは警察署へと飛んでいった。

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喋れなくなるのどっちにするかで死ぬほど悩んだんですが、感情の機微に疎い青井が、顔のうるさいつぼ浦を見て苦労するほうがいいかなぁと。

人魚になっちゃう系の病気、ロマンあっていいですよね、でも私の解釈だとどっちもパワーで解決しそうだったのでこの程度で。

RUST見たり中野を彷徨ったりRPL行ったりしてたらすっかり書くのが遅くなってしまいました。中野もRPLも最高でしたね！あれだけでひとネタ書きたいレベルですがネタバレになるので…

私事ですが、以降書くペースが遅くなると思います。というか10月が異常な更新頻度でした…。