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sxxn/暇72/記憶喪失
目を開けた瞬間、天井がやけに白かった。
「……ここ、どこだ?」
声に出した自分の声すら、どこか他人事みたいに聞こえる。
体はちゃんと自分のものなのに、頭の中だけが、すっぽり抜け落ちていた。
――名前。
――ここに来た理由。
――誰かの顔。
思い出そうとすると、霧がかかったみたいに、何も掴めない。
「起きた?」
ドアの向こうから、聞き慣れない……いや、“聞き慣れているはずの”声。
入ってきたのは、見覚えのない男たちだった。
金髪の人、落ち着いた雰囲気の人、優しそうに笑う人。
全員が、どこか安堵したような表情を浮かべている。
「……誰?」
その一言で、空気が止まった。
「……なつ?」
名前を呼ばれた。
でも、その名前に、何の実感も湧かない。
「俺、なつ……なの?」
自分の口から出たその言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
「そっか……覚えてないんだな」
誰かがそう呟く。
責める声じゃない。むしろ、心配と戸惑いが混じった声だった。
「無理に思い出さなくていいよ」
別の誰かが、静かに言う。
「俺たちは、なつの“仲間”。それだけ覚えててくれればいい」
仲間。
その言葉だけが、なぜか胸にすとんと落ちた。
「……仲間」
そう繰り返すと、不思議と怖さが少し和らぐ。
日が経つにつれて、暇72は少しずつ“今”を知っていった。
歌うこと、配信をすること、ステージに立つこと。
体は覚えているのに、記憶だけが追いつかない。
歌うとき、理由もなく胸が熱くなる。
笑うとき、なぜか涙が出そうになる。
「これ、前もやってたんだろ?」
「そうだよ。なつくん、いつも楽しそうだった」
その言葉を聞くたび、
“楽しそうだった自分”を思い出せないことが、少しだけ悔しかった。
ある夜、ひとりで鏡を見つめる。
「……俺、どんなやつだったんだろ」
すると、背後から声がした。
「今と、そんなに変わんないよ」
振り向くと、メンバーの一人が立っていた。
「忘れててもさ、なつはなつだよ。
俺たちが知ってる“なつ”は、ここにちゃんといる」
胸の奥が、じんわり温かくなる。
記憶は戻らなくても、
信頼は、関係は、ちゃんと今ここにある。
「……じゃあさ」
暇72は、少し照れたように笑った。
「もう一回、最初から教えてくれよ。
俺が、俺になるまで」
その言葉に、全員が笑った。
記憶は失っても、
なつが“ひとりじゃない”ことだけは、誰よりも確かだった。
ステージ袖。
イヤモニ越しに、客席のざわめきが波みたいに押し寄せてくる。
暇72が記憶を失ってからする初めてのライブ。
「……緊張してる?」
誰かに声をかけられた。
名前は、まだ出てこない。
「まぁ、ちょっとな」
そう答えた瞬間――
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
ライト。
歓声。
マイクを握る感覚。
その全部が、急に“懐かしい”と感じた。
――ああ。
――俺、ここが好きだった。
理由はわからない。
でも、心だけが先に思い出してしまったみたいに。
ステージに足を踏み出した瞬間、
光が視界を埋めて、音が一気に弾ける。
その刹那。
誰かと笑い合っていた記憶。
何度も練習して、喉が枯れて。
「楽しいな」って、何度も思った夜。
断片的で、曖昧で。
名前も、出来事の順番も、まだ掴めない。
それでも――
「……あ」
口を開いた瞬間、
自然に声が出た。
歌いながら、暇72は確信する。
俺は、ここに帰ってきたんだ。
曲が終わる。
拍手と歓声の中で、メンバーを見る。
名前はまだ言えない。
でも、この人たちが“大切”だということだけは、はっきりわかった。
「……少しだけ、思い出した気がする」
そう言うと、みんなが目を見開いてから、優しく笑った。
「それで十分だよ」
全部じゃなくていい。
少しずつでいい。
暇72は、マイクを握り直す。
記憶はまだ欠けている。
それでも――
俺は、ここで歌っていた。
そして、今も歌いたい───。
楽屋のドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。
外の歓声はもう遠い。
ここにいるのは、6人だけ。
「……おつかれ」
誰かが言ったその一言に、暇72は小さく頷いた。
胸の奥が、まだざわついている。
さっきのステージ。
確かに“少し”思い出したはずなのに、
今はそれ以上に、何かが溢れそうで。
椅子に腰を下ろした瞬間――
急に、頭の奥が熱くなった。
「……っ」
言葉にならない息が漏れる。
視界が一瞬、揺れた。
スタジオ。
笑い声。
夜遅くまで続いた練習。
くだらない会話。
真剣な話。
喧嘩して、仲直りして。
全部、ばらばらだったピースが、
一気に“形”になる。
「……LAN」
無意識に名前を呼んでいた。
驚いたように、でもすぐに息を呑む気配。
「……思い出した?」
暇72は、ゆっくり顔を上げる。
「……全部」
声が、少し震えた。
「俺が、暇72で。
ここが、シクフォニで。
お前らが……」
一人ずつ、顔を見る。
「こさめ、いるま、らん、すち、みこと」
「俺の、居場所だった」
一瞬の沈黙のあと、
空気が一気にほどけた。
「……やっと言った」
「遅いんだよ」
「でも、戻ってきたね」
誰も大げさなことは言わない。
それが、逆に“いつもの感じ”で。
なつは、思わず笑った。
「悪い。忘れてた分、取り戻すわ」
「無理しないでね、」
「でも、歌うんだろ?」
「あたりまえだろ」
そう答えた瞬間、胸の奥が満たされる。
忘れていた時間も、
空白だった記憶も、
全部ひっくるめて――
「……俺、幸せだったんだな」
ぽつりと零したその言葉に、
誰も否定しなかった。
6人だけの静かな部屋で、
なつはもう一度、確かに思い出した。
ここが、俺の”暇72”の帰る場所だ───。