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ヤった途端、鞍馬からのメッセージは激減した。あの後来たLINEはと言えば、【はいどーぞ】とハメ撮りの動画や写真が送られてきたくらい。【どうも】という私の返信に対しては既読が付いただけ。
予想通りだ。鞍馬は、ヤる前はこまめに連絡するけど一度手に入った女には雑になるタイプなんだろう。ダラダラとやり取りを続けたくないこちらとしても好都合だった。
鞍馬の私への干渉が終わり、いつもと変わらない日常が続く。たまに講義を受けたり、研究室に入り浸ったり、食堂で同じ研究室の院生とランチをしたり。
京之介くんも変わらず仕事帰りは私の部屋に来てくれて、ご飯を食べて帰っていく。自分のためだけに作るより誰かが食べてくれた方がモチベが上がるので助かっている。
京之介くんに彼女の話を聞くと、あまり積極的ではないもののぽつりぽつりと話してくれた。大学生の頃から続いている彼女は束縛が激しく、女友達と遊んだだけでもすごく不機嫌になるらしい。話を聞いているだけでも京之介くんのことがとても好きなんだろうということや嫉妬深いことが窺えた。従妹の家に晩ご飯を食べに行っているという話もしているが、それに関しては久しぶりに会った家族だから納得しているとのこと。いくら従妹でも、既セクだなんて知られたら発狂するんじゃないかな……と不安になったが、お互いあの夜のことはなかったことにしているし、一度も話題に出たことはないので京之介くんは忘れているんじゃないかとすら思う。
「最近暑いな」
ベランダに私の洗濯物を干しながら、夜の蒸し暑さを感じたらしい京之介くんが言う。私がご飯を作っている間、京之介くんは洗濯物をしてくれるようになった。私の下着まで何でもない顔で干すから、変に反応したら逆に恥ずかしくなると思って耐えている。
「今日簡単な炒め物なんだけどいい?ちょっと体調悪くて」
狭いキッチンで野菜を切りながら問いかけると、京之介くんが急にこちらを振り返った。
「先言えや。体調悪いなら作らんでええよ」
「や、作れないほどの悪さじゃないっていうか……女性のデリケートな病気っていうか」
それを聞いて月のものだと思ったらしい京之介くんが「俺が作るわ」と言って代わろうとしてくるので、「痒いんだよね」と付け足した。
「痒い?」
「今日婦人科行ってきたんだけど、細菌性腟炎だって」
鞍馬とセックスをしてからしばらく外陰部に妙な掻痒感があった。放っていたけれどしばらくして痒みが強くなったのでやっぱり何かもらったか……?と怖くなり婦人科へ行くと、膣内環境の乱れによる雑菌の増殖だと診断された。後でネットで調べた確かでない情報によると、性感染症ではないけれど性交渉をきっかけとしてなる場合が多いとか、精液がアルカリ性だからpH値が崩れてなりやすいとか。精液で膣内環境が変わるのが原因としたら思い当たる節しかない……と反省した。あの絶倫野郎は何度も中に出してきた。安易に生を許した自分が悪いとしか言えない。もっと酷い病気じゃなかったからよかったものの……。別にしんどいわけではないけど、痒みというのはなかなか不快なもので、今日は研究にも集中できなかった。
「大丈夫なん」
「今はマシだし薬ももらってきてるし、痒いだけだから料理くらいはできるよ。むしろじっとしてるより動いてる方がいいかも」
洗濯物を終わらせて近付いてくる京之介くんを押し返した。そういえばこの人、ちょっと心配性だったな……。昔はそんなことなかったような気がするんだけど。いつから心配性のお兄ちゃん的な振る舞い方をするようになったんだっけと思い返していく中で、不意に京之介くんがずぶ濡れの私を抱き締めたあの夜が思い出されて黙った。
私の茶色くてフカフカのお気に入りのラグの上で胡座をかいた京之介くんは、「今日泊まってもええ?」とかなり突然なことを言い出す。
「男物の着替えないよ?」
「下着はコンビニで買うてくる。いつも思っとったんよな。瑚都ちゃん家の方が職場近いし、泊まれたら楽やなって」
便利な宿代わりにする気……!? とツっこみたくなったけど、一人よりは二人の方が寂しくないしと思って了承することにした。
「じゃあ、明日の朝までに乾くように洗濯しなきゃね」
「もう一回回すけどごめんな。……なあ」
「うん?」
「瑚都ちゃんがええんやったらしばらく泊まりたいんやけど。光熱費払うし、明日着替え持ってくる」
「え?」
何で? と聞こうとしてやめた。別に嫌なわけではないから。
「…………分かった」
少し不可解に思いながらも、京之介くんにできたばかりの野菜炒めとご飯を出した。
24インチの大して大きくないテレビで月9ドラマを観ながら晩ご飯を一緒に食べた後、京之介くんと一緒にコンビニへ向かった。待っていていいと言われたが、今日は何だか一緒に外へ出たい気分だったのだ。
外はまだ車が頻繁に走っている。外灯に照らされた歩道を京之介くんと並んで歩いた時、京之介くんの大きさを感じた。元から私よりは身長が高かったけど、改めて並ぶと大人の男の人になったなと思う。
コンビニの外では煙草を吸っているオジサンが居て、シンプルに臭いと思った。最近のコンビニは何でも売っているようで、Tシャツやタオル、靴下、肌着などの衣料品までがきちんと置いてあった。京之介くんが衣類を買っている間、私は明日の朝ご飯にしようと思って食パンと卵を買った。
「京之介くん、明日何時に起きるの?」
「七時半とか八時とかやな。会社の始業時間九時やから」
「ふーん」
じゃあ私は七時くらいに起きて朝食の準備しようかな、なんて思いながら、コンビニの袋を持ってマンションへ向かう。明日の夕方までにやらなきゃいけないパソコン作業終わってないけど、それだけ早起きすれば間に合う気がするし。
部屋に戻ってから先に京之介くんをお風呂に入らせて、京之介くんの服を洗濯した。一人ならシャワーだけ浴びる方がお得だからずっとシャワーだけで済ませていたけど、光熱費が折半になるなら明日から浴槽にお湯を溜めてもいいかもしれない。
京之介くんが出てきた後で私も入り、ドライヤーで髪を乾かして、ナイトパウダーと色付きリップを使って少しだけお化粧をした。部屋着に着替えて出た後で、ある問題に気付く。
――布団どうしよう。え、どうしよう、布団もう一式とかないですけど。
京之介くんは既に私のベッドの上でスマホを弄っている。お風呂上がりで寛いでいるその様子にはいつもとはまた違った色気があってドキッとしてしまった。……ってそうじゃなくて。
どうしていいか分からなくて勉強机の前の椅子に座り作業をしている風にパソコンを操作しながら思考を巡らせた。京之介くん当たり前のように私のベッドで寝転んでるけど、もしかして私がラグの上で寝るのかな……?
「何してん、瑚都ちゃん」
私がパソコンの画面を見つめてあれこれ考えていると、京之介くんがベッドから声をかけてきた。
「寝えへんの?」
「寝る、けど」
「電気消してこっちおいで」
京之介くんが私に向かって腕を広げてくる。これ恥ずかしがったら変な空気になるやつだと思って、「ん、分かった」なんて何でもない風にノートパソコンを閉じて、電気を消してベッドに入った。すると大きな動物を捕まえるみたいな動きで京之介くんが私を抱き締めてきた。
「…………」
心臓がうるさい。
「……京之介くん」
「うん?」
「暑い」
「クーラーの温度下げるか?」
「……私抱き枕じゃないよ」
ふ、と京之介くんが間近で笑う音がしただけで、返事は返ってこなかった。本当に何のつもり?と思うけど、寝る時は人とくっつくのが好きな人なのかもしれないとして自分の中で無理やり片付けた。しばらくして、私がうとうとし始めた頃に、京之介くんが言った。
「自分大切にしなあかんで」
こんなに色気のある声だっけ、とぼんやりまた思った。もう半分寝ていた私は答えを返せる状態ではなく、そのまま眠りについたのだった。
:
京之介くんは金曜を除く平日の夜は私の部屋に泊まりに来るようになった。金曜と土曜と日曜は彼女の家に行くらしいので、そこだけ私は一人だ。二人の夜に慣れると一人の夜が寂しくなる。
今日はその日曜の夜だった。寂しさ故に、金曜と土日は一人で外へ出かけることが多くなっている。今日も一人でバーを開拓しようと思い早めにお風呂へ入ってからすぐに外へ出た。
電車に揺られながら、今頃京之介くんは彼女と居るんだろうと想像してみた。
京之介くんの彼女のことは一度だけ見た。京之介くんの彼女がマンションの下まで迎えに来たことがあったのだ。二階のベランダから洗濯物を入れながら何となくその様子を眺めていて、まず思った一つ。
――お姉ちゃんに似ている。
細身の体型とか、顔のパーツ配置とか、唇の形が良いところとか、笑うとエクボができるところとか。仲良さそうに一緒に歩いてどこかへ行くその様は、まるでお姉ちゃんと京之介くんの失われた未来のようだった。でも僅かに声が聞こえた瞬間、あ、声は全然似てない、と思った。
そんなことを思い出しているうちに目的の祇園四条駅に到着したので電車から降りる。アメリカの禁酒法時代のスピークイージーをコンセプトとしているらしい目的のバーは、まず入り口を探すのに苦労したけど、ボトル棚を押すと店内に入れるような楽しい仕掛けも施されていて初っ端から面白かった。
メニューが多いため迷いながらも都マティーニというカクテルを頼んで、飲みながら日本人の奥さんがいるというトルコ人のオーナーと楽しくお喋りした。他の常連さんとも少し話すなどして時刻が十一時を過ぎた頃、不意にオーナーが顔を上げて笑顔になった。
「オー、クラ。ヒサシブリ」
何だろうと思ってオーナーの視線の先を振り返ると、薄暗い照明の中、見知った男が立っていた。
「………………え」
随分とお洒落な格好をした……いや、いつもお洒落な鞍馬が私を上から下まで見た後、オーナーに軽く手を振る。そして躊躇いなく私の隣のカウンター席に座りやがった。
「また会ったね、瑚都」
「知リ合イ?」
「うん、大学の友達。バーで会うのは二回目」
オーナーの問いに、鞍馬が色気のある笑みを浮かべて答える。少し離れた席にいる女性の二人客がアイドルを見るような目で浮足立っているところを見ると、鞍馬は余程美形なのだろう。
「瑚都って普通のバーにも来るんだ。お酒好きなの?」
「このご時世アルコール扱う店は開いてたり開いてなかったりだし、来れるうちに来とこうと思って」
コロナが蔓延してからというもの、緊急事態宣言が解除されたかと思えばまた時短営業が要請されることの繰り返しだ。鞍馬と春にバーで出会って以降行ける場所がなくなったというのもあり、バーへ出かけることは自粛していた。アルコールを扱う店もちゃんと来たのはしばらくぶりだ。そのしばらくぶりで、まさか鞍馬に会うとは。
「言ってくれたらオープンしてるバー教えたのに。この辺のバーなら詳しいよ、俺」
「そんなに飲み歩いてるの?」
「俺元バーテンだし、他の店の連中とも仲良かったからさ」
「バーテン……バーテンダー……?」
「うん。コロナの影響で店潰れてやめたけど、結構働いてたよ。今は貯金でどうにかしてる〜」
そういえば、鞍馬は学費を自分で払ってるとか何とか研究室で学生同士が喋っているのを聞いたような気がする。私はその会話に参加していなかったから深掘りもできなかったけど。
鞍馬はマティーニを頼み、頬杖を付いて私を覗き込む。
「ちなみにさ、一から十五で好きな数字三つ選ぶならどれ?」
「……二と五と十三?」
「さらに二つ選ぶとしたら?」
「その中で?」
「そうそう」
「二と五」
「あー違う、二、五、十三以外でってこと」
「九と十一」
「なるほどね」
鞍馬がスマホを弄りながら言った。答えさせておいて説明をする気はないらしいので、わざわざ聞くしかない。
「何の数字?」
「おうまさん。」
鞍馬が見せてきたスマホの画面に映ったページに出ているのは、“競馬”という文字。
「今ニートだから競馬で生活しようと思って。」
「競馬とか賭博じゃん……」
私の中で良いイメージがないものなので眉を寄せると、鞍馬は可笑しそうに笑って言った。
「人生だって博打じゃん」
鞍馬の価値観を図らずしも覗き見たような感覚になり、少しだけ――ほんの少しだけ、鞍馬に興味が湧いた。面白いと思ってしまったのだ。
鞍馬は他の客の中にも顔見知りが数人いるようで声をかけに立ち上がり、「今日も可愛いね」などとありきたりなセリフを言い回っていたが、最終的には私の隣の席に戻ってきた。
「あっちはいいの?」
「今日は瑚都がいい」
今日は私の気分らしい鞍馬は、私の隣で他愛のない話を始めた。
話の引き出しが多いうえに聞き上手で女の扱いがうまいのは、バーテンダーをしていた時に培ったものなのかもしれないと思った。
結局バーが閉まる一時頃までゆっくり飲んだ後店を出た私たちは、流れでこの間行ったところよりは安いラブホテルに入った。
部屋に入るなり、鞍馬はソファに寝転がって煙草を吸い始めた。
「煙草って美味しい?」
「ん?うん。吸う?」
「初めて吸うと失敗するって聞くし、いい」
「二段階に分けて吸ってるんだよね。一回口の中に入れて、その後吸い込むって感じ。慣れてないと咳き込むかも」
一度も吸ったことがない私には何が違うのか分からない説明だったが、まあ、知らずに人生を終えようと思った。体に良いもんでもないし。
それにしても、二時間ほどバーで飲んでいたのに鞍馬はけろっとしているのが不思議だった。
私は少しだけ酔っているのに。まあ、鞍馬より先に店に居て飲んでたっていうのもあるだろうけど。
「鞍はお酒強いんだね」
「今日はあんま強いの飲んでないもん。酒飲んだら勃たなくなるし。えっちできないじゃん」
ヤる気満々だな、と呆れてしまう。
「……酔ってるところちょっと見たかったのに」
欲を言うなら、いつも余裕そうにしている鞍馬が飲みすぎて吐くところが見たかった。
それくらいの痴態を私に晒してくれないと可愛げを感じられない。
私の言葉ににやりと笑った鞍馬は、
「じゃあ酔わせて」
煙草の火を消しソファから立ち上がって、元々立っていた私を隣のベッドに押し倒す。
唇が重なり、口腔内に舌が入ってきた。少しだけ煙草の味がして苦く感じたけれど、それが気にならないくらいには興奮していた。
この男とはあの夜あれだけヤったしあれで満足したはずなのに、時間が経つと身体が欲してしまっている。
「どの体位がしたい?」
「……正常位」
「あれ?正常位気持ちよくないって言ってなかったっけ」
からかうように覗き込んでくる鞍馬。
そうだよ、気持ちよくなかったよ。これまでのセックスじゃ寝バックしかそこまで気持ちよくなかった。
でも鞍馬とだとどの体位でも気持ちいい。なら、鞍馬が一番やりやすいと言っていた正常位がいい。ただそれだけのこと。
「今日はゴム付けて。安全日とは言えないから」
「え~俺はいいのに」
「……死ねよ」
「こわ。じゃあ今度安全日になったら教えてね?一日中、中に出してあげるから」
本当は膣炎にもうなりたくないだけだけど、膣炎になった程度じゃこの男がやめてくれそうにもないからそう言った。
避妊や性感染症予防に対してそんな態度で遊んでたらいつかマジで痛い目見るぞと心の中で思った。まあ別に、私には関係ないしどうでもいいけれど。この男のことも、この男が今後関わるであろう数多の女のことも。
「首輪付けていい?」
鞍馬が私を見下ろし、首筋をなぞりながら言う。首輪はやっぱり趣味なんじゃんと思いながら了承すると、紙袋から拘束具一式を取り出して付けられた。
「あー、可愛い。ペットにしたいな。前も思ったけど瑚都、首輪が異常に似合ってる」
その声は甘いのに、下半身はずぶずぶと全く甘くない動作で私の体に入ってくる。緩やかな律動を繰り返しながら、喘ぐ私を恍惚とした表情で見下ろした鞍馬は、「ねえ。俺のペットなる?」と女を蕩けさせるような囁き声で問うてきた。
「来月もまた会う?」
酒と快楽で判断能力が鈍っている今の私に、それを聞くかと思った。
「ペットにならないなら、やめるけど」
「……ッ狡い……」
「よく言われる」
「鬼……っ」
「それもよく言われるなあ」
あまりにも気持ちよすぎて枕をぎゅっと握ったのが気に食わなかったのか、私から枕を奪いどこかへ投げ捨てた鞍馬が、私の顔に顔を近付けて至近距離でもう一度聞いてくる。
「なる? ペット」
――限界だった。理性が性欲に負ける瞬間を体感する。
「なる、……ッん」
なると言った途端に鞍馬のものがより深く入ってきて全身が震えた。耐えられないくらいの快楽を与えながら深いキスをして、私が達しそうと言う時に鞍馬は、
「俺のこと好き?」
と有り得ない問いかけをした。
ぞくりと甘い寒気が襲う。逃げなければならないという気持ちになった。ただでさえセックスした相手を好きになりやすい女という生き物に、最中に「好き」を言わせる男は大概ヤバい。
「好き? なあ」
「……す、き」
落ち着け私、ただの言葉だ。この場限りの軽薄な。この“プレイ”を盛り上げるための。
「――俺も好きだよ、瑚都」
ああ、はい、ヤバい男確定。
鞍馬の香水の甘い匂いがこの場を包み込んでいる。さっきとは違ったバニラの香り。
――酔わされているのは私かもしれない。
屈辱的な気分になったけれど、それを掻き消すくらいの快楽がすぐに与えられる。
この日も、夜が明けるまで何度も抱かれることになった。
散々ヤりまくった後、コンドームって一夜でこんなに消費するもんなんだと感心してしまうくらい使用済みのゴムが乱雑に置かれているベッドの上に、息一つ荒げず座っている鞍馬と、くたくたになっている私が居た。「今日もいい写真撮れたなあ」なんて最新のスマホを持つ鞍馬がご機嫌そうに煙草をふかす。そりゃあそんなスマホじゃ画質も音質も良いでしょうよ。
「おしっこしたいんだけど。風呂でかけていい?」
思い立ったみたいに私を振り返る鞍馬。鞍馬は精液に限らずかけるのが好きだ。前回もかけられたしもう慣れた。というか、唾液も汗も尿も精液も潮も、こいつの体液はもうだいたい呑んだのだ。今更汚いもクソもない。元々こんな女ではなかったはずだし、元彼の精液がまずくて口に合わなくて以降どの男に対しても口に出されることを拒んでいたレベルなのに、鞍馬から出るものはどれも味が薄くて吐き気が起きない。精液の味が人によって違うことを私に学ばせたのは不服だが鞍馬だった。
「……分かった」
抵抗するのも面倒で素っ裸のまま起き上がる。
「汚れるから首輪外そっか」
鞍馬の手が首に伸びてきて、私の首輪に指を引っ掛ける。そして確認するように思い知らせるように少し低い声で言い聞かせてきた。
「首輪外してもお前は俺のペットだからね」
呪いをかけられたんじゃないかと思った。一瞬私の身体はもう鞍馬のもので、自分で動かすこともできないような錯覚に陥った。
:
さっとシャワーを浴びた後、お互い午後から大学なので早めにチェックアウトして、近場のマックへ向かった。朝にマックへ来るなんて久しぶりだった。エッグマックマフィンのセットを選んで、学校をサボっているらしい制服の女子高生たちの隣のテーブルに付く。コーヒー飲料大好きな鞍馬はラブホでもコーヒーばかり頼んでいたし、今もワンサイズアップで注文したアイスコーヒーを飲みながら他の女の子に連絡している。この人多分基本抱いただけの女には必要最低限のメッセージしか送らないから、相手は彼女だろう。邪魔をしないよう私もスマホを弄ろうとポケットから取り出した時、ふわりと自分からバニラっぽい甘い香りがした。思わず自分の腕や服の匂いを嗅ぐ。微かにいつもと違うような気がした。
「どーしたの?」
鞍馬がスマホから顔を上げて聞いてくるので、少しも笑わずに答えた。
「あんたの匂いうつってる」
お風呂は夜に一緒に入ったけど、朝も身体をちゃんと洗っておけばよかった。このまま院生室へ行きたくない。さすがにバレないとは思うけど細かいことに気付く人も中にはいるからなあ……。
「そりゃ、あんだけくっついてればね」
他の人にバレることなど全く心配していない様子の鞍馬が言う。呑気な男だ。
「いいじゃん。この匂い嫌い?」
「匂い自体は好きな部類だけどそうじゃなくて……鞍のやつ特徴的な匂いだから他の院生に何か言われないか心配なの。ずっと聞きたかったんだけど何の香水?」
「TomFordのタバコバニラ」
普段あまり香水を付けないから、ブランド名を聞いてもあまりピンと来なかった。でも、タバコバニラという名前はすごくその香りに合っていると思う。鞍馬の香水は最初はスパイスみたいな香りがするけど、徐々にすごく――甘くなる。
「TomFord香水好きなんだよね、俺。他のも持ってる」
「ふーん……」
スマホで検索して調べようとした時、地元の友達からメッセージが来たのでトーク画面を開いて返信した。鞍馬が楽しげに「彼氏?」と聞いてくるので、「違う。」とだけ返す。
「え〜。つかさ、彼氏の写真見せてよ。どんな人か気になる」
「許可取ってないから見せないよ」
「送るのはダメだと思うけど見せるくらいならいいでしょ」
「うーん……」
「そんな変なこと言ってる?友達同士で彼氏の写真見せてーとかって普通に言うじゃん」
「……」
「じゃー分かった、俺の写真彼氏に見せていいから」
いや、それもどうなんだろう。本当に彼氏が居たとして、どういう流れで身体の関係を持った男の写真を見せるんだ。「この人と浮気したんだ~」みたいな?イカれてるイカれてる。
「……付き合ってないんだよね」
「うん?」
「最初会った時は断る口実として彼氏いるって言ったけど、実際はただの従兄で、私は普通にフリー。嘘ついてごめん」
「へーえ。じゃあその従兄が好きなんだ、瑚都は」
食べた物が変なところに入りそうになって咳き込んだ。
「いや、好きとかじゃない」
「でも最初会った時好きな人がいるって言い方したよね?思い浮かべてたのがその従兄ってことでしょ?」
「本当に違う。」
「違う?」
「…………すごくタイプではあるけど。そういうのじゃない」
そう。恋愛対象かどうかは置いておいて、京之介くんは私にとって“すごくタイプな異性”なのだ。
「なあんだ、完璧に寝取るの楽しみだったのに。俺と定期的にヤってたら他の男とセックスできなくなってただろうし」
つまらなさそうに唇を尖らせる鞍馬。性技には確固たる自信があるようだ。
「じゃあその従兄の写真見せてよ。瑚都の好み気になる」
しつこい鞍馬に根負けしたのは私の方だった。仕方なくスマホの画像フォルダを開き、スクロールしていい感じの写真を探す。京之介くんが私の部屋で私の買ったダイソーの怪獣抱き枕を枕にして寝転がっている写真があったので、仕方なくそれを見せた。鞍馬は私からスマホを受け取って、京之介くんの写真をじっと見つめる。
「典型的な甘えたがりって感じはするなあ」
「……甘えたがり?」
「甘えたがりだけど甘えるのは下手。あと器用。できないことが基本なさそう。やればある程度は何でもできるタイプ。思ってることを口にしないから何考えてるか分からないって女によく言われてそう。人の好き嫌いはっきりしてて嫌いな人にはきつく当たりそう。イケメンだからこんな奴周りにいたら話題にはなるだろうけど、遠くから見てるだけでいいって子多いだろうな」
「……すごい。結構当たってる」と素で感心する私に、鞍馬はぶはっと吹き出した。
「彼氏できるたびに俺に報告してくる友達いるけど、俺これ五百円でやってるからね。写真見てその男とどれくらいで別れるかも予言してあげてる。『んー、八ヶ月!』とか言って。結構当たるよ」
「占い師になった方がいいんじゃない?」
「占いってか分析。写真から得られる情報から推測してるだけ」
写真見ただけで勝手な推測というか偏見の目を向けることができるんだから、普段から人を見て何かしら勝手なことを思っているんだろうな……と少し不安な気持ちになった。私はどう思われたんだろう。
「ちなみに聞きたくないけど、私と最初バーで会った時どう思った?」
「んー……場所が場所だったし、性的な好奇心旺盛なんだろうなっていうのと……これ言ったら俺が悪い男になっちゃうかな。まあ、自分の意思はあるんだろうけど、押しに弱そうとは思ったね正直。あと、警戒心強そうだから最初は優しくした方がいいかなとか」
ニコニコと的確に私のタイプを言い当てる鞍馬。私とヤるためにそこまで分析したうえで近付いてきてたのか……。絶句しながらマフィンを食べ終わると、鞍馬が指を拭きながら聞いてきた。
「どうする?俺の家この近くだし、付いてきてくれたら学校まで乗せていけるけど」
私は必要な荷物のほとんどをロッカーに入れているから帰る必要はない。「……じゃあ、お願いしようかな」と言って鞍馬に付いていった。鞍馬の家は閑静な住宅街にあり、一人暮らしというわけではなさそうだった。実家暮らしだから毎回ホテルで会うわけか、と少し納得する。
鞍馬の車に乗り込んだ時、ちょうど鞍馬のスマホに着信があった。さっき連絡していた女とは別の名前だ。鞍馬はすぐに応答する。
「ん~? どした? ……週末? いつものとこで飲んでるけど。……えーまじ?じゃあ俺も広島行こっかな。旦那は? ……へーえ、じゃあいけるじゃん」
車で。私を助手席に乗せて。他の女と通話する。全く同じようなことが以前にもあったような気がするけど、思い返すのはやめておこう。
鞍馬は通話しながらずっと私の頬をむにむにしたり、指に指を絡めたりしてくる。女の隣にいながら他の女を相手にするとか、こういうこといつもやってるんだろうなあ。これが本当の“推測”だ。
女は愛の絶対量が決まっているという話がある。100ある愛を100一人の男に捧げるか、80と20などに分けて複数の男に捧げるか。それに比べて男は愛の絶対量が決まっていない。10の愛情を際限なく色んな女にあげられる。まさに鞍馬は多分それ。同じだけの愛情を平等に与えられるから不公平感を生まず、それを都合がいいとする女にモテ、遊び人をやっていけているんだろう。
通話を終えた鞍馬は、スマホをポケットに戻して発車する。
「……人妻?」
「さっき言ってた友達。彼氏作るんだけど、作るたびに俺のこと『この人とだけは遊ぶから。それを許してくれないなら付き合わない』って彼氏に紹介する面白い子」
予想はしてたけど、“友達”ってセフレかい。
「今は子持ちバツイチと結婚してうまくいってなくて、すぐ俺に連絡来る。だからやめとけって言ったのになあ。お前の性格的に子供いたら逃げられなくなるよーって」
既婚者にも手を出していることに衝撃を受けつつも、そんな奴なら彼氏いるとか言われてもそりゃあ手を出すよね、と今になって納得した。
大学の駐車場に着き、車を止める鞍馬。前回も思ったけれど、意外にも駐車が上手い。研究棟の方へ向かう私と講義を受けに行く鞍馬とでは方向が違うのですぐに別れようとしたが、鞍馬が「まだ時間あるし自販機でなんか買ってあげる」と言ってきたので近くの自動販売機まで一緒に歩くことになった。
時間帯的にまだ授業中なので人通りは少ない。鞍馬は甘ったるそうなカフェオレを、私は綾鷹を買ってもらって飲んだ。
「あー、あっつ」
セミが騒がしいくらいに鳴いている。日差しも強く、真夏日という感じだ。
「暑いね、本当に」
熱中症にならないように水分補給しなきゃな。
「これくらい暑い日だったよね。初めて会ったの」
鞍馬の言葉に背筋が凍り付いた。
「あ、やば。もうすぐ始まる。」
固まる私を前にスマホを取り出した鞍馬が時刻を見てそう言って、カフェオレを急いで飲み干してゴミ箱に捨てた。
「また遊ぼうね、瑚都。呼んでくれたらすぐ行くから」
肩に手を置いて耳元で囁かれたその甘い言葉も、今では恐ろしい響きに聞こえた。鞍馬が去った後、ペットボトルだけを手に持ったまま、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
……暑い日?
鞍馬と初めてバーで会ったのは、春の始めだ。暑いどころかまだ肌寒かった。
他の女の子との出会いと記憶を混合させてしまっているんだろう。そう思って心を落ち着けようとした。けれど、鞍馬はバーで初めて会った時の私の印象を先程的確に答えたのだ。私との出会い方を忘れているとは到底思えない。
じりじりとした暑さが私に迫り、汗が伝って地面に落ちた。
あの日川に落ちていったあの子の顔が鮮明に頭に浮かんだのち、ゆらりゆらりと溶けて消えた。