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旅の移動手段が飛行機新幹線車バス… と様々ある様に、心の傷との向き合い方 も同じように多様なんでしょうね。
こんばんは。いつもお世話になっております
城二です。
ただいま、雷雨により稲光が凄まじく…
これは外に出るの危険だなという生命の危機感じております。
同時に、稲光が私の穏やかでない心持ちを体現してくれているような感覚でございます。
本日は、ザワつくことを覚える読み物を目にした為1度気持ちを落ち着けるべく執筆いたします。
おそらく、憤りを覚えている為に
やや攻撃的な文体になることは予めご容赦ください。
事の発端は、とある方がお書きになった自己啓発系の文言の書かれたブログを拝見したところから始まります。
タイトルやURLは割愛させていただきますが…
「自分自身を大切にするとはどういうことか?」
という内容での記載がございました。
読み始めから、そのブログを執筆された方は
「見聞きしたものを自分の都合のいいように解釈し、余計なものから逃げる事を『自分を大切にしている事』と思い込んでる人間がいる
それは間違いだ」
と仰りたいのが伝わりました。
ここまでは「確かに、自分を甘やかす事ばかりが正しい事では無い」という風に共感出来ました。
しかし問題はそのあと…
「自分が間違った事をしてることに気づいたならば自分を責めてせめて責め抜いて絶望しろ。
その先には必ず本物の希望があるから 」
という風に続けられていました…
これを見た瞬間「何故ここまで無責任な事が言えるのだろう?」と煮えたぎるものを感じました。
おそらく、「自分自身がより良くなる為に、日頃から反省して徳を積む様に心がけなさい」そういう意図を伝えたかったのでしょうが…
時に、自分に絶望するというのは
「自分の命を断つ悲劇」の引き金になるからです。
確かに、自分という人間がより良くなればいい
その理屈はよく分かります。
そのためには自省して、時には改善もまた必要です。
しかし、その方が文章で残した様に「自分を大切にするため」自分を省みる時に自分を責めるとしましょう…
タダでさえ気持ちが落ち込んでいる状況…
心が疲れている状況…
精神的に辛い状況で自分を責めると…
結果、自他共に責め抜かれた心は壊れてしまうんです。
怪我に例えるならば…
『深い切り傷を負っている時に「もっと痛みに耐えられる様に」と言って切り傷ごと肉を抉り取る』愚行です。
あまつさえ、終盤の方には
「やる気がない人は
そのままぬるま湯に浸かってなさい!
でもそんなあなたは自分を大切にすると言って嫌なことから逃げてるだけですよ!
そうなって欲しくないから
あなたのために怒ってるんです!」
なんて言葉を残されてました。
きっと、その方も色々と苦労され
その上で誰かの為になればと思って書かれたのでしょう…
ただ、それに対し城二は一言言わせていただきます。
『あなたはいつか、確実に言葉で人を殺します』
それが知覚できるかどうかは別として
そういう言葉を他者にぶつける人間は
誰かの命を奪う一因を担ぐことになります。
罪に問われないだけで
地獄に落ちる所業であることは
間違いありません。
加えて
希望というものを見いだせるかどうか等
自分のみにしか分からないものです。
故に …
「絶望の先には本物の希望があるなど無責任もいい所 」 です。
「ならお前はどうなんだよ城二!
人が本気になって書いた事に対し人を殺すだの愚言だのさんざん言うてめぇはどうなんだよ! 」
城二はこう考えます。
「そもそも自分を変えるなんて発想自体が間違ってる。
変わる必要など無い 」
これに尽きます。
人間、 環境次第で変わりたくなくても自然と変化していくものです。
だからこそ、変わる必要はありません。
むしろ、本当に人として良くある為には
「如何に自分を見失わないか」が大切だと考えています。
周りの環境がどれだけ厳しくとも、どれ程苦しくとも
「自分さえ見失わなければ」
どうとでもなります。
何より、どんな状況であろうと心をすり減らす真似したら見えるものも見えなくなり、考えだって荒くなります。
それでは意味がありません。
そしてこれが一番重要…
「大切にするということは労る事」
みなさんも自分をいたわってあげてください。
長い人生、ただでさえ厳しい世の中
自分自身という「イエスマン」1人くらいいていいのですから…
今日はなんだかまとまらない文章になっちゃいました…!
申し訳ない!
さて、今夜はもう遅いので日中に動く人おやすみなさい!
夜勤や夜も頑張りたい方
適度にご休憩お忘れなく!
本日もお疲れ様でした🌙
拝読心より感謝を…