コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
小松の運転するステーションワゴンが客宅の駐車場に到着すると、仲田を迎えに遠回りをしていたはずの篠崎のアウディはすでに到着していた。
少し開いたサッシから、笑い声がする。
小松は相変わらず重たそうなバックを抱え、呼び鈴を押した。
「どうぞー!!」
中からやけに掠れた女性の声がする。
小松と由樹は目を合わせて中に入った。
「桑本(くわもと)さん。どうも、お待たせしてすみませんでした」
小松が会釈しながら入っていく。
「は?私待たされた覚えないんだけど?時間通りでしょ?ねえ。どうなの篠崎さん、私待たされたっけ?」
「嫌味だろ。この間桑本さんが、仕事明けで寝てて、俺ら待たされたから」
「あー、まだ根に持ってんの?謝ったでしょ。しつこい男はモテないよ~。あんたも小松さんも」
桑本と呼ばれた髪の毛をベリーショートに刈り上げた女性がカラカラと笑う。
50代、いや、もっと上だろうか。
煙草を片手に見積書を覗き込んでいる。
篠崎はというと、その女性のすぐ隣で胡坐をかきながら、頭を突き合わせるようにして肘をつき、その様子を見ていた。
随分仲がよさそうだ。昔からの知り合いなのだろうか。
「わかったわ。それでいい。今んとこ」
言いながら真っ赤に塗られた唇で煙草を咥えると、白い煙を吐き出した。
「これで見積もり通りだな」
その煙をよけないどころか、嫌な顔一つせずに篠崎は微笑んだ。
「悪いね、安いカーテン探してきてもらって」
「いやー?だってこだわりもあんだろ」
「あんたらの儲けはあんの?」
「ないわけないから。心配すんなって」
篠崎はなおも砕けた様子で微笑む。
「それにしたってさ……」
と何気なく見上げた桑本は由樹に気づき目を見開いた。
「誰?この若くて美味しそうなやつ」
言いながらふざけて舌なめずりをする。本当に食べられそうだ。
「うちの新人。打ち合わせ同行したことなかったから。見せてやろうと思って」
篠崎は言うと、桑本はくぼんだ目で笑った。
「なに、私の打ち合わせなんて適当なところを見せたりしないで、今どきの若い夫婦とかの打ち合わせに同行させてあげればいいものを」
呆れたように舌打ちをする。
「いや、俺の打ち合わせはいつもこんなもんだ」
篠崎は笑いながら、テーブルの上に置きっぱなしだった、桑本のものだと思われる煙草に一本引き出し、自分のライターで火を点けた。
こうして二人で並んでいると、その距離の近さとおおよそ営業とは思えない篠崎の横暴な態度から、なんだか親子にも見えてくる。
「間取りとインテリアがだいたい決まって、今日は何すんのよ?」
パッと音を立てながら煙草から唇を離した桑本が笑う。
「今日はコンセントの位置です」
小松が桑本の隣に座り、手持ち無沙汰になった由樹もその横に腰かける。
平面図に赤やら青色やらの線が走っていて、コンセント差し込み口のマークが散らばっている。
「いいんじゃねえの?わかんないよ。ねえ?篠崎さん?」
明らかに酒焼けしている喉を痛そうに咳払いしながら言う。
「いいか、桑本さん。コンセントの位置っていうのは、だいたい、家中にかける掃除機をイメージするとわかりやすい。家のどこを掃除機でかけていてもコードがなんなく伸ばせる距離。そこにコンセントを配置していくんだ」
(なるほど)
由樹は感心しながらまた回路図に目を戻した。
「あとは台所だな。ここが人によって必要なコンセント数が違う。今台所に設置されている電化製品を数えて見ろよ」
「電化製品?」
「そ。冷蔵庫は別で」
桑本が眉間に皺を寄せながらも数え始める。
「食器洗い乾燥機でしょー?」
「備え付けになるから要らない。次」
篠崎がぴしゃりと言う。
「オーブンレンジ」
「備え付けだって。そうなくてジューサーとかミキサーとかだって」
篠崎が笑う。
「あー、特にないけど?」
「ホントかよ。……あ」
小松が印刷してきた電機回路図を見て、何かに篠崎が気が付いた。
ピーピーピー。
何かの電子音が鳴る。
「あ、洗濯機だ」
桑本が立ち上がる。
「ちょっとだけ干してくるわ」
そう言って、桑山が茶の間から姿を消した。
由樹は気になっていたことを篠崎に聞いた。
「桑本様って、篠崎マネージャーのお知り合いですか?」
「は?」
「それとも親戚ですか?」
篠崎の眉間に皺が寄る。
「どういう意味だ」
会話を聞いていた仲田が吹き出した。
「それだけ馴れ馴れしいってことでしょう?」
「なにぃ?」
篠崎の眉間に皺が寄る。
「ち、違います!すごい仲いいなって思って!」
仲田が微笑みながら由樹を覗き込む。
「初めて見るとびっくりするよね。でも、篠崎さんの場合、いつもだから」
(……いつも?)
篠崎の顔を見る。
「家づくりってさ」
仲田が笑顔のまま目を細める。
「お客様にとって、楽しいことばかりじゃないのよね。少なくとも何千万、土地も絡めばそれこそ億も超えたりするわけよ。
だから話を進めながら、神経質になる人は多いの。打ち合わせ自体嫌になって、半分鬱になったり、夫婦喧嘩が絶えなくなって離婚したり、うまくいかなくて絶縁した親子まで見たことあるわ。それだけ、家づくりっていうのは重いのよ」
横目で篠崎を見る。
(じゃあ篠崎さんのこの態度も、わざとなのか)
「んなことは、どーでもいい」
篠崎はくだらないというように舌打ちをした後、電気回路図を、由樹の前に置いた。
「この中に小松さんには珍しく、凡ミスがある。どこだ」
「えっ」
慌てて小松も覗き込む。
(……わっかんねえ……)
突然の問題に由樹が口をすぼめていると、横にいた小松は瞬時に気が付いたらしく「あっ」と短く呟いた後、笑っている篠崎に頭を下げた。
回路図を改めてもう一度見てみる。
(あ、もしかして……)
「わ、わかりました」
言うと篠崎はにやりと笑った。
「あ、あの。これだと思います」
「言ってみろ」
篠崎が頬杖をついて正面から見上げる。
「この狭い廊下に差し込み口がありません。先ほどの篠崎さんの言葉を参考にして考えると、他の部屋から掃除機の線を引っ張ってきた場合、廊下に面したこの洋室の開き戸に、線が引っかかってしまう恐れがあります」
「なるほど。じゃあ正しくは?」
「細い廊下の入り口の両側に差し込み口をつける……?」
「正解」
篠崎の大きな手が由樹の頭に置かれた。
「そういうふうに、常にその家族の生活をイメージするんだ」
クシャクシャと撫でられる。
(……う)
その温かさを感じた瞬間、頬が燃え上がり、思わず俯いてしまう。
「…………」
微笑んでいた篠崎の顔が一瞬、確かに曇った。
「………………」
無言のまま手が離れて行く。
(まずい…。変に思われた?)
「ごめんごめん」
しゃがれた声とともに、桑本が戻ってきた。
篠崎が先ほどまでの顔に戻って彼女を迎え入れる。
何事もなく再開される打ち合わせに、由樹は胸を撫で下ろした。
「…………」
まだ頭に撫でられた感触が残っているような気がして、髪形を軽く直すふりをして、それを振り払った。