由樹は自家用車の運転席を開けた。
「う。さみ…」
思わず呟きながら、赤くかじかんだ両手を合わせ、猫背で事務所に向かう。
季節は夏を越え、秋を過ぎ、冬になろうとしていた。
「おはようございまーす」
事務所のドアを開け挨拶をすると、天賀谷のメンバーがそれぞれのトーンとテンションでそれに返してくれる。
夏に配属になった時には、返事するどころか顔を上げてくれない人が多かった中で、これでも進歩した方だ。
「おはようございます」
隣の席に座る“上司”に改めて言うと、彼はパソコンのディスプレイから目を離さないまま「んー」と言った。
彼だけは、配属の時から態度も言動も変わらない。
変わったのは……。
「紫雨」
室井マネージャーが奥の席から声をかける。
「今日、佐藤さんのところの建方か?」
「そうでーす。2階と屋根」
「明後日、お客さんに見せてもいいか」
「どーぞー。工事課に言っときまーす」
飯川も向かい側の席から言う。
「紫雨さん、田沢川の遠藤さんいるじゃないですか」
「あー、俺の客の?」
「はい。お宅訪問に利用させてもらってもいいですかね?」
「いーんじゃない?いつもきれいにしてるし。お宅訪問も慣れてるから。奥さん、頼んでもないのに光熱費の話まで全部してくれるよ」
「それ最高ですね。じゃあ、今週中に挨拶に行ってもいいですか?」
「いーよ。連絡しとく」
……変わったのは、事務所の空気だ。
由樹が配属されたばかりのときは、紫雨にびくびくして敬遠していた雰囲気があったが、それが今は一切なくなった。
隣に座る端正な顔を見つめる。
今、彼は天賀谷展示場の大所帯を引っ張る、立派な若きエースだ。
「ナニ?」
その視線に気づいて紫雨がこちらを睨む。
「見惚れてるくらいなら、しゃぶるくらいのサービスしてもいいんじゃないの」
「…………」
(ホントに何にも変わってないんだけどな……)
由樹は苦笑しながら、鞄を脇に置き、パソコンを起動した。
システムを開くと一気に予定が赤い字で表示される。
「今日も忙しそうだね、新谷」
紫雨がそれを覗き込む。
「雪が降り始めると、客の動きが鈍るから、今が踏ん張り時だよ。倒れんなよ!」
「はい!」
由樹は大きく頷きながら、カレンダーを見た。
来週から12月に入る。
篠崎が来年結婚するらしいと紫雨に聞いてから、3ヶ月が経とうとしていた。