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「あの……重く、ないですか?」
遠慮がちにセラフィナは聞いてきた。銀髪の少女を背負う慧太は逸らすように顔を上げた。
「いいや。重くないよ」
女性に面と向かって体重の話をするのはよくないと思う。もっとも、同い年くらいの少女一人背負って歩くことに何の負担も感じていなかったが。
慧太はペースを守り黙々と進んだ。
セラフィナは黙していたが、ふと慧太が気づいた時にはその背中で眠っていた。……よほど疲れていたのだろう。
草地を踏み、木々の生い茂る森を進む。
遠くで鳥の鳴き声、風に吹かれて揺れる枝葉の音がした。気配に注意を払うが、その心配はなかった。
しばらく歩く。夕焼け空の下、慧太は目指す集落に到着した。
ルグル村。人口およそ五十人程度の小さな村だ。
石壁が村の境界とばかりに周囲を取り囲む中、石材と木で組み上げられた建物が十数棟。慧太は頻繁にこの村を訪れているので、どこに何があるか知っていた。
同時に村人の顔もだいたい把握している。
「あ、よーへーの人」
畑仕事を手伝っていた子供だろう。十歳前後の少年少女、三人とすれ違う。
その後を、家路についている村の男ら二人が続き、慧太に会釈した。
「どうも……」
挨拶はするが、それ以上の会話はない。仕事での付き合いであり、プライベートな関係ではない。ただ村人から見ても、慧太が背負っている銀髪の少女が珍しいようで、しげしげと見られたが。
迷うことなく旅人や商人向けの宿を提供している二階建ての建物へと向かう。
ぎしっと、年季の入った扉を押し開けると、宿の主人と目が合った。
「空いてるかい?」
慧太は問うた。
恰幅のいい髭面の主人は、慧太とその背中の銀髪の少女を見やり悟ったのか、二階を指し示した。
「何か必要か?」
「大丈夫。疲れて寝てるだけだから」
慧太はセラフィナを背負ったまま、踏むたびに音を立てる階段を登った。
そのまま突き当たりの部屋へと向かい、扉を開ける。
ちらとセラフィナの顔を覗き込む。
すっかり熟睡されているようだった。小さく溜息をつき、慧太は彼女をベッドに寝かした。すやすやと眠っている麗しい銀髪の少女――
無防備にもほどがあるが、それだけ疲労の極致だったということだ。……いったい、何があったのだろうか。
ふいに、開け放たれた窓――ガラスなんて代物はこの田舎にはない――の外に気配がした。
音もなく現れたそれに、慧太は思わず口元を引きつらせる。
「……ここは二階だぞ?」
うん、と頷いたのは、窓の外に連なる屋根の上にしゃがみこむ無表情の少女。
黄金色に輝く髪を肩まで伸ばしていた。その髪からひょっこりとキツネ耳が出ていて、彼女が純粋な人とは違うのが分かる。
やや小柄で、すらりとした身体にまとうのは、シノビを思わず黒い衣装。ちなみにふさふさとした尻尾が腰の後ろでひょこひょこと揺れていた。フェネックと呼ばれる狐人である。
「待ち合わせに現れないから、探しに来た」
「ああ、すまん、リアナ」
慧太は、フェネックの少女――リアナに詫びる。
傭兵団に所属する彼女は、慧太とよくコンビを組む。食料調達の相棒とは、リアナのことだ。暗殺者集団の一族出身という話で、戦闘術は傭兵団でも一ニを争う。
「使いを出しておけばよかったな」
「いい。意図的に隠そうとしていないなら、ケイタの痕跡を辿るのは難しくない」
リアナは淡々とした表情で言った。無愛想な彼女だが、別に怒っているわけでも不機嫌でもない。
「それより、血の匂いがする……それに、その娘は?」
すんすん、と鼻を鳴らすリアナに慧太は苦笑した。
獣人の多くは嗅覚に優れる。ついでに言えば狐人は、耳がいいことでも知られる。
「この子が魔人に襲われてたのと出くわしてね。ちょっとやりあった」
「怪我はない?」
リアナは深海色の瞳をじっと向けてくれば、慧太は自嘲した。
「オレの身体が、普通とは違うのは知ってるだろう?」
実際、トカゲ魔人にわき腹を一突きされたが出血はなく、それどころか傷すらない。
「でも、心配ありがとう」
「どういたしまして」
表情はないが、胸を張ったようだった。女性としては未成熟な胸ではあったが……。
「ケイタは燃えやすいから」
金髪碧眼のフェネックは、真顔で言うのである。
「相手は魔人でしょう?」
「ああ」と頷けば、リアナは小首を傾げる。
「西のほうで、魔人の動きが活発化しているって」
「そういえば、そんな話もあったなぁ……」
慧太は他人事のように呟く。そんなことを団長の前で言ったら、文句を言われるかもしれない。
「ここにも、奴らが手を伸ばしてきた……?」
「それはわからない」
慧太は視線をベッドの上で休んでいるセラフィナに向ける。
「彼女に聞けば、何かわかるかもしれない」
「で、その娘は?」
リアナが先ほどの問いを繰り返した。ジト目に見えるのは……気のせいではないだろう。
慧太は自身の髪をかく。
「セラフィナ……というらしい。というか、それしか知らない」
慧太は、セラフィナに出会った経緯を説明した。
「――そういうわけだから、オレはもうちょっとこの子に付き合う。……このまま放り出すのも寝覚めが悪いし」
「お人よし」
リアナは、どこか突き放すようにそっぽを向いた。拗ねているのかもしれない。
傭兵団でも慧太の相棒を自他共に認めている彼女だ。自分の知らないことがあるのが気に入らないのかもしれない。……よく周囲から戦闘狂などと言われるが、可愛げというか隙があって慧太は好ましく思っている。
「了解。その旨、団長に報告する」
リアナは屋根の上で立ち上がった。
「……気をつけて。その娘が魔人に追われる何かなら――」
「ああ、わかってる」
リアナが屋根から身も軽く飛び降りた。
訓練された狐人は、それくらいの芸当を容易くやってのける。まるで忍者だ。
正直、街中など障害物が多い場所で、彼女に追われたら絶対に逃げ切れないと断言できる。
慧太は目を閉じる。その意識はここではない場所に飛んだ。
・ ・ ・
「取り逃がした……?」
それは艶やかな女の声。岩のような肌を持つ魔人騎兵――慧太らと戦い、唯一生きのこった彼は、片膝をついて頭を下げた。
「は、はい、アスモディア様。あの小娘は疲労困憊、あと一息で捕らえられたのですが……邪魔が入ってしまい――」
「邪魔者?」
アスモディアと呼ばれた女は片方の眉を吊り上げた。
ウェーブかかった長い赤毛の髪の持ち主だった。こめかみの部分からねじれた山羊の角が出ている。黒紫色のローブをまとった姿は、魔術師のようにも見えた。
「それで、小娘はどうしている?」
「は、ドィーム様が監視についておりますので、見失ってはいないのですが……」
どこか歯切れが悪い。もっとも、その理由についてはアスモディアも察している。追跡に配下の魔術師がついているが、今どうしているかこの魔人にもわからないからだ。
アスモディアは鼻を鳴らした。
「捕らえろ、という命令だけれど……もう始末してしまったほうがいいのかしら」
岩の肌を持つ魔人は返答に困る。魔人アスモディアは周囲――彼女の配下である魔人どもを見渡した。
「人間のテリトリーをかなり侵犯しているものね。余計な邪魔者が増えるのはいただけないわ」
魔人たちは神妙な面持ちで女魔人を見やる。
「白銀の勇者の一族は最優先の標的……アルゲナムの血筋は、我らレリエンディールにとって呪われし存在。殺したら皆が喜ぶでしょうけど、我らの王はそれを望んではいない」
クロワドゥ――アスモディアは配下の一人を呼んだ。
「あの小娘の居場所、辿れるわね?」
「はい、アスモディア様」
群青色の毛並を持つ獣顔の魔人が進み出た。
「あれの臭いは記憶済みです。お任せを」
「今日中に始末をつけるわよ。……せっかく弱らせた獲物、ここまで来て逃すものですか」
女魔人が腕を振り上げれば、群青色の狼魔人を先頭にして、魔人たちは移動を開始した。
日は地平線に見える山の裏へと没し、夜の帳が訪れる。
そんな魔人たちを、じっと見つめる小さな影があった。木の裏に潜み、闇に溶け込むようなそれは、小さな子狐のような姿をしていた。