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『フィルター越しの本音』
部屋に響くのは、水の滴るような音だけだった。
少し乾いた空気に、加湿器が静かに唸っている。
いるまはその部屋の隅、ソファにうずくまるように座るみことを見ていた。
スマホを握りしめた手は少し震えていて、
画面にはシクフォニの新着動画のサムネイル。
明るいサムネイル。派手な色。たくさんの笑顔。
けれど、どこを見ても、みことはそこにいなかった。
「……大丈夫か?」
静かに問いかけると、みことの肩がぴくりと揺れた。
それでも返事はない。
代わりに、小さな声が空気を震わせた。
「なぁ……俺さ、
ほんまはもう、必要ないんちゃうかなって……最近、よく思うんよ」
「……そんなわけないだろ」
「あるやろ」
ぽつり、ぽつりと、みことは言葉を落としていく。
それは、水槽の底に沈んでいく泡みたいに、どこにも届かない声だった。
「歌っても、配信しても、リスナーさんの声が遠い。
仲間の言葉も、時々うるさく感じて……
なのに、俺は笑ってんねん。作り笑いで。
だって、それが“俺”やろ? “みこと”ってキャラやろ?
ほんまの俺は、もうどこにも居らんくなったんや」
静かに、確実に、崩れていくみことの声。
いるまはその姿を見て、息を飲んだ。
昨日までの“いつも通り”が、全部嘘だったように思えて、胸が痛んだ。
「俺、たまに思うんや。
ファンの前で笑ってる自分が、一番気持ち悪いって。
応援してくれる人の言葉に返事するのがしんどいって……
あかんことやんな。でも、それが俺のほんまの声なんやと思う」
「……気づいてた」
「……え?」
「気づいてたよ。最近のお前、目が笑ってなかった。
歌にも感情がこもってなかった。
だけど、俺、見て見ぬふりしたんだよ。
“みことは大丈夫”って。勝手に思い込んで……怖かったから。
もし俺が踏み込んだら、お前を壊すんじゃないかって」
「壊れるとか、そんなのもうとっくに……」
みことが言葉を詰まらせる。
静かに、そしてゆっくりと、涙が頬を伝っていた。
「俺のこと、必要って言ってよ……なぁ、いるまくん……
俺、もう誰にも必要とされてない気がして……怖くて……
水の中に閉じ込められてるみたいで、苦しくて、でも叫ばれへん……
助けて、なんて……言えるわけないやろ……、」
震える声が、部屋を満たす。
どこにも届かない、けれど誰よりも響く声だった。
いるまは、そっとみことの横に座った。
「……お前は必要だよ、みこと」
「……ほんまに?」
「本当だ。俺は……お前が居なきゃ駄目だ。
シクフォニとしても、いるまとしても。
配信も、ステージも、家の中も、ぜんぶ。
お前がそこに居ないと、空っぽに感じる」
「嘘つきやな……優しすぎるやろ、いるまくん……
そんなこと言われたら……
俺、余計に離れられんくなるやん……」
「それでいいよ」
「……え?」
「離れられなくていい。
沈んでいくなら、俺も一緒に沈む。
でも、お前が少しでも手を伸ばすなら、
俺はその手を引っ張る。絶対に放さない。
ガラス越しでもいい。壊れててもいい。
俺は、お前の声を聴いていたいんだ」
みことの目が、また涙でにじむ。
けれどその中に、わずかに光が宿っていた。
「なぁ……俺、まだ歌っていいかな……?」
「もちろんだよ。
お前の声が好きなやつは、ここにちゃんといる。
それは、俺だよ。ずっと、お前を見てきた」
「……ありがと、いるまくん」
みことがそっと目を閉じた。
その表情は、今までのどれよりも素直で、弱くて、美しかった。
アクアリウムの中で、声が響いた。
それは確かに、水の外へ届く、みことの本当の声だった。
世界はまだ水の中かもしれない。
でも、隣にいる限り、俺たちは、溺れない。
いるみこもなかなかいいっすね…
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