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あの時、もう終わってしまえばいいと思った。
俺を失ったお前と、それでも生きていく覚悟が、俺にはできなかった。悪魔の咆哮は止まず、デンジの中から俺という存在が消えた。俺は、お前がいないともう駄目なのに。
駆け寄ることも、後退することもできず、ただ呆然と立ち尽くしていた。当惑しているデンジに、胸が強く締め付けられた。
無理心中だと報道されていい。このまま、二人で終わりにしよう。それが世間一般では間違いであったとしても、俺に残されていた選択はそれしかなかった。
2度目の人生のどん底を経験し、涙も出せず、口から込み上げるものを抑えるのに必死だった。視界がぐらぐらと揺れ、永い間眠りについてしまいたいと、そう願ったのを覚えている。徐々に世界が回り始め、意識を手放しかけた時、座り込んだ俺の視界に、一筋の光が落ちた。光の出所を探るように頭を上げると、逆光に照らされた上司が、そこに立っていた。
偶然にしては、あまりにも都合がよくて。必然にしては、説明がつかなかった。ただ、彼女がいるという事実だけが、俺の思考をそこで止めていた。
どうやってその場を切り抜けたのかはわからない。マキマさんの存在に、無意識のうちに縋ってしまったのか、そこで気を失った。
次に目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。体の数箇所に包帯が巻かれているだけで、『大袈裟な』と思ったが、看護師から話を聞き、実物を目にして納得した。隣の部屋で、デンジが何本かの管に繋がれたまま、眠っていた。
デンジは不死身だ。胸のスターターを引けば、いくらだって無傷に戻る。ただ、それは肉体構造に限った体の話であって、同時に精神的なものは戻ってくれない。
俺の精神状態の確認も兼ねてだろうが、デンジの身内という理由で、同時入院という扱いになったのだ。
数日を病院の中で過ごし、デンジの受け答えが一定の水準に達した頃、漸く退院の判断が下った。
退院後、家に帰る前の事後処理の席で、マキマさんは淡々と告げる。
「あの悪魔は、奪った記憶を、自分の体の部位ごとに保存していました。本来、正しい手順で核だけを潰していれば、失われた記憶はすべて元に戻せたんだけど…」
机に置かれた書類の端を、彼女の指が揃えるようになぞる。バインダーからはみ出た一枚、その先頭にデンジの名前があった。
「デンジくんが細かく刻んでしまった部位にあった記憶は、元に戻りません。もうどこにも、存在しないから」
喉の奥がひくりとなった。
思い出したくもない場面を無理やり引きずり出し、止まっていた思考を叩き起こす。
「……悪魔は、再生していました」
「うん、再生はするみたいだね。でも、再生できるのも“形”だけなんだ。記憶みたいに“意味を持ったもの”は、粉々になった時点で戻らない」
マキマさんは相槌のように頷くだけで、表情を変えない。なんの含みも持たず、説明の為だけに言葉が羅列される。遅すぎる可能性を、必死で探した結果がこれだ。
「早川くん達が見たのは、中身のない“器”が、元に戻っていく様子だね」
「そう、ですか」
あの時俺が止めていれば、あの時俺がもっと慎重になっていれば。前までの俺だったら考えもしなかった、たらればばかり並べて。自分で自分が情けなくなる。
「大丈夫。悪魔は、正しい手順で私が処理します。戻る記憶は戻るよ」
「本当ですか」
思わず身を乗り出して、咄嗟の動作に自分でも驚いた。
「…ありがとうございます。お願いします」
「……終わり次第、こちらから連絡するね」
そう言われてしまえば、それ以上踏み込んで聞くことはできなかった。
戻る記憶と、戻らない記憶
その境界がどこにあるのか、まだ誰にも分からない。不確かさも含めた不安ごと、残りをマキマさんに預け、席を立った。
◇◆◇
入院中から帰路までの間、デンジとした会話の数は片手で数えられる程だった。何度話しかけられても、俺はたじろいだ返答しかできなかった。
どの記憶が消えていて、どれが残っているのか
それを確かめる勇気が、今の俺にはなかったから。どこか踏み込めない空気を、分からないながらも察していたのかもしれない。
「お邪魔しまぁす」
「……お前の家でもある。ただいまでいい」
「あ? あァぁ〜…ただいま?」
靴を脱ぐのもままならない様子で、バタバタと足元が落ち着いていない。パワーの靴に躓き、壁に手をついて体勢を立て直している。
それらを見て、デンジが家に来て初めの頃を思い出す。あの頃と違うのは、俺がコイツを見る目だけなのだろう。
「転ぶなよ」
「ん〜…だいじょぶ」
終始、遠慮が混じった声に、俺は何も返すことができなかった。音を立てず静かに扉を閉める。玄関に残った空気が、酷く冷たく感じた。
「おうおう、やっと帰ったか!遅かったのお」
そんな空気を割くように入ってきた能天気な声で、頭がクリアになる。デンジの肩が僅かに跳ね、明らかな戸惑いを見せる。
「…えェっとォ〜?だれ…」
「は?」
誰一人として呼吸音すら出さなかった。この一瞬だけが、切り取られた映像のようで。俺たちだけが、世界から取り残された気がした。
「記憶の悪魔との戦闘で大分記憶を吸われた」
意を決して沈黙を切り裂き、事実のみを投げる。開きっぱなしの口と目が、ひくひくと動き、顰めっ面に変わった。
「…面白くない冗談じゃな」
「同感だ」
「……寝る」
「あぁ、おやすみ」
短くそれだけ言葉を交わし、パワーはニャーコを連れて部屋に戻って行った。
追及しないという選択が、時にいちばん残酷だ。今、俺と同じものを感じられるのはお前だけなのに。これ以上深く探れば、絶望に打ちひしがれて、自分が自分でなくなってしまうから。だから俺たちは、同じ場所から目を背けることしかできない。
「あの女ぁ、悪魔?」
パワーが部屋に入ったのを確認してから、俺に尋ねてきた。気を遣っているのか、視線が定まっていない。俺の顔に視線が触れてはすぐに逸れ、視線は床や壁を彷徨うばかりだった。
「パワーは魔人だ」
「魔人ってナニ」
「…人の死体を乗っ取った悪魔のことだ」
「じゃオレ魔人じゃね?」
最初の頃、全く同じ会話をした覚えがある。どうしようもなく不快で、使いモンにもならない、ただの戦力だと思っていた。「人権はない」なんてことも、口にした覚えがある。
答えを濁すことも、肯定することもできたのに…
「……お前は人間だ」
それ以外の答えを、俺はもう持っていなかった。