たまに悪夢を見るときがある。
気分が落ち込んでいる時とか、逆に浮かれている時とか、そういう心の浮き沈みなんかは関係なく悪夢を見る時がある。
たまたま、今日がそういうタイミングだった。
何かに追われているような、何かを守らなければいけないような、そして、誰かに無茶苦茶な依頼を頼み込まれたかのような、そんな悪夢を見た。
そして、その理不尽に言葉を失っている間に目が覚めた。
覚めると同時に、まず感じたのは異様な熱さ。
今は秋も深まってきている10月の終わり。
そろそろ冬に差し掛かろうとしているので、朝とか夜は寒いくらいなのだが、びっくりするくらい熱い。
それから1秒と経たずに感じたのは誰かが俺の布団の中にいるという感覚。
そして、誰かに抱きつかれているなと思った。
これにすぐ気がつけたのは、冬の寒い時期はヒナがこっそり俺の布団の中に入ってきて暖を取ろうとすることがあったからだ。その時に決まって俺を湯たんぽみたいに抱きしめてくれているのだ。
だから俺は最初、ヒナが布団の中に入ってきたのかと思った。
それなら良くあることだしいいやと思い目を開けると、目の前に金髪があった。
あれ、ヒナの髪の毛って金色だったっけ……と、寝ぼけたことを考えていたのもつかの間。俺が勢いよく振り向くと、そこにいたのはニーナちゃん。
「ん……?」
身体を起こして見れば俺の部屋には仲良く布団が2つ並べてあるものの、片方は空っぽ。
すっかりニーナちゃんの抜け殻となってしまっている。
そして、消えた布団の主は何故か俺の布団にいる。
何でだ。
「あ、おはよぉ。イツキ……」
「……うん。おはよう」
布団の中に友達。それも女の子がいると言うこれまでの人生で考えたことのない異常事態にすっかり覚醒してしまった俺とは違い、ニーナちゃんはまだ眠そうな顔をしている。
眠そうな顔をしたまま俺を離そうとはしない。
「ニーナちゃん。いつから僕の布団にいたの?」
「寒かったから……」
返答になっているのかなっていないのか。
確実に返答にはなっていないのだが、ニーナちゃんからはそう答えが返ってきた。
「イツキは温かいのね」
「え、うん。ありがとう……?」
果たして俺のも答えになっているのか怪しい。
なんてことを考えていると、ニーナちゃんはパチっと目を覚まして身体を起こした。
「イツキと喋ってたら目が覚めちゃった」
「悪い夢は見なかった?」
「見なかったわ。ありがとう」
俺の問いかけにニーナちゃんはにこやかに頷いた。
それなら良かった。
すっかりぬいぐるみ代わりにされてしまったが、ニーナちゃんがちゃんと寝れたのなら、それで良いのだ。
ニーナちゃんは、もそもそと起き上がると自分の布団を畳んでから深く息を吐いた。
その瞬間、ニーナちゃんの足元から3体の妖精が出現。
大きさはどれも俺たちの膝くらいしかなく、棒のような手足とつるりとした顔のパーツが一つもない顔。代わりと言っては何だが、茶色の大きなフードをすっぽりと被っており、足元にはこれまた茶色のブーツが覗いている。
ニーナちゃんが呼び出したのは『ブラウニー』。
力自慢で、色んな雑用をやってくれる妖精だ。
「それお願いね」
『うィ』
彼ら……彼女らかも知れないが、とにかく『ブラウニー』たちは口のない顔でそう答えると、ニーナちゃんが客室から持ってきた布団を持ち上げた。そして、そのまま俺の部屋から出ていく。
ニーナちゃんの部屋へと片付けてくれるのだろう。
「朝ごはん食べよっか、ニーナちゃん」
それを見送った俺はニーナちゃんをそう誘った。
ニーナちゃんと2人でリビングに向かっている道中にはもう、俺が見た悪夢の内容はすっかり忘れてしまっていた。
朝ごはんを食べたら、俺は庭に出て身体を動かす。
動かすというのは、つまり近接戦の練習だ。
それが俺の休みの日の日課なのだ。
練習内容は『導糸シルベイト』を模型にくくりつけ、操り人形にして自分と戦うこと。
ずっと続けているが、一向にモンスターたちと素手や武器だけで戦う機会が来ないので、本当に続けているだけになってしまっている。
とはいえ、いつ以前のように魔法の使えない空間に落とされるか分からないので、辞めることなど絶対にしないのだが。
操り人形の振るう模擬刀を弾き、回避し、そしてこちらの一撃を入れる。
難しいのは自分が自分と戦っている以上、無意識のところで手加減してしまうところだ。
いくら模擬刀とは言ったって、素材は木。
当たれば普通に痛いし、あまりに強くぶつけたら治癒魔法の出番となる。
そんなものに当たりたくないと思うのが普通の考えだし、俺だって自分からあたりにいこうと思うほど馬鹿じゃない。
けれど、だからと言って自分を前に手加減するのは違う。
それでは何も手に入れられないからだ。
あくまでもこの訓練の目的は強くなること。
決して自分が気持ちよく身体を動かすことではないのだ。
そんなことを思いながら模型を大きく弾くと、縁側に座っていたニーナちゃんがぽつりと呟いた。
「イツキって、よくそんなに身体が動くわね」
「小さいころからやってるからね」
そう言いながら、再び模型と相対する。
終わる時は決まっている。
確実にモンスターにトドメを刺したと思えた瞬間だ。
「ふうん? 私もやってみようかしら」
「えっ。ニーナちゃんも?」
「何よ。やっちゃダメなの?」
「ダメってことは無いけどさ……」
いや、もちろんやれば良いと思う。
思うのだけど、ニーナちゃんが身体を動かしているイメージがないのだ。
体育とかでも男の子と女の子は別競技か、同じ競技をしたとしても別グループに分かれてする。だから、ニーナちゃんが運動している姿を見たことがないかも知れない。
いや、そもそもだ。
そもそも、近接戦はモンスターの怪力に対抗するために『身体強化』魔法が前提になっているところがある。
だが、イレーナさんもニーナちゃんもそれらを使っているところを見たことがない。
だから俺はニーナちゃんに聞いてみた。
「『妖精魔法』にも身体強化ってあるの?」
「あるわよ。『支援バフ』でしょ」
「バフ?」
そのワードをゲーム以外から聞くことになるとは思わなかったが。
俺が眉をひそめていると、ニーナちゃんは続けて息を吐いた。
「この魔法でしょ」
言うが早いか、ニーナちゃんの足元から妖精が一匹現れる。
その妖精を匹、と数えるべきか、人と数えるべきか。
何しろ身体は人間。それも女性のものだ。
しかし、下半身が違う。こっちは魚だ。
まぁ、簡単に言ってしまえば人魚である。
「この子はね、セイレーンって言うのよ」
「名前、聞いたことある」
彼女は空中を、まるで水の中を泳ぐように進みながら妖しげに微笑んだ。
微笑んだのだが……あまり様さまになっていない。
だって、セイレーンの見た目は10歳くらい。
どっからどう見ても子供の人魚なのだから。
そして、その人魚は泳ぎながら口を開くと――歌いはじめた。
透き通るような、まるで静かな水面に1滴の水滴が落ちたような、そんな声で。
その声を聞き始めてから数秒。
身体のうちから、力が静かに湧き上がってくるのを感じた。
身体の中でマッチを灯した感覚と言ってしまおうか。
熱を持った力が腹の底で広がっていくのだ。
「これって……?」
「分かってるでしょ。『身体強化』よ」
ニーナちゃんがそういって胸を張る。
俺は手足を伸ばしたり縮めたりして、感覚を確かめる。
『導糸シルベイト』を使ったものと違い、身体全体が均等に強化されている感じがする。
その分、1箇所の強化は弱いが……だとしても、強化のバランス性能はこちらの方が優れているっぽい。
「どう? 凄いでしょ」
そういって胸を張るニーナちゃんに、俺は深く頷いた。
頷いてから尋ねた。
「凄いけど、これってニーナちゃんも『身体強化』されてるの?」
「そうよ。歌声が聞こえる範囲にいる祓魔師えくそしすとはみんな強化されるの」
……便利すぎない?
『導糸シルベイト』の強化は自分だけピンポイントだけだが、どうやら妖精魔法の方は一味違うみたいだ。とても便利そうで羨ましい。
そんな新しい魔法を見せてくれたニーナちゃんは、にこやかに頼み込んできた。
「じゃあ、イツキ。せっかくだから、私に戦い方を教えて」
「うん。じゃあ、まずは身体の動かし方からかな」
俺はそう言って、ニーナちゃんに向き直った。
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