レイに手を引かれ、寝室に入ったものの──
部屋の空気が妙に甘ったるい気がするのは、俺の気のせいじゃないはずだ。
レイは普段通りの顔をしているけど、こっちは**「推しと同じ寝室で寝る」という事実**だけで既に瀕死状態である。
「レイ……今日は本当に寝るだけだからな?」
念を押すと、レイは静かに微笑む。
「もちろんだ。……無理はさせない」
「あ、ああ、ならいいけど……」
ホッと胸を撫で下ろそうとした瞬間──
「だが、口づけくらいは問題ないだろう?」
「えっ」
その穏やかな声に、一気に眠気が吹っ飛ぶ。
ちょっ、え、なに? キス? いやいやいや、待て待て待て!
俺がパニックになっているというのに、レイは冷静そのもの。
むしろ「何を驚くことがある?」みたいな顔をしている。
「お前は俺の妻だろう……?」
「いや、それはそうだけど……いや、でも、えぇ」
必死に抵抗する俺をよそに、レイはさりげなく俺の頬に手を添える。
「そんなに力を入れなくてもいい」
「ちょ、ま……っ」
逃げようと体を反らすけど、後ろにはベッドがある。
気づけば、レイの腕に完全に包囲されていた。
「少し……久しぶりだからな」
「は!?」
ちょっと待って!久しぶりとか言わないで!? 余計緊張する……!!
けれど、そんな俺の必死な抵抗もむなしく、レイは顔を近づけてくる。
拒む暇すら与えられず、触れるか触れないかの距離でピタリと止まる。
「……カイル?」
「えっ、な、何?」
「震えている」
「震えてない……!」
むしろ動揺しすぎて、逆に硬直……いや、少し震えているかもしれん。俺。
「……俺とキスするのが嫌か?」
レイがふっと眉を下げる。
そんな顔するな!!推しの悲しそうな顔は致死量!!
「いや、その……嫌じゃないけど、心臓がヤバいんだよ!」
「それなら、尚更したほうがいい」
「えっ、なにその理論!?」
言葉の意味がまるでわからない。
「お前がどれだけ緊張しても、俺が受け止める」
そう言うと、レイは一瞬だけ優しく微笑み、次の瞬間──
ふわりと唇が触れた。
「っ……」
完全に固まる俺を見て、レイが目を細める。
「これだけで、そんなに驚くとは」
「お、お前が急に……するからだろ……!」
唇が触れた時間はほんの一瞬だったはずなのに、顔が熱い。
思わず顔を覆うけれど、レイは全く動じていない。
むしろ、落ち着いた声で囁いてくる。
「俺がお前が愛していることを忘れないでくれ……」
「忘れるわけないだろ……!」
「それなら良い」
俺の言葉を受けて、レイが軽く頷く。
すごく自然な流れでキスされたんだけど!?
推しから「当たり前」のようにキスされるの、心の準備が追いつかない……。
「さて、そろそろ休もう」
「あれっ⁈ これで終わり⁈」
思わず俺が小さく叫ぶと、レイは可笑しそうに微笑んだ。
「お前の体調が第一だと言っただろう」
「そ、そっか……」
キスだけして、そのまま普通に寝るらしい。
いや、むしろそれが一番ありがたいのかもしれないけど……心臓がバクバクして眠れそうにない。
「カイル」
レイが俺を離してベッドに横になり、静かに俺の方を見つめる。
「こっちへ」
そう言って、レイは俺のために布団を持ち上げた。
「ええ……」
さっきのキスで気持ちは完全に浮ついてるんだけど!?
でも、結局断れずに布団の中へと滑り込むしかなかった。
レイが優しく腕を回し、俺の肩を抱き寄せる。
「お前が隣にいると、安心する」
「……うん」
ふわりと漂うレイの香りが、ますます意識を持っていく。
やばい、これ、寝られる気がしない。
推しのそばで眠るって、こんなに大変なことだったんだな……。
そんなことを考えながら、俺はレイの胸元に顔をうずめた。
「おやすみ、カイル」
「……おやすみ」
レイの囁きに包まれながら、眠れない夜が静かに始まった。
※
──眠れない。
どれだけ目を閉じても、意識が妙に冴えてしまってどうにも寝つけない。
隣にレイがいる。しかもさっきキスされたばかり。
これで寝ろって方が無理がある。
レイはというと、穏やかな寝息を立てている。
俺の肩に回した腕はしっかり固定されていて、まるで俺がどこかへ行かないように抱き寄せているみたいだ。
逃げたりしないんだけどな。
心の中でこっそりツッコミを入れるけど、当然レイがそれを聞くわけもない。
ふと顔を上げると、レイの寝顔が目に入る。
普段の冷徹さが嘘みたいに柔らかくて、心臓がまた爆発しそうになる。
「……ずるいんだよな、こういうの」
俺がもぞもぞと身じろぎをすると、レイの腕が無意識に俺をさらに引き寄せた。
至近距離で顔を覗き込むような形になる。
近い!!
「ん……カイル?」
突然、レイが薄く目を開ける。
驚いて咄嗟に目をそらすも、もう遅い。
「眠れないのか?」
寝ぼけまじりの声が耳元で響く。
「い、いや!寝ようとはしてるんだけど……」
言い訳しながらも、こうして至近距離で話すだけで頭がパンクしそうになる。
「眠れないなら……どうする?」
レイがふっと微笑む。
その目がまだ眠そうなのに、なんでそんな甘い声で囁くんだよ。
「どど、どうするって……!」
「……どうしたい?」
レイは少しだけ体を起こすと、俺の髪に手を滑らせるように触れる。
「もっと……お前を落ち着かせる方法があるかもしれない」
「……レイ!?」
これ、完全にヤバいやつじゃない!?
「眠る前に、もう少し……触れてもいいか?」
「え、いや……ってかもう触れてるっ……」
レイは俺の髪を優しく指でとかすように弄びながら、俺の頬に指を落した。
先ほどのキスを思い出して、思わず視線を逸らす。
「目を逸らすな」
「……っ」
レイが俺の顎をそっと持ち上げて、強制的に目を合わせさせる。
近い近い近い!!
「……カイル」
レイがじっと俺を見つめる。
その瞳は、まるで何かを確かめるように深くて──
「……やっぱり、かわいいな」
「~~~!!?」
そんなこと言われたら、心臓が持たんわ!!
俺がじたばたしていると、レイは少しだけ口元を緩めた。
「冗談だ」
「……っ!! お前、冗談に見えないから!」
本気である。どう見ても本気である。
冗談のテンションで人をこんな状況に追い込まないでくれ……!
「カイルが可愛いのは事実だが……今夜はこのまま寝よう」
そう言って、レイは俺の額に軽く口づけると、再び横になる。
俺を抱き寄せる腕の力は緩まないままだった。
「……やっぱりずるい」
呟く俺の声は、レイの寝息にかき消される。
──そして俺は、その夜、一睡もできなかった。
……リリウム連れてくればよかったな……。
※
翌朝。
俺が朝食の席で、くあ、とあくびを漏らすと、
「眠れなかったのか?」
レイが俺の顔をじっと見つめる。
「……レイのせいだよ!!」
思わずフォークを持つ手に力が入る。
レイはしれっとしているが、俺の寝不足は完全に推しのせいである。
「隣で寝ていただけだが?」
「……いや、その“だけ”が問題だったんだよ!!」
レイはそんな俺の叫びを軽く受け流しながら、静かに微笑んだ。
「なら、今夜も一緒に眠ればいい」
「……は?」
「慣れれば、次はぐっすり眠れるだろう?」
お前、それ絶対次の夜も眠れないやつだろ!!
「レイ、お前ってやつは……!!」
「お前が可愛いせいだな」
そう言ってレイは紅茶を口に運ぶ。
完全に俺のペースが乱されているのが悔しい。
「はぁ……せめて、今夜は少し距離取らせてくれよな?」
「それじゃあ、慣れる訓練にならないだろう?まあ、考えてはおく」
絶対考えてない顔してる。
次の夜も眠れない未来がすでに見えた気がした。
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