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夢を見た。
小さな男の子が泣いている夢だった。
彼は深い川の底でひとり、
ずっとひとりで溺れている。
口を開いても水が入ってくるばかりで
誰の名を呼ぶこともできないらしい。
「一人は寂しい?」
川を覗き込んで聞いた。
男の子が私をじっと見上げる。
水面がゆらゆらと揺れていた。
後ろから
ジリジリと溶けるほどの熱が
私の体を焦がしていく。
水の中は冷たいだろう。
寒いだろう。
淋しいだろう。
暑さが脳を溶かしていく。
融かしていく。
熔かしていく。
溶けた脳が水面に
ぽたりぽたりと滴り落ちた。
彼が私に手を伸ばしている。
水の中はここよりも心地良いだろうか。
苦しいだろうか。
そうじゃない。
冷たくても
寒くても
淋しくても
苦しくても
彼をここに一人置いていくくらいなら、
わたしは。
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酷い朝だった。
ずっと泣いていたからかまだ頭が痛かったし、目が覚めたのは冷たいフローリングの上だった。
隣には鞍馬が横たわっている。ずっと傍に居てくれたらしい。
起こさないように静かに起き上がり、上着をそっとかけておいた。
お風呂に入り、シャワーを浴びて着替えた。
髪を乾かし歯を磨く頃には昨日より気持ちがしゃんとした気がした。
洗面所から出ると鞍馬が起きていて、勝手にリビングに座って朝のテレビ番組を観ている。
私は冷蔵庫から卵を二つ取り出し、目玉焼きを作ることにした。
「俺もシャワー借りていい?」
私が出てきたことに気付いた鞍馬が許可を取ろうとしてくる。
まるで友達の家で話し込んでつい泊まってしまっただけかのような口ぶりに、昨夜のことは夢ではないかとすら思えた。
「いいよ。その間に朝ご飯作っとく」
そして、自分も妙に冷静だった。
目玉焼きを二つ焼いて、ウィンナーとインスタントのスープ、トーストを用意した。
簡単な朝ご飯だが、お腹を満たすには十分だと思った。
コップも二つ用意して牛乳を注いでいると鞍馬が出てきた。
「洗面所に俺があげたトリートメントあって嬉しかったんだけど」
半裸だ。
「まぁ、あれいい匂いするからね」と返して自分の持っている大きめのシャツを押し付けるようにして貸した。
鞍馬がテーブルを挟んで私の正面に座る。
「作ってくれてありがと」
「……よく私にありがとうとか言えるよね」
「そっちこそ、よく俺にこんなことできるなって思うけどね。俺の前でぐっすり寝てるのも馬鹿なのかなって思った。殺されたらどうすんの?」
「でも殺さなかったよね」
鞍馬が黙ったので、いただきます、と手を合わせて目玉焼きを食べ始める。
しばらくお互い無言で朝ご飯を食べ続けた。
食べ終わる頃、私は牛乳を飲み干してから鞍馬に話を切り出した。
「鞍馬。バカなこと言うから笑って」
「ん~?」
「私あんたを好きになる」
鞍馬が嫌いだと言った鞍馬の家族の代わりに。
「お金だって鞍馬が苦労しないように、弟が実家からもらってる分くらいは私が稼ぐ。ご飯だって作るし、ここに住みついたっていいよ。それで償いになるなら何でもする」
私だって余裕があるわけじゃないけど、常識的なお金の使い方をする人であればバイトを死ぬ気で頑張れば何とかなるだろう。
「瑚都は俺を許すの?」
「許したんじゃない。ただ、自分の罪を認めて、背負うことにしただけ」
そう言うと、鞍馬は少しだけ目を伏せた。
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朝ご飯が済むと、鞍馬は私のことをベッドへ押し倒した。
テレビを消す間もなく、抵抗する気力も起きず、結局汗だくになるまでセックスをした。
まともな状態で久しぶりにする鞍馬とのセックスは頭がおかしくなるくらい気持ちよかった。
散々京之介くんと過ごしたこの部屋で、初めて私の部屋を訪れた男とシーツを乱して盛り合う自分が酷く惨めに思える。
鞍馬の下で嬌声を上げながら、サイドテーブルの上の、京之介くんが置いていったBluetoothスピーカーから目を逸らした。
事後。ぐったりと寝転がる私の横で、素っ裸の鞍馬が窓を開けて煙草をふかしている。
その煙草に手を伸ばして奪い、久しぶりに吸い込んだ。体を侵す不健康な物質が私の中にどんどん入ってくる。それが心地よかった。
「昨日言ったこと覚えてる?」
鞍馬がゆっくりと私に視線を移す。鞍馬の前髪が風で僅かに揺れていた。
鞍馬を見上げて煙を吐き出す。煙がゆらゆら揺れたように見えた。
鞍馬と私はきっと今同じ香りがしてる。
「夏がいい」
そう答えた。
一緒に沈みゆくならば、私が鞍馬を殺した夏がいい、と。
その数日後、京之介くんの元カノからDMで写真が送られてきていた。
裸で眠っている京之介くんと、その隣に寝転がる自分をこっそり自撮りしたものだった。
京之介くんの髪の短さから、過去のものではなくつい最近撮ったものなのだと推測できる。
わざわざこんな写真を送ってくるなんて余程私にムカついていたのだろう。
ショックでなかったといえば嘘になるが、私が何か言えるような立場ではないと思った。
「何見てるの」
隣にいる鞍馬が覗き込んできて、その写真を見て「あの人もやるなぁ」と笑った。
「こうやって自分に気がある女を弱った時に利用する男だよ。それでも好きなの?」
「京之介くんの悪口言わないで。それに、それを言うなら私だって……」
私だって辛い時に鞍馬のことを利用した。
「俺たちはお互い都合良かったじゃん。でもその女はその人のこと好きでしょ。人の気持ち利用してる分その人の方がクズだと思うけど、俺は。クズってかメンヘラ?」
私がムッとして反論しようとすると、それを黙らせるように鞍馬が私にキスをした。
この部屋で寝泊まりするようになった鞍馬と、私はよくキスをするようになった。まるでただのコミュニケーションのように。
「ごめんね。瑚都」
感情のない瞳をして発せられた謝罪が、何に対するものかもう分からなかった。
言い返す気力もなくなって、鞍馬の腕の中でもう一度写真を眺めた。
――これを見て何よりも驚いたのは、元カノのすっぴん姿が本当にゾッとするほど、お姉ちゃんに似ていたことだった。
京之介くんは今も、お姉ちゃんの面影を欲しているのだ。