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アマリリスとスロスが外に出てから、途方もない時間がたったように感じられた。実際にはそれほどでもなかったはずだが、倉庫の中で鳴り続ける風切り音と、雨が外壁を叩く鈍い振動が時間感覚を狂わせ、エルクスは壁に背を預けたまま何度も腕時計に視線を落とし、ミアは落ち着きなく倉庫内を行ったり来たりし、キヨミは資材箱の上に広げた簡易マップから目を離さず、それぞれが別の形で同じ不安を抱えていた。
その時、重い金属扉の向こうから水を踏みしめる音と、粘つくような血の匂いが流れ込み、次の瞬間、扉が軋みながら開いてアマリリスとスロスが姿を現した。二匹とも全身が雨と血に濡れ、息は荒いが足取りは確かで、ただ戻ってきたというより、何かを持ち帰ってきた者の目をしていた。エルクスが即座に立ち上がり「無事か?」と短く問うと、アマリリスは一度だけ頷き、余計な前置きを挟まずに口を開いた。
「流砂と水弾、二匹確認、両方排除した。」
その声はいつもの簡潔な報告調ではあるが、語尾が僅かに重く、言葉を選んでいるのがはっきりと分かった。スロスも続けて前に出ると、濡れたフードを外しながら
「戦闘は想定より激しかった。天候を利用してた。水弾は視界を奪い、流砂は足場を殺す。連携はなかったが、目的意識は強かった。」
と、普段なら省かれる細部まで丁寧に語られていく。ミアが思わず、
「え、えっと…それっていつもより危なかったってこと?」
と口を挟むと、アマリリスは少し間を置いてから、
「危険度そのものじゃない…。違和感…と言った方がいい…。」
と答え、キヨミも顔を上げ「違和感?」と静かに問い返す。そこでスロスが視線を落とし、はっきりとした声音で付け加えた。
「最後に、流砂の方が言い残した。『強ければ、あの方に認められる』と。」
その一言で倉庫内の空気が変わり、エルクスの表情がわずかに硬くなり、キヨミは無意識に拳を握り、ミアは意味が分からないまま黙り込む。アマリリスは続ける。
「いつもの自己正当化とも違う。誰か具体的な存在を想定している言い方だった。だから今回は省略せず、全部伝える必要があると思った。」
エルクスはゆっくりと頷き、
「了解だ。これまでの資料を出そう。細部まで整理する。」
と答えるが、その視線は既に地図や記録ではなく、見えない何かを追っているようだった。誰もまだ断定的な言葉は口にしない。ただ、報告が終わった後も、倉庫に残ったのは達成感ではなく、噛み合わない歯車が静かに回り始めたような感覚で、全員が同時に心のどこかで同じ小さな疑問を抱いていた。
倉庫の奥にある簡易照明が一段階だけ明るさを上げられ、雨音は分厚い壁に遮られて低く鈍い反響に変わる。アマリリスとスロスが濡れた装備を外し、簡易乾燥機に放り込む音が響く中、全員が自然と中央の作業台に集まっていった。金属製の台の上には、紙の資料、端末、手書きのメモ、過去の戦闘ログが無秩序に並べられ、これからそれらが一つずつ切り分けられていくのが分かる空気だった。
「じゃあ役割通りいこう。」
エルクスが短く言い、視線を各自に配る。
「キヨミとミアは掲示板周り。一般人の反応と目撃情報を洗ってくれ。スロスは公式資料と過去ログ。アマリリスと俺は狩人側の認識を整理する。」
ミアは小さく「了解…。」と頷き、キヨミは既に端末を起動して指を走らせている。掲示板は匿名性が高く、情報の精度は低いが、その分、生の恐怖や噂が濃縮されている場所だ。キヨミはスレッドをいくつも開き、時系列順に並べ替え、ミアは横から内容を読み上げる役に回る。
「えっと…この一週間で多いのはこれ。」
ミアが指差す。
「『また変なのが出た』『夜に外出るな』『水が勝手に動いた』とか。」
キヨミが補足する様に淡々と続ける。
「表現は全部曖昧。チーターという言葉を使ってる人もいるけど、定義はバラバラ。基本的にはただただ街を脅かす存在。被害者視点で、理由も目的も考えられていない。まあ分かるのは、アマリリス達が戦ってたチーターが前から動いてたってことだけね。」
「一般人の認識はそこまでだよな。じゃなきゃ何かしらに関わってるやつになる。」
アマリリスが腕を組んだまま言う。
「俺らぐらいなわけだ。」
一方でスロスは資料の山を一定のリズムで捲り、必要な部分だけを抜き出していく。紙の擦れる音が一定間隔で続き、やがて彼は一枚のまとめ資料を台の中央に置いた。
「公式記録と過去の狩猟ログ。チーターは全て単独行動。出現地点もバラバラ、共通の指揮系統、合図、援護行動は確認されていない。」
ページをめくりながらさらに続ける。
「遭遇時の台詞も自己中心的なものが大半。“強くなりたい”“証明したい”“世界を壊したい”。統率者、上位存在、命令系統を示す発言はゼロ。なんなら『元々チーターは互いに狩り合う意志のない獣』とまで書かれてる。」
エルクスとアマリリスは顔を見合わせ、次に自分たちの番だと言わんばかりに視線を資料へ落とす。アマリリスが低い声で語り始める。
「狩人側の認識も同じ。今までは完全に1匹から2匹。強さの差はあれど、奥の繋がりは無いと思っていた。」
エルクスが頷き、淡々と補足する。
「それともう一つだ。アークははっきり言っていた。『強化してもらった』ってな。」
その言葉に、倉庫内の空気がわずかに重くなるが、誰も驚いた様子は見せない。ミアは資料を捲る手を止めず、キヨミも掲示板の画面から視線を外さない。アマリリスは腕を組んだまま、低く息を吐く。
「……やっぱり、その線か。」
「偶然じゃないってことだな。」
エルクスは続ける。
「自然に能力が伸びたわけでも、本人の資質だけでもない。外部から、意図的に引き上げられている。」
スロスは静かに一枚の資料を引き寄せる。紙質は古く、端には小さな書き込みが残っている。
「以前読んだ記録にもあった。」
声は落ち着いているが、言葉の選び方は慎重だ。
「『神秘を扱う際、理性を保つには最低限度の神秘量が必要。過剰な抽出、または急激な欠損は精神の均衡を崩す』……と。」
アマリリスは小さく頷き、視線を落とす。
「つまり……強化って言っても、まともな方法じゃない。」
「そういうことだ」エルクスは即座に返す。
「理性を保てる限界まで神秘を削る。暴走しない、ぎりぎりのラインでな。出力だけを引き上げる方法だ。」
ミアが低く言う。
「前にも……その話、出たよね。」
エルクスは一度だけ視線を巡らせる。
「ああ。スロスが来る前にも、仮説として話した。結局、強化の方法はそれしか考えられないって結論だった。」
キヨミは端末を操作しながら、短く付け加える。
「掲示板でも、それっぽい噂は前からあった。正気を削って力を得る、みたいな。」
倉庫の中に、重苦しい沈黙が落ちる。それは初めて聞いた話ではない。誰もが一度は考え、しかし確証がなく棚上げしていた仮説だ。スロスは資料に視線を落としたまま、ほんの僅かに顎を引く。肯定でも否定でもない。ただ、既に共有されていた認識が、現実の言葉によって形を持ったことを受け止めるような仕草だった。
一瞬の沈黙が落ちる。エルクスは小さく息を吐き、結論を口にした。
「うーん…。結局、新しい情報は無いし………空振りか……。」
その言葉で場の緊張は一度緩んだ。いや、緩むはずだった。
だが、その直後だった。
キヨミの指が止まる。端末の画面を流れていた掲示板の文字列が、ぴたりと静止する。スクロールの勢いが消え、彼女の視線は画面の一行に縫い留められたまま動かない。
「……待って。」
その声は低く、しかし明確な引っかかりを含んでいた。ミアがすぐに椅子を引き、肩越しに画面を覗き込む。
「どうしたの?」
アマリリスとエルクス、スロスも同時に視線を向ける。倉庫内に響いていた機械音や雨だれの名残のような静寂が、再び張り詰める。
掲示板の流れは、つい数秒前まで他愛のない罵倒と憶測で埋め尽くされていた。
357:名無しイカ(20XX/09/23 10:41:35)
なんか影でチーターを束ねてる奴がいるらしいぞ。
そんな一文が投げられ、それに対して
358:名無しタコ(20XX/09/23 10:41:55)
お前らまじでどこからその情報ゲットすんだよw
359:名無しタコ(20XX/09/23 10:42:37)
どうせ又聞きだろ。
360:名無しイカ(20XX/09/23 10:42:46)
妄想乙。
と軽い嘲笑が重なっていた。いつもの流れだ。確証のない噂が投下され、笑われ、消費される。だが、その中に割り込むように現れた一文が、空気を切り裂いた。
361:名無しイカ(20XX/09/23 10:43:00)
だって俺がチーターだから。
短い。説明もない。冗談めいた装飾もない。ただ、それだけが、淡々と表示されている。キヨミの喉が僅かに鳴る。ミアが息を呑む音が、やけに大きく聞こえた。アマリリスは思わず一歩前に出る。
「……は?」
エルクスは即座に端末を引き寄せ、画面を凝視する。スロスは言葉を発さないが、空気の揺れを読むように視線を細めた。
掲示板は一瞬、凍りついたかのように静止した。次の瞬間、堰を切ったようにレスが雪崩れ込む。
362:名無しイカ(20XX/09/23 10:43:07)
は?
363:名無しイカ(20XX/09/23 10:43:09)
意味わからん。
364:名無しタコ(20XX/09/23 10:43:10)
釣り乙。
365:名無しイカ(20XX/09/23 10:43:12)
証拠は?
366:名無しタコ(20XX/09/23 10:43:13)
不謹慎な冗談はやめろよ。
367:名無しイカ(20XX/09/23 10:43:14)
今そういう空気じゃねえだろ。
文字が高速で流れ、画面が追いつかない。驚愕と困惑、怒りと嘲笑が入り混じり、秩序のない言葉の奔流が生まれる。その中心で、先ほどの投稿者は再び言葉を投げる。
389:名無しイカ(20XX/09/23 10:43:40)
信じなくていいよ。どうせお前らは、俺らのことをまとめて「異常」って呼ぶだけだろ。
挑発。明確な悪意。画面越しでも伝わるほど、言葉は棘を帯びている。アマリリスの指が無意識に握り締められる。
「……煽ってる。」
ミアが呟く。エルクスは即座に判断する。
「感情を揺さぶって、注目を集めたいタイプだ。しかも、ただの一般人向けじゃない。」
その直後、さらに追撃するようにレスが続く。
393:名無しイカ(20XX/09/23 10:44:00)
不正者狩り?笑わせるなよ。正義のフリして首突っ込んでくるだけの連中が、俺らを理解したつもりになるな。
その一文が流れた瞬間、倉庫内の空気が明確に変わる。名指しだ。明らかにこちらを向いた言葉だった。キヨミの表情が強張る。
「……完全に、狩人を見て言ってる。」
掲示板の流れはさらに加速する。
394:名無しタコ(20XX/09/23 10:44:04)
おいおいマジかよ。
397:名無しイカ(20XX/09/23 10:44:11)
狩人煽ってどうすんだ。
403:名無しタコ(20XX/09/23 10:44:19)
通報した
411:名無しイカ(20XX/09/23 10:44:23)
スクショ撮った
416:名無しイカ(20XX/09/23 10:44:31)
本物だったらヤバくね?
混乱の中で、当の投稿者は淡々と、しかし確実に火を注ぎ続ける。
423:名無しイカ(20XX/09/23 10:44:50)
どうせ止めに来るんだろ?
アマリリスの背筋に、冷たいものが走る。これはただの自己顕示ではない。意図的に視線を集め、次の段階へ進むための布石だ。スロスが低く呟く。
「……これは、宣言だ。」
掲示板の文字はまだ流れ続けている。だが、その中心にあるのは、もはや噂でも冗談でもない。明確な敵意と、自らを曝け出す覚悟だった。不正者狩りを真正面から挑発する、異例の動き。
掲示板の流れが一瞬だけ緩む。先ほどまで洪水のように溢れていた文字列が、呼吸を整えるかのように速度を落とし、その隙間に、例の投稿者の最後の言葉が投げ込まれた。
427:名無しイカ(20XX/09/23 10:45:20)
じゃあ、分かりやすくしてやろう。今日の午後3時、「見せしめ」をやる。
短く、断定的で、感情の起伏が一切感じられない文面だった。続けて投稿されるはずの補足も、挑発も、説明もない。その一行を最後に、レスは途絶えた。まるで回線ごと切り落とされたかのように、沈黙が訪れる。
数秒遅れて、掲示板は爆発した。
428:名無しイカ(20XX/09/23 10:45:25)
は?
429:名無し田タコ(20XX/09/23 10:45:28)
見せしめって何だよ
433:名無しイカ(20XX/09/23 10:45:34)
冗談にしては悪質すぎる。
438:名無しタコ(20XX/09/23 10:45:39)
場所は?
444:名無しイカ(20XX/09/23 10:45:44)
時間指定とか正気か?
文字が画面を埋め尽くし、もはや追う意味を失うほどの速度で流れていく。しかし、肝心の投稿者からの反応はない。完全な沈黙。それが逆に、現実味を帯びさせていた。
倉庫内では、誰もすぐに言葉を発せなかった。アマリリスは画面から目を離さず、喉の奥で小さく息を詰める。
「……本気…なのか?」
疑問形ではあったが、声音にはすでに答えが含まれている。エルクスは即座に端末を複数立ち上げ、掲示板のログ、過去の投稿履歴、IPの断片情報を洗い始める。
「挑発だけなら、もっと引っ張る。これは……逃げる前提の宣言だ。」
ミアは落ち着かない様子で周囲を見回し、指先をぎゅっと握り締める。
「でも、証拠が……。本当にチーターだって、分かるの?」
その問いに、アマリリスも頷く。
「掲示板だけじゃ弱い。誰でも言える。」
その瞬間、キヨミが静かに口を開いた。声は低く、揺れがない。
「……もう確認してる。」
全員の視線が一斉に集まる。キヨミは端末を操作し、別の画面を表示する。そこには簡潔な報告ログと、時刻、位置情報、そして短いが決定的な一文が並んでいた。
「今日の昼前。新規チーターによる殺人が一件、確認されてる。」
空気が凍りつく。ミアの目が大きく見開かれ、アマリリスは無意識に一歩後退する。
「……もう、出てるの?」
エルクスは画面を覗き込み、歯を噛み締める。
「能力の痕跡は?」
キヨミは即答する。
「残ってる。既存のどの型とも一致しない。だから、掲示板のやつと無関係とは考えにくい。」
スロスは腕を組んだまま、静かに天井を仰ぐ。
「つまり……午後3時は、二件目か、もしくは公開処刑の類だな。」
誰も否定しなかった。アマリリスの胸の奥で、嫌な確信が形を成していく。
「……これで、噂じゃなくなった。」
倉庫の外に意識を向けると、先ほどまで叩きつけていた雨音は完全に消えていた。シャッター越しに差し込む光は安定し、路面を叩く音もない。局地的だった嵐は、嘘のように去っている。静かだ。あまりにも静かで、逆に不安を煽る昼だった。
エルクスが深く息を吸い、全員を見回す。
「時間は限られてる。場所は不明、相手は正体を隠す気がない。なら、出来る準備は全部やる。」
アマリリスは即座に頷き、装備の確認に入る。
「見せしめ、なんて言わせない。」
ミアも拳を握り、無理やり笑みを作る。
「……やろう。」
こうして、静かで戦慄に満ちた昼は、確実に次の局面へと押し流されていった。時計の針は淡々と進み、来る午後3時へ向けて、不正者狩りは動き出す。ここから先は、誰かの宣言ではなく、現実の戦いになるのだと、全員が理解していた。