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――私、|清中《きよなか》|琉永《るな》は『結婚前提』のお見合いをする。
ロビーから見える噴水に雨粒が落ち、丸い波紋を描いている。
大きな窓ガラスには水滴がはりつき、ホテルのロビーを行き交う人と憂鬱そうな私の顔が映っていた。
――雨が降る中のお見合いって、どうなのかな。
お見合いする前から、私の結婚は父の命令によって決まっていた。
「結婚したくない……」
私の小さく呟いた声は、ざわめきにかき消され、誰の耳にも届かない。
お見合い相手が、どんな人なのか知らないけれど、結婚するには最悪のタイミングだった。
この春、私は服飾の専門学校を卒業し、憧れだったデザイナーとして働き出したばかり。
デザイン事務所で、アルバイトをしていた私は正社員として採用され、ようやく本格的に働けるようなった。
――私がデザインした服が商品になる!
そんなワクワクした気持ちは、働いてたった二ヶ月で、父によって消された。
私の家は繊維会社を営み、祖父の代には、大きな工場をいくつも所有していたけれど、時代の流れから経営を徐々に縮小し、今は一つだけ。
そのたった一つだけ残った工場も閉鎖の危機に晒されている。
工場を救うため、父はある決断をした。
『実は借金がある。ちょうど借金を肩代わりしてくれる人が見つかった。清中繊維の社員のために、協力してくれ』
協力と言えば、聞こえがいいけど、実際は娘を人身御供にして、借金の肩代わりをしてくれた人に嫁げという命令だった。
『社員たちは、お前が小さい時から、知っている人たちばかりだ。見捨てないよな?』
夢を諦めたくなかった私は、他に方法がないのか、父に聞いた。
けれど、父は他の案を考えてくれずに、お見合いを拒んだ私を冷たい人間だとなじった。
『おいおい。社員たちの家庭がどうなってもいいっていうのか? 家を買ったばかりの社員はどうなる。まだ子供が小さい社員だっている。それをお前も知っているだろ?』
お前のせいで、みんなが不幸になる――そう言われて、私は断り切れなかった。
そして、父は私が断れないよう他にも条件を出して、脅してきたのだった……
――どこまで父は私を苦しめるのだろう。
喉の奥が痛み、涙がにじむ。
私の望みは、責められるくらい贅沢なものだったのかな。
でも、私には見捨てられなかった。
社員も妹も。
――こんな時、お母さんがいてくれたら。
そう思った瞬間、私の目の前で子供が転んだ。
「お、おかあさん……。どこぉ……」
はぐれてしまったのか、心細さから女の子は膝をついて起き上がれずにいた。
「大丈夫? 迷子?」
尋ねても泣いているだけで、わからない。
結婚式に招待されたのか、女の子はフリルとレースがついたワンピースを着ていて、とても可愛く着飾っていた。
「泣かないで。えっと……」
ハンカチを取り出して、ウサギを作る。
私の母が教えてくれたハンカチのウサギ。
「ウサギ?」
「そう。どうぞ」
ハンカチのウサギをあげると、女の子は泣き止んで立ち上がった。
落ち着いたのか、周りを大きく見渡して、笑顔になった。
「あっ! おかあさん!」
女の子は母親と思われる女性のところへ走っていった。
「ウサギ、ありがとう!」
振り返り様に、大きな声で女の子は言った。
――私はうまく笑顔が作れただろうか。
お母さんと去っていった女の子がうらやましかった。
「せめて、お母さんが生きてくれていたら……」
私の亡くなった母は、とても器用な人で、手作りのワンピースや手提げバッグ、お気に入りの人形の服を作ってくれた。
とても優しい母だった。
亡くなった母の遠い思い出にすがらなければならないほど、私は夢も希望も奪われ、未来に絶望していた。
――私があの子みたいに泣いても、誰も助けてはくれない。
自分の力でなんとかしなくちゃ――そう思った時、スマホが鳴り、画面を見ると、継母からのメッセージが入っていた。
『お見合い場所に遅れずに来るように』
たったそれだけの業務的なメッセージ。
父の後妻である継母は、血のつながらない私と妹を嫌っている。
何度も父は経営を失敗し、そのたび、継母の実家にお金を借りていて、父は継母に頭が上がらない。
そして、もう貸す金はないと言われていた。
だから、継母にとっても、私の結婚はなにがなんでもしてもらわなくてはならない結婚だった。
「結婚が決まってるなら、お見合いの必要ってあるのかな」
ため息をついた。
形だけのお見合いに、なんの意味があるっていうの?
暗い顔で、重い足をズルズルひきずり、ホテルのロビーを歩く。
そんな顔をしているのは、きっとこのホテルで私だけ。
六月のホテルはちょうど結婚式のシーズンで、結婚式に招待され、綺麗に着飾った人たちが大勢いた。
ホテルのロビー中央には大きな花瓶が置かれ、新婦のウェディングドレスを表現した白い花が、豪華に飾られている。
白百合、アルストロメリア、アンスリウムが何本も使われ、それぞれ微妙に違う白。
――同じ色でも人によって、見える色は違う。
メンタルの状況でも変わるそうだ。
私にそれを教えてくれたのは、モデルのリセ。
パリコレにも起用されるモデルのリセが、雑誌のインタビューで答えていた言葉で、リセが載っている雑誌は、なるべく購入するようにしている。
中性的なモデルのリセが持つ雰囲気は、他の誰にもない唯一のもの。
女性なのに、メンズモデルかと思うくらいのかっこよさ。
クールで堂々としているだけじゃなく、彼女の言葉には、人を動かす力がある。
――いつか、私がデザインした服を彼女に着てもらいたい。
美しい花を眺めながら、自分の夢を心の中で語る。
誰も知らない私の夢を。
「あの薔薇は緑色?」
白い花の中で、変わった色の薔薇の花を目にした。
白なのに薄緑にも見える薔薇で、珍しい薔薇の花だっただから、なんとなく覚えていた。
たしか、あの薄い緑色の薔薇の花の名は、オートクチュールと呼ぶ名だったような気がする。
ウェディングドレスになぞらえているのかもしれない。
結婚式には自分でデザインしたオートクチュールのウェディングドレスを着たい。
そんな夢も私にはあった。
でも、それはもう過去の話。
「新郎新婦が来たわよ!」
「きれーい!」
音楽とともに白い階段から現れた新郎新婦。
招待客だけでなく、ホテルに訪れた人々からも、『綺麗』『素敵』という声が聞こえてくる。
ホテルロビーの中央の大階段から、王子とお姫様のように現れた新郎新婦は、幸せそうな笑顔を浮かべていた。
「結婚、おめでとう!」
笑顔を浮かべる人たちの中で、私はこの世の終わりみたいな顔をしていた。
この落差……まさに天国と地獄。
運動会で流れる曲にあったよね、そんなタイトル。
タイトルの割にコミカルな曲だったような気がする。
天国と地獄の曲って、どんな曲だっけと、現実逃避をしなら、とぼとぼとうつむきがちに歩いた。
そして、ため息をつく――ぼすっと音がして、私の顔面を埋め尽くしたのは花だった。
花の香りが私の顔を包み込んだ。
「おい、前を見て歩け」
白いブーケが、私の顔を覆う。
花嫁が持つ大きなブーケは、薔薇や百合の花、カスミソウなどの生花で作られている。
「す、すみませ……むっ!?」
謝ろうとした私の目に、飛び込んできたのはオーダーメイドの革靴だった。
ブーケの隙間からでもわかるスーツは、縫製が見事で、生地も最高のものだと見ただけでわかる。
靴もスーツもイタリア製だろうか。
雰囲気がそう私に語りかけている!
――触りたい!
待って、私!
初対面の見知らぬ人の服をベタベタ触るなんてできない。
そんなことをしたら、ただの変態だし!
――こんな上等な物を身に付けている男の人っていったい何者!?
花に埋もれた顔を上げて、視線を向けた。
「えっ……!」
私の目の前にいたのは、超がいくつもつくイケメンだった。
イケメンというより、美人と言った方が、正しいかもしれない。
メンズモデル以上の美人な男の人。
目鼻立ちがくっきりとしていて、ハーフのような顔立ち、中性的で女性と間違えられそうだけど、挑発的な目が男っぽい。
――どうしよう、目が離せない。見惚れてしまう。
私が今まで見た男の人の中で、一番綺麗な人――ずっと見ていたかったのに、ブーケで前を隠されてしまった。
彼に私の邪な気持ちが伝わってしまったのかもしれない。
――彼に似合う服のデザインが思い浮かびそう。
せめて、あと少しだけ!
あと少しだけ、顔を見せてくれたなら!
「あのっ! 私の顔から、そのブーケをどかしてくれませんか」
「その不幸そうな顔をやめたらな。青い空をイメージして作ったワンピースが、雨色にしか見えないぞ」
「どうしてわかったんですか? このワンピースが、晴れた空を思い浮かべて作ったって……」
「伝わってきたから」
――伝わった。
胸の奥がぎゅっとなった。
雨が降っていても青空を思い出せるようにと、デザインしたワンピースの名は『ネモフィラ』。
ネモフィラの花畑を見て、夏の青い空を思い出したから、ネモフィラの青にこだわった。
青空に似た花の名のワンピースは、ブルーのシャツスリーブウエストのギャザー入りワンピースだ。
「ありがとうございます」
その言葉だけで、今の暗い気持ちが浮上してきて、顔を上げることができた。
でも、顔を見ることができたのは一瞬だけ。
「これをやる。ちょっとは、その暗い顔もマシになる」
私の顔に花嫁が持つブーケを近づけ、また顔が隠れてしまう。
「ブーケトスでもらったブーケですよね?」
「女に間違えられたんだよ。そんなことどうでもいいだろ」
それは言ってほしくなかったらしい。
私の手にブーケを持たせると、彼はこちらに背を向けてしまった。
「じゃあな」
去っていく――私がじっくり見れたのは、美人な彼の背中だけ。
身長が高く、姿勢がいいからか、歩く姿も目を引く。
顔だけじゃなくて身のこなしまで美しいなんて、無敵すぎる。
――こんなことなら、うつむいてないで、美人な彼の姿を目に焼き付けておくんだった……
がっかりしながら、手元のブーケを眺めた。
彼がくれたブーケは私の手の中で甘い香りを放ち、夢のようなひとときの名残を残す。
そのブーケの中にある白のトルコキキョウの花言葉は『思いやり』。
それを彼は知っていたかどうかはわからないけど、鉛みたいな重い気持ちが消えた。
明るい日差しに気づき、窓の外に目を向けると、さっきまで降っていた雨が止んでいた。
灰色の雲の断片が青空に押しやられ、ロビーの窓から日差しが差し込み、大理石の床を明るく照らす。
「いい香り。ブーケの中になにかある。ハンカチ?」
さっき女の子にハンカチをあげてしまったから、自分のハンカチを持っていない。
ホテル内のショップで買ったのか、真新しいハンカチが、ブーケに埋もれている。
「もしかして、泣きそうになってたの見られてた……? この色のワンピース、目立つし……」
恥ずかしいと思う反面、私のことを誰か気にかけていてくれたことが嬉しかった。
『ネモフィラ』のワンピースを着てよかった。
このワンピースを着ていたから、きっと彼は、私に声をかけてくれた。
伝わってきたという彼の言葉を頭の中で繰り返し、ブーケとハンカチを眺めると、自然に笑みがこぼれてくる。
「このワンピースを着てきてよかった」
窓に自分の姿を映し、ワンピースを眺めた。
私がデザインした『ネモフィラ』のワンピースは、生地と同色の長いリボンがポイントで、今はリボンを結んでいるけれど、カジュアルに着たい時は外せるようになっている。
ミモレ丈のスカート丈は、甘すぎない上品なワンピースだ。
素材がポリエステルなのは家でも洗えるように考慮したから。
そして、タグには私が作った証拠として、三日月のマークを入れている。
私は駆け出しデザイナーで、まだ自分のブランドはもっていないけど、タグだけは忘れない。
印を残しておきたかった。
いつかこの月が満ちて、一人前のデザイナーになれると信じたい――そんな思いから。
「まあっ!琉永さん!なんなの、その安っぽい服は!」
甲高い継母の声がロビーに響き渡った。