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朝の光が、薄く廊下を照らしている。
クレアが部屋の扉を開けると、そこに小さな影があった。
「ん!」
ロビンだった。
口を布で覆われた小さな子が、じっとクレアを見上げている。
「……おはよう、ロビンちゃん」
クレアが微笑むと、ロビンは嬉しそうに喉を小さく鳴らした。
そして、クレアの後ろをついてくる。
クレアが振り返ると、ロビンはぴたりと止まり、首を傾げた。
「……かわいい」
思わず呟いた。
廊下の向こうから、スタシスが手を振りながら近づいてきた。
「おっはよ〜。お、ロビンまた張り付いてるね」
「これって……よくあることなんですか?」
「うん。ロビンは気に入った人の後ろをよくついてくるんだよ〜」
スタシスはにこにこしながら言った。
「懐いたんですかね」
「まあ、そんな感じ。ロビンって警戒心薄いから、すぐ誰かにくっつくの」
クレアはロビンを見下ろした。
ロビンは「ん!」ともう一度喉を鳴らして、クレアの手を握った。
「……そうなんですね。かわいい」
クレアは笑みを浮かべた。
食堂へ向かう途中、ジェイドとすれ違った。
「おはよう、クレア」
「あ、おはようございます」
ジェイドは少し真面目な顔で立ち止まった。
「ちょっといいか」
「はい」
「アスモデウスが、お前を見ると挙動不審になってな」
クレアは目を丸くした。
「……私、何かしましたか?」
「いや、理由は本人しか知らん」
ジェイドは腕を組んだ。
「ただ……嫌ってはいないはずだ。むしろ逆だろうな」
「逆……?」
「ああ。よくわからんが、気にかけてるんだと思う」
ジェイドはそう言って、軽く肩を叩いた。
「まあ、焦らずにいけ。アスは悪い奴じゃない」
「……はい」
クレアは小さく頷いた。
ジェイドが去った後、クレアは小さく首を傾げた。
「挙動不審……?」
スタシスに案内されて、クレアは施設の生活区画を回った。
「ここが保管庫ね。異質の本体はもっと奥の厳重な区域にあるから、今日はまだ行かない」
「そうなんですね」
「うん。慣れてからでいいよ」
休憩室に案内されると、スタシスはテーブルに分厚いファイルを置いた。
「じゃ、せっかくだから異質たちの基本情報見とく?」
「はい、お願いします」
クレアは隣に座った。
スタシスがファイルを開く。
「まず、ロビン。『とりのしらせ』」
ページには、小さな雀の写真と、布で口を覆われた子どもの人形の写真が並んでいる。
「本体は小さな雀。鳴き声がサイレン化して、半径3kmに災害を強制発生させる」
「……それは」
「うん、やばい。だから戦闘評価は例外処理でSS+」
スタシスは真面目な顔で言った。
「でも、本体には敵意も攻撃もないの。ただ”災害そのもの”が危険なだけ」
「だから、人形状態なら安全……?」
「そ。喉を鳴らす小さな音なら大丈夫。性格も子供っぽくて素直だし、懐きやすいの」
クレアは少しほっとした。
「次、ヘイスト。『敗残兵』」
ページをめくると、近未来風の仮面と、全身を覆う服の女性の写真。
「本体は仮面。装着者に殺戮行動を強制させる。人がいなければテレポートして探し続ける」
「……怖いですね」
「でしょ?戦闘評価S+。本体が情報過多の怨念の塊だから、人が壊れるだけ。敵意はないんだけどね」
スタシスは肩をすくめた。
「人形のヘイストは気のいい可愛い性格。真面目で心配性。シャイで素顔を見せないの」
「そうなんですか」
「テレポートと射撃は人形でもできるから、けっこう便利」
次のページ。
「アスモデウス。『色欲の禁書』」
読めない文字で埋められた書物の写真と、優しく微笑むラフ服の少女の写真。
「本体は書物。読んだ者に性欲・執着を植え付けて、欲求が尽きるまで暴走させる」
クレアは目を丸くした。
「戦闘評価は例外処理でA+。本体に戦闘力はないけど、選んだ対象を強化しすぎる潜在性があるから例外扱い」
「……せ、せーよく…」
「ああ、そうそう。アスは人形状態だと特定の人間を言いなりにできるんだけど、照れる人間が好きだからしないらしい」
スタシスはにやりと笑った。
「性格は甘くて艶っぽくて、いじるのが好き。んでもって物理的に距離が近いから、慣れるまでびっくりするかも」
「……なるほど」
クレアは少し納得した。
「次、フォーチュン。『船と宝』」
沈没船と宝を収めたボトルシップの写真と、片目が潰れ、フジツボまみれの少女の写真。
「……っ」
クレアは思わず息を飲んだ。
「本体はボトルシップ。覗いた者の脳に旅の記憶を刻み込む。しばらく鬱みたいな症状が出る」
「人形も……この姿なんですか?」
「うん。ボトルシップに封じられた記憶の具現化だから」
スタシスは少し表情を曇らせた。
「戦闘評価はF-。ただ、やる気がないだけだから本来ならS+くらいだよ。」
「……強いんですね」
「うん、強いよ。戦闘だけならヘイストが優位の状況ですらタメ張れる。」
「あと、フォーチュンがあたしに懐いてるの。理由は知らないけど」
スタシスは照れくさそうに笑った。
最後のページ。
「トラカルとアルトリウス。『姫と騎士』」
少女風の装いの少年と、厳格な女性の写真。
「この二人は二人で一体。魂が半分ずつなの」
「半分ずつ……?」
「うん。姫の言葉――命令を遂行しないと、夢で騎士に処断される。三度処断で首に跡が残る」
「それで、跡は罰を与えるように時々痛むんだって。」
「それって……」
「まあ危険っちゃ危険。でも姫は達観して落ち着いた口調で、騎士は純情でよく動揺する。アスに揶揄われるとアルが一番反応大きいの」
スタシスはくすくすと笑った。
「戦闘評価は、姫がF-で騎士がA-」
「ただ、騎士の方。距離によってはヘイストやフォーチュンと同じくらいの実力を発揮するよ。」
クレアはファイルを閉じた。
「……みんな、危険だけど……なんというか、人間らしいんですね」
「そうだね」
スタシスは頷いた。
「だから、怖がりすぎなくていいよ。ちゃんと向き合えば、普通に仲良くなれるから」
「はい」
クレアは小さく微笑んだ。
確かに異質は危険だ。
でも、ここにいる人たちは皆、普通に生活している。
それが、妙に安心感を与えてくれた。
書庫前の廊下。
クレアとスタシスが歩いていると、向こうからアスモデウスが歩いてきた。
手には数冊の本を抱えている。
「あ、アス」
スタシスが声をかけた。
アスモデウスは顔を上げた。
そして――クレアを見た瞬間、動きが止まった。
「……っ」
本が、ぱらりと落ちた。
「あ」
クレアは反射的にしゃがみこんで、本を拾おうとした。
「ッ……だ、大丈夫よ……私が……拾うから……!」
アスモデウスの声が震えている。
クレアは手を止めて、顔を上げた。
アスモデウスは慌てて本を拾い上げると、顔をそらした。
「ご、ごめんなさいね。手が滑っちゃって」
ぎこちない笑みを浮かべて、そのまま足早に去っていく。
「……」
クレアはその背中を見送った。
「アス、めっちゃテンパってる……おもしろ」
スタシスがくすくすと笑った。
「……本当に、すごい慌ててましたね」
「でしょ?珍しいんだよ、アスがあんなふうになるの」
スタシスはにこにこしている。
でも、クレアの胸には小さな疑問が残った。
昼休み。
クレアはスタシスと一緒に食堂でお茶を飲んでいた。
「……私、変に思われてますかね」
クレアがぽつりと呟いた。
「んー?変って?」
「アスモデウスさんが、私を見ると様子がおかしくなるって……」
「あー、それね」
スタシスはカップを置いた。
「アスがテンパってるだけ〜。クレアのせいじゃないよ」
「でも、何か理由があるんですよね……?」
「んー……多分ね」
スタシスは少し考えるように首を傾げた。
「アスはあんま自分の本のこと話さないし、あたしたち読めないしねぇ」
「読めない……?」
「うん。アスの本体って『色欲の禁書』でしょ?読むと危ないから、誰も読めないの」
「そうなんですか」
「だから、アスが何考えてるかは、本人しかわかんない」
スタシスはあっけらかんと言った。
「まあ、時間が経てばわかるかもよ。アスは悪い子じゃないから」
「……そうですね」
クレアは小さく息をついた。
自分が何か特別なわけではない。
ただ、アスモデウスの中に、何か個人的な事情があるだけ。
そう理解することにした。
夜。
クレアが自室へ戻ると、またロビンがそこにいた。
部屋の前にちょこんと座っている。
「ん!」
クレアを見ると、嬉しそうに立ち上がった。
「ロビンちゃん、ここで待ってたの?」
「……ピ」
ロビンはこくりと頷いた。
クレアはしゃがみこんで、ロビンの頭を撫でた。
ロビンは目を細めて、嬉しそうに喉を鳴らす。
「……ロビンちゃんは本当に人懐っこいんだね」
クレアは微笑んだ。
「おやすみなさい」
部屋に入ろうとすると、ロビンが服の裾を引っ張った。
「ん……?」
「どうしたの?」
ロビンは何かを言いたそうに、じっとクレアを見つめている。
でも、声は出せない。
クレアはもう一度頭を撫でた。
「また明日ね」
ロビンはゆっくりと手を離し、小さく手を振った。
クレアは部屋に入り、扉を閉めた。
一方、その頃。
アスモデウスは自室のベッドに座っていた。
膝を抱えて、じっと天井を見つめている。
「……クレアニール」
その名を小さく呟いた。
「似てるのよ。声も、目も……笑い方まで……」
肩を抱えて、息を吐く。
脳裏に浮かぶのは、遠い昔の記憶。
禁書の中に刻まれた、一人の少女の姿。
サラ。
「どうしてよ……ちょっと酷いんじゃない……?」
アスモデウスは顔を覆って、苦笑した。
恐怖ではない。
憎しみでもない。
ただ――感情が、揺れる。
心が、痛む。
「……また、こんな気持ちになるなんて……」
アスモデウスは小さく呟いた。
そして、ゆっくりと目を閉じた。