拳銃を手にした、かつての先輩を見つめる。
本当に、全て嘘だったのか。
「以前、聞いたよな。知り合いが犯罪を犯したらどうするかと」
壱道が銃口をこちらに向けたままテーブルを避けて間を詰める。
「今こそ答えを聞こう」
琴子は手をゆっくり後ろに回した。ポケットの上からかんざしを撫でる。その感触を十分に確かめてから、目を閉じ、静かに立ち上がると、銃口を向ける壱道に手を伸ばした。
「何のつもりだ」
拳銃を持っている手を、両の手で優しく包み込む。
「昔、師範に聞いたことがあります。相手の力を利用して技をかける合気道において、戦意のない相手には、どうやって戦えばいいですか、と。
師範はおっしゃいました。戦う必要があるのかと。
敵意がない相手には、握手でもしてればいいと」
ほんの少し手に力をこめる。細い手から、驚くほどの熱を感じる。
彼は、彼だ。
冷血無情の殺人鬼なんかじゃない。
「あなたは私を撃ったりしない」
壱道は黙ったまま琴子を見ている。そこには敵意も失意も感じられない。
「質問の答えですが。
もし知り合いが犯罪を犯したら。
私は、やはり逮捕します。
ただし話を聞いてから。納得いくまで」
壱道さん。
今まで幾度も口にしてきた名前を、繰り返し心の中で呼ぶ。
「聞かせて下さい。
私の尊敬する刑事が、殺人を犯したわけを。
私が大好きな先輩を、失わなければいけない理由を」
降っていた雨が弱くなり、今まで聞こえなかった壁時計の秒針の音が聞こえてくる。
沈黙が続く。壱道はまばたき一つしないでこちらを見ている。
そしてフッと息を吐き出すと。項を垂れ、拳銃を下げた。宙に向かって独り言のように呟く。
「……了解。あとは手筈通りに」
意味がわからず戸惑っていると、壱道が琴子に向き直った。
「こいつはお前にくれてやる」
起こしたハンマーをまた戻した拳銃が、手に握らされる。冷たく重い銃身とは裏腹に、壱道が握っていたグリップは熱いほどだ。
訳がわからず見上げると、
「これから誰が来ようが、何が起ころうが、お前は音を出さず、声を潜めて、大人しくしていろ」
言い終わるが早いか、背面にあった備え付けのクローゼットに押し込まれ、扉を閉められた。
何がなんだかわからず、暴発しないように拳銃を両手で慎重に持ちかえるとキョロキョロ見回す。
畳半帖分ほどのクローゼットの中には、ほとんど服がかかっていない。扉の上半分がルーバー式になっており、部屋の明かりが漏れている。
壱道は何を考えてここに琴子を押し込んだのだろう。監禁?いやいや拳銃を渡して?
ルーバーの隙間から部屋の中を覗く。彼は片耳を押さえながら、一人でなにやら呟いている。頭がいかれてしまったのだろうか。
ピンポン。玄関のチャイムが鳴る。
壱道は目を強く瞑ると、深く息を吐き、見せたことのないような苦悶の表情をした。
そして顔を上げると玄関に向かって静かに歩き出した。
「わざわざ悪いな」
壱道が誰かを引き連れて戻ってきた。
「いやあ、帰り道だし」
知っている声が続く。カバンを開き、ビニルに入った紙を取り出した。黒いレインコートを脱いだその横顔は、
「急遽、須貝ちゃんが休みとりやがってよ。でも俺も少しは役に立ちたいから、最優先でやってやったよ」
どうしてこの人が。
「それで、頼まれてた送り状の筆跡だけど」
二階堂は、宅急便の送付状を振って見せた。
「間違いなく、櫻井秀人のものだった。届いたのがいつだって?」
「櫻井が死んだ日の夕方だ」
「“ガラス製品”とあるけど、その、荷物のほうは開けないのか?」
壱道がリビングから紙袋をもってきた。中から箱を取り出す。
両手に収まるほどの立方体の白い箱だ。
「まあ、爆弾は入っていないだろうが、念の為署内で、受取人も呼んで開けようかと」
「そうか。それがいいな」
二階堂は短く息をつくと、手に持っていた細長い袋を掲げた。
「まあみんな庄内に行ってていないしな」」
袋から開けると、お菓子の箱が出てきた
「ホワイトクラウドのシュークリーム。今流行ってる塩シューだ」
箱を置いた二階堂が、ダイニングテーブルのカップに気がつく。
「誰か来てたのか」
「ああ、先程まで木下がな」
途端に二階堂がニヤつく。
「なんだよ、お前たち、数日でもう家を行き来する仲になっちゃったの?」
楽しそうに笑う。
「いやあ、あのあどけない少女のような琴子ちゃんが、お前の手に落ちたと思うと、なんかたまらんね」
「あいつは、予想以上にすごかったよ」
「はあ?!ちょっと止めて!惚気ないで!俺、そういうの照れちゃうやつだから!」
「こちらが意図的にあいつに真実を隠していたにも関わらず、事件の本質まであと一歩というところまで、自力でたどり着いた」
二階堂がへらへら笑っていた口を閉じた。
「櫻井殺しの犯人に関しては、俺たちは敬服をせざるをえない。そいつは一切の証拠を残さずに、ほぼ完璧に自殺に見せかけていた」
二階堂の顔がひきつる。壱道は構わず続ける。
「だが現場には数々の違和感があった。
その最たるものは玄関のドアノブだ。
外側のノブと比べて、内側のそれが不自然なほど華奢だった」
写真を取り出す。玄関の内ドアが写っている。
「管理人に頼んで、空き室を見せてもらった。これが元来の内ノブ。櫻井のものとは違う。
なぜか彼の部屋だけは、居室の二ヶ所、トイレの内側外側のものと一緒だった」
琴子は眉をしかめた。
玄関の内ノブに、居室のドアノブがすり替えられていた…?
「では誰が、何のために付け替えたのか。もともとついていた玄関の内ノブはどこに消えたのか」
思わず声が出そうになり、口を塞ぐ。
「まず玄関の内ノブはシューズクロークから、埃を被った状態で出てきた。あとはどのドアとすり替えたかということだが」
写真をもう一枚見せる。やはりあのドアだ。
「櫻井の家には、作業場に使っている部屋があって、そこで趣味のステンドグラス作りをしていた。
その部屋の内側のドアノブが、櫻井が作ったガラスの球体でできていた。
おかしいと気がついたのは、プロムナードの永井だ。
ステンドグラスを加工する際には、高熱のコテを使うため、軍手を付けていることが多いらしい。
だから表面がつるつるしている回転型のドアノブだと出入りするたびに軍手を外さなければいけない。
現に同じ理由で、ガラスプロムナードのドアノブはすべて回転型ではなく、レバー型にと櫻井本人がこだわっていたそうだ」
二つの写真を並べる。
「玄関の内ドアについたレバー式の地味なドアノブ。作業場についた開けにくいおしゃれなドアノブ」
その写真を交差させる。
「これは、当日、恐らくは櫻井を殺した後、犯人が付け替えたんだ。本来は玄関の内側に、ガラスのドアノブが。そして作業場の方にレバー型のドアノブが付いていたはずだ」
写真をダイニングテーブルに置きながら、壱道は静かに続けた。
「なぜわざわざそんなことをしたのか。
犯人は、他殺か自殺かの判断において、ドアノブの指紋がどんなに重要視されるか知っている、警察の人間だからだ」
二階堂が箱をテーブルに置く。
「お前、自分が何を言っているのかわかってんのか」
だが壱道は怯まず続ける。
「櫻井を自殺に見せかけたい以上、玄関のノブについている指紋は、櫻井本人のものであり、それも美しく残っていなければいけない。人付き合いがほぼなく、部屋に他人を入れたことのない櫻井のような人間の場合は尚更だ。
綿手袋をしながら、球体で回転式のガラスノブを、既存の指紋を崩さずに開けるのは難しい。
だから付け替えたんだ」
もう一枚、ガラスのノブがアップで写されている写真を取り出す。
「その証拠に、ドアノブを外したビスに、松が岬署指定の捜査用綿手袋の成分が検出された。科捜研まで依頼したから、分析に多少時間はかかったがな」
だから櫻井が殺された日の次の朝に遅刻したのは、大学に依頼に行ってたのか。
「マジかよ」
二階堂が額を抑えながらヨロヨロと椅子に座る。
「お前たちが追ってるガラスアーティストの事件が、他殺だったつーだけでも衝撃的なのに。今度はその犯人が仲間内なんて、ちょっとショックが大きくて、脳みそがついてかねーよ」
確かにそうだろう。琴子は一人頷いた。
自分だって朝からずっと考えているのに、情報と可能性のピースをまだ整理しきれていないのだ。
そしてそれは壱道の発言でますます雑多に散らかってしまった。もちろん感情の整理もできない。
先ほどから壱道が犯人なのか、違うのかで一喜一憂している。
「安心しろ。もうすぐ終わる」
その迷いを打ち消すかのような壱道の声。こちらに向かって歩いてくる。
「櫻井秀人を殺したのは…」
琴子はやっと理解した。
壱道は全ての罪を擦り付けるために、ここに琴子を入れたのか。
手には拳銃、クローゼットに潜んでいるなんて、客観的に見れば怪しすぎ……。
クローゼットの手前で止まった壱道が振り返る。
「あんただろ、二階堂さん」
コメント
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な、な、なんと?なんですと?