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第6話 憤り
体の怒りが収まらなかった。
どれだけ叫んでも、海を何度叩いても、この怒りをどう収めればいいものか見当もつかなかった。
ただただ狂ったように、目の前で立ちすくむ父を罵倒し続けた。
「意味わかんねえよ、なんでこっちでのうのうと生きてたんだよ!!!」
(なんだよ、なんだよ、なんだよっ!!!)
苦しかったのに、心臓が痛かったのに、こいつはここで生きていた。死んでいればよかったものを。
そう思う自分も勿論居る。
けれど
(母さんの人生を狂わせたこいつを、俺は一生許さない。)
「許して欲しいんなら、黒海に帰ってこい。」
「……ああ、わかった、ノア。」
あいつは手を差し伸べた。
「帰ろう。」
差し伸べられた手は、幼い頃から見ていた父の手だ。
違うのは、ノアが大きくなったこと。
「ノア、お前、大きくなったなあ」
「……今更父親ヅラすんな」
強ばった腕で、彼はノアを優しく抱きしめた。
「償うよ、私の一生をかけて。」
「死んでもに決まってんだろゴミ野郎」
目を開けると、ノアを抱きしめていたのは父ではなかった。
「……ウィット?」
「少し亡霊に阻まれてしまいまして……少し遅れたのですが、目的の人とは会えたようでよかったです。」
「……ああ、なんにも変わってなかった。相変わらず、傲慢な奴でさ。」
ノアが立ち上がろうとすると、ウィットの強い力によって引き止められた。
「……ウィット?」
「大丈夫ですよ、焦らなくとも。時間はたっぷりありますから。」
「……それも そうだな。」
服がぐしょぐしょなのは、今となっては気にならなかった。不思議と温かいその海は、心まで癒すように感じられる。
「ー本当に、連れてきてくれてありがとう、ウィット。」
「私だって、死霊に殺されるところでした。ノアのおかげですよ。」
「……ウィットは、これからどうするんだ。俺は黒海に帰るけれど…… 」
「うーん、そうですねえ……」
「ウィットには、帰るところがあるのか。」
「……ありません。でも、作ることならできます。」
「つく、る?」
「ええ。」
ノアは優しく微笑んだウィットを見つめた。その瞳はもう、
青くはなかった
「私の帰る場所を、黒海にしてはくれませんか。」
「……ウィット?」
心臓が、どくっと脈打った。
自分がどんな顔をしているのか、不安でしょうがない。
(熱が出た時みたいだ。顔が、熱い?)
「ノア、私も連れて行ってください……いいでしょう……?」
「あ、ああ。それが……お前への礼になるのなら。」
「……ふふ、ノアは相変わらず優しいんですね。」
「それはお前の方だろう。俺の我儘に付き合ってくれたし。」
ウィットが、手を引く。
膝までだった水位が、腰に、腹に上がってきた。
その時、遠くからノアを呼ぶ声が聞こえた気がした。
白海は、ただ、ぬるい
いつの間にか、夕暮れが漆黒の瞳を照らしていた。
そしてそれを、世界で一番美しいと思ってため息をついた。
「ノア、愛してます。私のものになってくれますよね?」
遠くでノアを呼ぶ声が、叫びに変わった瞬間。
海に引き込まれた。
こんなに深いところに来ていただなんて、知らなかった。海面は既に遥か遠く、それでもウィットは手を離さない。
彼女の手は、冷たく、青い。
「ノア……私を1人にしないでください。私のために、深くまで、
堕ちて。」
(引き返そうだなんて、思えない。 )
彼女に魅入っていた。
黒海の亡霊に。
「はは、は」
目の前で連れて行かれた甥の顔は、とてつもなく穏やかで、今まで見たこともないくらいに幸せそうだった。
ずっとずっと寝ていたくせに、今朝突然立ち上がり、黒の海へ静かに向かっていった。
気づいた頃には、海の真ん中に立っていたのだ。
まだ、現実を忘れていたい。
黒の海は非常で、冷酷で、ひんやりしていた。
メイスはもう錯乱状態である。
黒の海を、叫び続けながら。
ヴェリテの黒海
完