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怪我人が運び込まれ始めた。
ゼンの率先した指示により、重症者を優先して。
診察室はあっというまに血だらけの怪我人で満杯となり、待合や通路にも人があふた。
医師は、ユリの父親、ただ一人。そしてベテラン看護師が一人、あとはお手伝いの二人がいるだけ。
これではまったく人手が足りない。
タクヤはガラスで切った手足の出血をテープで止めると、ドクターの白衣を借りて、救護を手伝った。
この惨事を前にしては、誰もが助け合う以外にない。
タクヤに本格的な医療行為はできなくても、手伝えることはいくらでもある。
運ばれてきた重傷者の中には助かる見込のない者もいた。
そのような場合は、ドクターの指示で、診察室から出され、ユリの祈りの間に移された。
祈り師による祈りには、最期の苦しみを癒す効果があったからだ。
ユリは、床に下ろされた重傷者を前にして、言葉を失った。
わずかにうめいているが、それもいつまで続くかわからない。
重症者にとって、今のたよりは、祈りしかない。
ユリはその身体の脇にひざまづき、毅然とした態度で香油を振り、祈りを始めた。
応急処置を受けて座り込む家臣たちは、タクヤを見るとつぶやいた。
「いったい、なぜこんなことに……」
タクヤは聞こえないふりをした。心の中では叫んでいた。知らねーよ、僕に聞くなよ、僕はなんにも知らないんだから!
普段は静かな診療所。
そこにこれほど多くの怪我人が運ばれてくることを、さすがにタクヤは不自然に思った。
孤島ではないのだから、重傷者は街の病院に運べばいいはず……
しかし、うずくまっている男が持っていたラジオのニュースを聞いて、やっと状況を理解した。
王宮への爆撃により、建物が崩壊し、道がふさがれてしまった。
道をなおさなければ救護車も入れない。
ラジオから聞こえるアナウンサーの声は「このたびの王宮空爆に対し、政府は緊急対応として国防軍の出動を要請しました。被災地では軍が到着次第、その指示に従って、落ち着いて行動してください」と繰り返した。
混み合っている診療所に、血に染まったコックコートの料理人が、息を切らせて入ってきた。彼自身、土ぼこりにまみれ、額から血を流し、まぶたが血糊で固まりかけていた。
しかし真のけが人はその男ではなく、彼が背負っている女性の方だった。
コックコートの男が叫んだ。
「この女、瓦礫といっしょに降ってきやがった。息はあるが、頭を打って意識がない。急いで診てくれ!」
その衣装に見覚えがあったタクヤは、通路のけが人を飛び越えて駆け寄った。
女性はだらりと両腕を垂れて、白目をむいていた。顔も半分以上どす黒い血でおおわれ、見分けがつきにくい。しかし、その緑色の衣装と銀色の髪、女性しては大柄でスラリとした手足は、まちがいない。
「メリルさん? メリルさんだよね、なんで!」
「なんでもどうしたもねえよ。医者はどこよ、医者は!」
診察室に続く廊下は、うめきながら痛みに耐えている人々でいっぱいだった。顔中にガラスの破片が刺さった人や、腕が奇妙な角度に曲がっている人ですら、命に別状がない判断され治療を後まわしにされている。
タクヤは奪うように、メリルを自らの背に譲り受けた。彼女は軽くはない女性だったはずだが、苦もなく背負ったタクヤは「すみません!」と怒鳴りながら、怪我人の隙間をぬって進んだ。「すみません! この人、診るだけでもすぐに!」
混み合った診察室で、ドクターは胸を強打した男の呼吸を確保する作業を続けていた。視線をタクヤに送り「ベッドの端に下ろして」と指示を出した。
すでに二人の男が横になっていた狭いベッドに、タクヤは後ろ向きに屈んで、メリルを腰掛けさせた。
なんとか座らせることに成功し、回り込むように彼が脇に立ったとき、よだれを垂らし前方を見つめたままの彼女の頭が、不自然な角度で斜めに倒れた。タクヤの心に槍のようなものが突き刺さった……もしもメリル自身に案内してもらって、この診療所に来ていたら? そうしていたら、今、こんな姿にはなっていなかったはず。
視界がゆがみ、ぐるぐると回る。そのまま気を失いそうになった。しかし今は全力で希望にすがる。
「ドクター、早く!」
タクヤに呼ばれ、作業を看護師に引き継いだドクターは、メリルの腕をとって脈を確認した。そしてペンライトを目に当てて、血糊で固まりかけた髪の奥をまさぐった。
「頸椎(けいつい)をやられたな。頭もか。骨が陥没しとる。これはひどい」
「助かりますよね?」
「ここでか? バカな。ムリに決まっている。息があるだけで奇跡だ。さあ、早くユリのもとへ」
「ドクター、頼みますよ!」
タクヤはふりしぼるように叫んだ。
しかし血走った眼差しのドクターは「長くは持たん。早くユリのもとへ」と冷酷に言い放った。
「そんな、ひどすぎますよ。何かないんですか。いい人なんですよ。優しくて、親切で。まじめに考えましょうよ」
しかしドクターに迷いはなかった。すぐさま次の患者の処置に移った。上半身が埃まみれの男。その赤く染まったタオルを肩から外し、わき上がる血を止めるための仮縫合を全速で行う。血圧維持のための点滴を看護師に指示した。
看護師が応えた。
「ドクター」
「なんだ!」
「点滴は、残念ですが、使い切りました。もう、ここにはありません」
看護師の悲痛な声が伝わると、ドクターはこぶしで机を強打した。
「ふざけるな!」
「ないものは、ありません」
「血圧は?」
「50……いえ、ダメです、脈がとれません……」
「助かる命も助けられないとは、ここはいったいどこの後進国だ!」
息を乱したドクターが、タクヤに視線を向けた。
「タクヤ様、悪いですが、ここはしがない診療所。わずかな応急処置しかできません。いくら、タクヤ様直々の頼みでも」
ドクターはせき払いをすると、次の瞬間には、また別の患者の治療を再開していた。
手が二つしかないことをもどかしいほどに、全力で処置に当たるドクターの気迫に圧倒され、タクヤはメリルを背負いなおした。
温かい彼女の身体を背中に感じながら、うなだれて、ユリの祈りの間に向かった。
メリルの声が、今、本当に耳元でささやかれているかのように、彼の頭に響いた。
「おはようございます」
「ご朝食の用意ができておりますよ」
「王宮のタクヤ様の寝室です、ご安心ください」
「外をごらんになりますか? いい天気ですよ」
「私メリルは、スーサリア王子タクヤ様に、この命を捧げてつくすことを、誓います」
もしも、彼が暗い地下牢で、鎖につながれ目覚ましていたら、どうだっただろう。
絶望に押しつぶされ、なにも信じられなくなっていたはず。
それに比べたら、まさに、天国だった。
メリルの、知的で、澄んだ、優しい声を聞いたからこそ、彼は生きることを肯定して、一日を始めることができた。
それが今、失われようとしていた。